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公立高校による履修科目の偽装事件が発覚しました。
この背景には、塾・予備校と学校教育の競合があり、塾・予備校が定着している都会には少なく、地方進学校に多く見受られます。
地方の教育行政による大英断とも考えられます。
如何、思われますか?
[スレ作成日時]2006-10-28 11:27:00
公立高校による履修科目の偽装事件が発覚しました。
この背景には、塾・予備校と学校教育の競合があり、塾・予備校が定着している都会には少なく、地方進学校に多く見受られます。
地方の教育行政による大英断とも考えられます。
如何、思われますか?
[スレ作成日時]2006-10-28 11:27:00
今年のセンター試験「社会」は、従来の6科目のうち「世界史」のみの試験とする。
世界史は全高校生「必修」のはずだから、これでみんな平等。
未履修の生徒は、受験前に必死に世界史の補講を受けることとなろう。
ちなみに40年前のカリキュラムは
国語:古典まで必修(今:現代文のみ必修)
数学:数学Ⅱまで必修(今:数学Ⅰのみ必修)
理科:物理・化学・生物・地学の4科目必修(今:事実上1科目のみ必修
+中学校理科みたいな科目が必修)
社会:日本史・世界史・地理・政経・倫社の5科目必修
(今:世界史必修&日本史・地理から1科目必修&政経倫社or現代社会必修)
40年前の高校生は文系理系問わずこれだけ必修だった。
今はすべての教科で40年前に比べて全然楽だろ。
こんな甘いカリキュラムでいいのかと怒りすら覚える。
世界史必修が理系生徒に負担?甘ったれるなと言いたい。
でもさ、理系の学生は少なくとも
現代文、数学全部、理科2科目、社会3科目(事実上1科目)を最低限勉強するわけじゃん。
私立文系の学生は
国語全部、数学Ⅰ(事実上やらない)、理科2科目(事実上やらない)、社会3科目(事実上1科目)
文系に甘いカリキュラムだとは思うよ。
あーあ、公明党の要求を容れて50時間に減らしちゃったよ。
だらしないな
伊吹文科相は10/27の段階ではこう言っていたんだよ。
「卒業証書を出すまでの間に学習指導要領に決めた通りの授業は受けていただく。
特別な配慮は難しい。みんなが決めたルールを守るところから社会の秩序は成り立っている」
この発言は何だったのか。
森喜朗や公明党が要求すれば社会の秩序を破壊してもいいというわけか。
今現在受験に関係ない科目をまじめに履修している高3生もいるんだ。
そういう生徒は最後まで規定時間の授業を受けないと単位は認定されないというのに
ズルをした学校の生徒は50時間に負けてくれる・・・
これじゃ秩序も何もないな。
確かに学校の勉強は1を教えるだけだけど、きっかけになる。
経済も歴史も家庭科も教えてもらわなかったら興味すら
持たないかもしれない。
教わることで興味関心を持って、自分で発展させ行く可能性もある。
だから、学校の勉強は、受験勉強とは別に広い教養を身につけるよう
色んな科目の必修を設けているのに、いつの間にか受験科目だけ
やればいいみたいな風潮になってしまった。
なんか残念。
衣服だってどの繊維にどの洗剤とか科学的だよ。
それこそ、服を縫うのが家庭科だなんて今どき時代遅れ。
今の家庭科は実技よりも思考力を重視すべきだと思う。
ということで政治や経済もかかわってくるね。
文系理系問わず今の学生の教養のレベルが低下しているのは否めないな。
物理学者湯川秀樹が中国古典文学に造詣が深かったり、
東大文学部出身の立花隆が宇宙・脳科学・分子生物学を語ったり、
こういう文理横断型の人物は最近の若いのからはあまり出ないな。
立花隆が東大の客員教授になって、最近の東大生の教養のなさに唖然とした
という話がしばらく前の文芸春秋に載っていたが、
そうなんだろうなと思う。
そもそも高校であまり早く文型理系を分けるべきではないな。
理系=社会は地理などという決め付け型カリキュラムが
若い人の伸びる可能性を摘んでいる、
そのことに思いを馳せることのない人が校長をやっているんだな。
世界史も日本史も19世紀以降の帝国主義の対立と民族自立への動きを教えるべきなんだが、
