- 掲示板
セレブではなく、ブルジョーの人達会話しませんか?
定義 セレブは目に見えるところだけにお金を掛ける人達。
ブルジョーは目に見えないところにもお金を掛ける人達。
正し、サラリーマンや公務員家庭の人達は、ご遠慮下さい。
[スレ作成日時]2007-01-24 09:02:00
セレブではなく、ブルジョーの人達会話しませんか?
定義 セレブは目に見えるところだけにお金を掛ける人達。
ブルジョーは目に見えないところにもお金を掛ける人達。
正し、サラリーマンや公務員家庭の人達は、ご遠慮下さい。
[スレ作成日時]2007-01-24 09:02:00
30年以上前、大介役に佐分利信、鉄平役に仲代達也で映画化された作品がありますが、
こちらもキャストは実にそうそうたる顔ぶれです。上映時間も堂々3時間30分とか。
ドラマとしての重厚さはこちらの方が数段上という評判ですね。先日、とある家電量販店
でDVD売ってるの見かけたんですが、買っとこうかな?
覚えてる限りのキャストを挙げると、銀平役に目黒祐樹、鉄平の妻・早苗役に山本陽子、
大介の妻・寧子役に月丘夢路、高須愛子役に京マチ子、美馬中役に田宮二郎、大同銀行
三雲頭取役に二谷英明…あたりですかね(もし違ってたらすいません)。
その他、当時も今も当代きっての名優として名前の通った俳優が綺羅星の如く。この
俳優陣だけでも見る価値ありという感じです。
それとこの映画は原作発表後ほどなく作られているため、当然の如く原作の舞台となった
当時の空気を非常に色濃く反映していると思われ、その意味でも原作のテイストをよく
引き継いでいる様です。
一見の価値ありですね。
>「華麗なる一族」、最終回は視聴率30.4%
2007年03月19日10時29分
TBS系で18日夜放送されたテレビドラマ「華麗なる一族」の最終回の視聴率が19日、ビデオリサーチから発表され、関東地区で30.4%だった。テレビドラマの視聴率が30%を超えるのは最近では珍しい。ドラマの舞台となった関西地区ではさらに高く、39.3%に達した。名古屋地区では33.0%、北部九州地区では30.5%だった。
「華麗なる一族」は山崎豊子さん原作で、主演はSMAPの木村拓哉さん。銀行の合併劇などを軸に父と子の葛藤(かっ・とう)を描いた。関東地区の初回の視聴率は27.7%で、最終回で30%を超えた。
232さん
そんなに 映画のほうがよかった?
こんどビデオさがして みてみようかなぁ。
わたしは 原作をしっていたので 次がどうなるか分かっていただけに 人より大泣きです。
主人が あきれていましたっけ。
けさは 目が腫れて ひどい顔していました。おはずかしい・・・
将軍はエロ爺さんの象徴か。
鉄平が将軍に石を投げつけたのは、いまわしいエロ爺さんへのはげしい怨みからか・・・
最初と最後に登場するイノシシは何の象徴か。
ひょっとして万俵大介か鉄平自身か(?)
いまいち、わからん。
それにしても自殺する人間が持っていたのは万俵家の集合写真とは・・・
普通なら、最愛の妻子の写真だろうに。
① あの裁判は何の意味があったのか、目的も結末も消化不良。
② 鉄平の血液型で本当の親子関係がわかるのだが、料亭女将の遺言めいた鉄平宛の手紙
がもたらしたガセネタの責任は重い。
死に瀕した女将が、直接関係ない鉄平に、本当の父親はエロ爺さんだと、わざわざ
家族崩壊を招く遺言した理由がわからない。
③ 同時に、鉄平の追及に「許して」と泣いて謝罪した母親の早とちりの責任も重い。
鉄平の自殺の後、大介に鉄平は大介との間に生まれた子どもだとエラソウに
叫ぶシーンがあるが、鉄平自殺の本当の責任者は母親のアンタだと言いたいね。
④ 社員にはエラソウにガンバレと演説し、息子の太郎には強い子になれと遺言し、
自分は安直な猟銃自殺する無責任さ。
終始一貫してるのは、鉄平自身が本当の苦労をしてないことだ。
何かあっても矛先を父親に持っていく甘さ加減が、夢破れたとたん自殺の楽な道を選んだ。
最終回は、終盤40分に原作終盤の山場をむりやり詰め込みすぎ。ほんとはあの40分間の
エピソードに2回分ぐらい割いてほしかった。駆け足になったが故に、原作ではじっくり
描き込まれていた山場の感情描写がひどくあっさりとしたものになってしまった。
特に最後のどんでん返し、永田大蔵大臣から美馬中へ東洋銀行再合併の指示が出るシーン。
ここは原作では、美馬が受ける衝撃とそのあとに続く万俵大介への後ろめたさを秘めた
複雑な感情がじっくりと描かれる大事な導入部なのに、あれじゃあっさりし過ぎ。
はっきり言って、どんでん返しにも見えなかった。
どんでん返しが銀行の再合併なら原作にあるので、原作とは異なる
どんでん返しじゃないですよね。いったい、何がどんでん返しなのかって
見てたのに、なかったように思えます。
高炉が再度稼動したことがどんでん返し?大介の罪滅ぼしとして融資を
追加したのかしら?(原作、友達に貸したので確認できません)
寧子が鉄平にごめんなさいっていったのは、おじいさんと関係してしまった
こと、実の父がどちらかわからなくなってしまったことに対して、ごめんなさい
って言ってるのではないですか?テレビで関係を持った回を見損なったしまったの
ですが、原作では、その夜大介とも関係を持ってしまったのと血液型が両方に
当てはまることから、父親を限定できなかったとありますし。
鉄平の自殺にいたる経緯が原作の方がいいと思った。
テレビは大介との会話から、「自分(鉄平)さえ生まれなかったら、万俵一族の
あり方はもっと違ったものになった。」という思いが生まれ、自殺へつながった。
原作では裁判とりさげのあと、山小屋ごもりしているときに、銀行合併の話を聞き
父のすべての行動は銀行合併のためだったということを知った衝撃から
自殺へつながった。
原作の方が納得できました。みなさんどうですか?
