田園都市沿線に20年近く住んでますが、地名からかじ屋の多い谷だったのだと思ってました。
少し調べてみました。
「江戸期のここは、末長村にあたります。ちょうど梶ヶ谷駅付近には、おおきな溜池(お玉池と呼んでいたそうです)のようなものがあったようです。そしてその溜池から、南へと川が流れていました。、末長~小字姿見台の中央を南北にはしる谷の名称は”池の谷”といい、谷の下手に池があったそうです。池の面積は約8300平米(橘村の村有地、末長住民が管理)あり、昭和12年に橘村が川崎市に合併の際、農家80戸の共有地として払下げた。ところが昭和38年、田園都市線の延長計画により、この共有地の中心が路線に入り、東急と住民が交渉を続けた。ついに昭和41年、共有地は駅の設置を条件に譲渡となり、その代金は末長の道路改修にあてられた。」
梶ヶ谷の駅は池だったんですね。そして、おそらくはフレッシュネスバーガーの横あたりから川が始まっていたのではないかと思われます。