いつもすっ飛ばし。人名と年号暗記に明け暮れるから面白くもないんだろうな。かく言う俺
は世界史が好きでそのおかげで文系大学に合格したんだが。
例えば中東での絶え間ない紛争、世界各地に於ける反米運動の根本は何かとか、世界史から
学ぶこと多いし、自分が海外に出た時にも世界史が役立つと思うんだかね。戦後ある時期に
日本の政治家がイタリアを旅し、遺跡を見て「日本と違いイタリアは未だ戦禍の跡が生々しい」
と言ったと言う話がある。
最近は教養あるといえるのは一部の人間のみです。
私立文系の婦女子は英語の勉強だけはやるが、
本なんかは雑誌や週刊誌しか読まないのも多い。
なので教養は求めるべくもない。
オーストラリアとオーストリアを混同してる人もいたような。
学校から早く帰って勉強したいと思っている者が少なからずいます。
学校は勉強するところではなく、友人から勉強の仕方を学ぶところなのです。
出来る奴は、環境が整っていれば、勝手に出来るようになるものです。
高校での未履修がこれだけ問題になっているのに対し・・・
大学で授業に一度も出ず同級生のノートをコピーして一夜漬けでちゃっかり単位をもらうヤツ、
これはどうなん?文系学部なんてみんなそんなもんやろ?
高校だけいろいろ言われるのはおかしい。
俺、外語卒なんだけど、"This is a pen.""I am a boy, you are a girl." 式の授業が
入学後早速あった。英語じゃないけど。これが大学かと思ったね。一応全国的には名が
売れてるので、入学するまでは結構勉強必要なんだな、これが。
高校レベルで理系・文系に分ける必要はない。
その区分を行っている入学試験制度に問題があると考えます。
また、大学で一般教養をする時間と専門の時間が、2年ずつで同じとなっているから、専門性
の薄い中途半端な教育となってしまいます。卒論を考えると専門科目の受講に終始する期間は
1年半でした。
入学試験で、一定の成績以上であれば、一般教養の受講は免除とし、専門の選択科目が履修
できるような仕組みがあれば、入学試験の科目が増えてもモチベ−ションは下がらないと思う。
高校と大学の間で、学習の流れの連携が必要ということでしょう。
以上書きましたが、単位を取る程度のことはしましたが、自分自身大学で勉強したとは思って
いません。
試験結果に関係なく出席だけで単位が取れたり(逆もある−これもおかしい)、一夜漬けでも
大丈夫であったり、大学教育がその程度の教育レベルにあることが、その後の社会活動を適当
なものとし、結果的に国を滅ぼすことなると思う。
学校長の自殺が相次いでいる。
自殺は影響力があって、選択肢として生徒に刷り込んでしまう。
教育者の取るべき道は、事件の後始末をして、責任を取ることを身を以て生徒に示すことと思う。
生きる力を育む教育を実践して欲しい。
そもそも70時間(50時間)教科書みたいな授業を受けて何になる?
自分で本でも読んだほうがよっぽど世界史観が開けるし、進学校の子なら
知的好奇心も旺盛だろうから後でも取り戻せるよ。
それより経済学部に進むやつが数学をほとんどやってない事実は無視できない。
結局私立大学の受験が高校の授業をおかしくしてるんだよね。
伊吹文明文部科学相は8日、高校の履修単位不足問題に関連し、全ての国公立大と私大の8割が利用する大学入試センター試験について「高校の必修科目すべてで一定以上の点数があるかどうか確認するために使うべきだ」と述べ、6教科(国語、地理歴史、公民、数学、理科、外国語)すべての受験義務化を検討する考えを示した。衆院文部科学委員会で、自民党の馳浩国対副委員長の質問に答えた。(毎日新聞)
残り2割の私大にも補助金が出ているのだろうか?
>89、94
同感ですね。 責任者の自殺は自己満足の逃避でしか無いと思う。
死んでも何の解決にもならないんだから・・・。
死刑囚も償ってから死刑にすべきだと思うぐらいなのに
そうでもない大人の特に教育者が命をかろんじるなんて論外でしょう。
それと「入るのは難しく出る(卒業する)のは簡単」と言われる
日本の大学の教育制度を見直す必要があるのでは?!