続編があるとして
①フコク銀行と東洋銀行がどのようなプロセスで合併するのか
綿貫の再度の寝返り
②合併後の万俵大介の処遇・粛清
③合併後の万俵一族の没落
④万俵太郎の成長
⑤その後の高須相子
⑥永田総理と美馬大蔵大臣の誕生
に興味がありますです。
血のつながりにそこまで執着するのが理解できない。
さっきのさっきまで憎しみを抱いていた鉄平に紙切れ一枚にB型の文字を見ただけで
愛しくなり頬ずりするほど感情が変化するとは・・・
男親はそうなのだろうか。
小さい頃から一緒に過した月日は虚しいものですね。
原作では鉄平の遺体は酷い描写なんだよ。
後ろの木に脳漿が飛び散るんだよ。
テレビでは最初、木に寄りかかって、
足の指で引き金引いて発射しているはずなのに、
次の瞬間横向きに倒れているんだよ。不自然。
原作では自殺後、発見されて、遺体が鉄平だと
わかるまでにいろいろあるんだよ。
使用銃のジェームスパーディのうんちくとか、
立ち会った警察の驚きとか。
そういう小さな描写がTVではまるっきりカットされている。
“つま”のない刺身のようだ。
良かったのは高須相子の憎たらしさが原作より演じられていた
鈴木京香の演技力くらいだぜ。
最終回しか観なかったから
池にボコボコ泡が立つシーンとか、こっちに向かってくる鯉に
石を投げつけるシーンとか、まるで意味が解らんかった。
家族で「なに今の?」とか言ってたよ。
そういうことだったのね・・・。
そう、ジェームスパーディは散弾銃だぜ。
原作では、脳漿が後頭部から飛び散って、
後ろの木にへばりつき、のど元は焼けただれ
顔には飛沫が走っている.......
わかったこのドラマは迫力がないんだよ
ギラギラにメークして嫌われ役を熱演した北大路欣也がかわいそう。
それにしても三十路で子持ちのキムタクが、子どもっぽすぎる。
四十・五十になって顔の筋肉がたるんできたらタダのオッサンになるな。
ドラマの描写にリアリティばかり求めても仕方ないっしょ。
散弾銃で自殺したからと言って、スプラッタなシーンが表現できていなければ
作品として駄目だなんて事は本来ないと思う。
それを言ったら、殆どのドラマは元から破綻している事になってしまう。
まぁ、俺もキャスティングだけに頼ってるドラマは嫌いだけど。
北大路欣也の起用だけは正解だった気がする。やっぱ上手いわ・・・。
古事記記載のイザナミの神陵があると言われる、山陰の島根県安来市へいったこ
がありますが、そこは出雲国風土記の伝えるところによると、大穴持(大国主)大
神がヤマタノオロチを退治したとあるそうです。しかも、その地の「安来」とい
う名を命名したのがスサノオであるともされています。
そこは「もののけ姫」で有名になったたたら製鉄が紹介されている和鋼博物館
があり、かつてこの地は大規模な出雲式製鉄が行われていたときかされました。
日本庭園が世界一と言われる足立美術館もこの地にあり、横山大観の神代を題材
とした絵には圧倒されました。不思議な大地の力を感じたようでした。
かつての「鉄は国家なり」の時代のノスタルジーが背後にあるが、それが最近また出てきたのか?それはこの小説の匠さ以上に、鉄鋼の好景気がある。しかし特殊鋼というところにこだわれば、実は最強の特殊鋼メーカー、日立金属への対抗心から出てきた企画ともいえなくはない。
この会社は優秀な特殊鋼メーカーで最先端技術を突き進みすぎるきらいがあり、しかも巧妙なアナリストたちの誘導の罠にはまり、鉄鋼株でありながら電子産業のみを展開しているようなイメージに落とし込められている。その力学の延長にこの企画はありと見たい。部分修正の洗脳なら、そういう手法もありえようが、歴史の大きな流れから考えるとそれは成り立たないというものだといわざるをえない。
奥にある私の叫びとしては、鉄鋼だって最先端のハイテク技術だということです。