たまたまヤマが当たったから入れた 体調悪かったから落ちた
・・・これではまともな生徒は集まらないし卒業生の質も落ちる。
今でも学歴はステータスになるのが現実だから マナーや
一般常識も入学・進級・卒業のたびに試験するとか。
履修内容も 頭でっかちになるものや形式的なものではなく
実務的というか現実的・実践的・実用的なものを重点的に・・・。
当然 大学以前の教育制度も見直す。
小・中学校で学問と常識・倫理の「基本」をキッチリやる。
高校では一般常識程度の学問とマナー・礼儀作法をキッチリやって
自己主張や議論のやりかたの実習を兼ねて歴史や時事について
話し合ったり将来のビジョン作りに役立つことをする。 たとえば
興味ある仕事ごとにグループつくって週1回とか情報収集とやって
アポ取って月1回職場体験させてもらって報告
・・・これを月替わりでやるとか。
ただの体験ではなく計画から情報収集・報告まで
すべて自分達で考えてやらせることがポイントですね。
もちろん先生は相談にのったりアドバイスはする、
ただし余分な手は貸さないこと(過保護・過干渉は厳禁)。
失礼なことや失敗を謝りに行く場合は必ず生徒も連れて行く。
(生徒がグループみんなで)キチンとお礼状を作って送る。
できれば、体験を2ヶ月に1回とかに減らしてでも
クラス単位ではなく学年単位でグループ作りをして
お互いに発表・意見交換ができればさらに良いかと・・・。
学年単位での交流ってのは小・中学校でも増やした方が
良いと思うんですけどね。 理想としては
学年の上下や近くの学校同士でも交流できれば、
兄弟の居ない(少ない)子も年上・年下とのつきあい方も
勉強できるし、人数が増える分だけ個性も増えるわけで
色々な考え方に触れる機会は
早ければ早いほど多ければ多いほど良いと思いませんか?!
クラスでいじめられても学年全体からいじめられることは
まず無いと思うし 学校全体からなんてまずあり得ないし、
他のクラスにでも友達を作れれば支えになるだろうし
いじめの発覚や抑制にもなると思うんですが・・・。
交流が多ければ家庭での話題も増えるし、近所で共通の
話題が増えれば地域のつながりも出来てくるから
防犯面でも効果が・・・というのは甘い?!
専門学校・専修学校・各種学校も充実させる。
各種資格試験も理論以上に実習を、加えて
教職などは人間性・適性・思考パターンもチェック。
とにかく、教育は学年とともに現実社会との距離を縮め
将来を切りひらく方向に進めるべきだと思うので、
教育制度そのものを見直すべきだと思う。
私は、高学歴の悪賢い犯罪者が多い世界より
専門知識の幅は狭くても(多少は専門ウマシカでも)
まともな人間が多い安心な世界に住みたいですね。
ただ 現実の当面の問題として
現役高校生の中に学校の都合で不平等が生じるのは
問題なので入試後になってでも履修させるべき。
もちろんそれは学校の対面等のためであってはならず、
履修しなかったことによって生徒に将来生じるかもしれない
不利益を回避するために・・・。
履修問題はともかく、なんだかこの頃、学校のせいにしすぎる。
家で甘えさせるだけ甘えさせて、躾もしないで集団教育じゃ、
問題が起きない方が不思議だよ。
子どもを守るのとかばうのは違うって事をわかってないのではないかな〜。
子どもは、失敗しながら学ばなければならないのに、親がどっしり構えずに
転ばないように、躓かないように目の前の石ころを必死に取り除いて
それが親の役割だって思ってる親が多いんではなかろうか?
いつまで経っても自分じゃ何も解決出来ない人間がどんどん育ってる。
やってもらって当たり前って子ども多いからね〜。
でもって、自分の少ない経験の中でしか物事を見られないから、ちょっと
面白くなかったり、意に沿わないと逆ギレ。
怖いね〜。
もうちょっと親に逞しくなって欲しいね。
子どもの顔色伺ってどうすんのさ?って思う。