なんでも雑談「北朝鮮の工作員」についてご紹介しています。
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マンション掲示板さん [更新日時] 2025-05-22 16:56:37

辛 光洙(シン・グヮンス、1929年6月27日 - )は、韓国の政治犯。日本人拉致に関わった北朝鮮の工作員。通称「坂本(さかもと)」[1]。1978年、福井県に住む若い男女地村保志と妻の富貴恵を拉致した実行犯で、1980年には原敕晁を拉致して彼の戸籍を横領し、「原敕晁」名義の運転免許証や旅券を取得して彼になりすまし、日本や韓国で工作活動をつづけた[1]。

シン・グヮンス
辛 光洙
???
生誕
1929年6月27日(92歳)
日本の旗 静岡県浜名郡新居町
別名
坂本(さかもと)
立山 富蔵(たてやま とみぞう)
辛 洙光(シン・スグァン)
洪 万植(ホン・マンシク)
黄 万植(ファン・マンシク)
廬 在烈(ロ・ジェヨル)[1]。
出身校
ブカレスト工科大学機械学部
罪名
日本人を拉致し、そのパスポートで韓国に入国し、韓国で工作活動
刑罰
死刑。のち無期懲役に減刑。1999年に恩赦で釈放
人物 編集

1929年(昭和4年)、静岡県浜名郡新居町(現・湖西市)生まれ[1]。幼少期の日本名は「立山 富蔵」(たてやま とみぞう)。父は土木作業員だった辛チョンダル、母は徐ミョンダムで、五男二女の五男として生まれた[1]。のちに兵庫県尼崎市に一家で移り、立花第一尋常小学校に入学、小学校3年生のとき富山県高岡市に移り、高岡市立下関国民学校に転校した[1]。国民学校から高等国民学校に進み、卒業後の1943年に高岡工芸学校(現在の高岡工芸高校)機械科に入学した[1]。

1945年8月の太平洋戦争終結後、高岡工芸学校を中退して日本を離れ、慶尚北道浦項市鶴山洞に定住し、浦項中学校に編入された[1]。浦項中学では左翼運動にかかわったとして指名手配され、兄を頼ってソウルに逃走、ソウルでは旧制普成中学校への編入が許可された[1]。1950年に朝鮮戦争の勃発で北朝鮮義勇軍に志願入隊、前線の戦闘に参加した[1]。1952年には朝鮮労働党への入党が許可され、53年には勲功メダルを授与された[1]。1954年にブカレスト工科大学予科入学、1960年には機械工学部を卒業して、機械技師資格を取得して北朝鮮に帰国した[1]。日本語、英語、朝鮮語、ロシア語の4ヶ国語を話す。1960年から1971年までエリートエンジニアとして朝鮮科学院で研究生活を送った[1]。その間、1度結婚したが、その妻とは死別し、その後、李元求(リ・ウォング)と結婚して一男三女をもうけた[1]。1971年、朝鮮労働党の命により工作員となった[1]。

1973年に元山港から工作船で能登半島に不法入国し、大阪方面、長野県、ついで東京の在日朝鮮人で子連れの寡婦だった朴春仙(パク・チュンソン)の家で暮らし始めた[1][2]。この時の辛の生活は石高健次が1994年頃、朴から聞いている。朴によると辛は2階の1室を借りて住みこんだ。しかし来客を嫌い、2階の部屋に閉じこもるほど、工作活動の漏洩には注意していた。外出して書籍を買ってくる時は決まって日本政府の白書(主に防衛、軍事関係)だった。北朝鮮への郵送物は自分では行かず、朴が代わりに行くことが多かったが、絶対に「東京国際郵便局に行ってくれ。近所の郵便局ではだめだ」と話していたという。石高が朴からこれらのことを聞くことができたのは、朴からの依頼であり、「私がかつてスパイ(=辛)と暮らしていたから」と話を切り出したという。辛はのちに朴に対し自分が工作員である旨を話しているが、朴は土台人ではなく、本人は知らぬ間に協力させられていたのである。1974年秋、朴は辛の子どもも身ごもったが、最終的に出産を断念した[3]。傷心の朴を辛は北陸方面への旅行に誘った[3]。辛は滑川市の海岸で1時間半くらい調べごとをし、朴は東京に帰されたので日帰り旅行となった[3]。その2、3か月後、今度は九州旅行に誘われ、宮崎市の海岸まで出かけたが、いつもは受信ばかりなのに、今回は朝鮮語で発信もしていた[4]。1975年も後半になると、辛光洙は出張の方が多くなって家を空けることが多くなった[5]。1976年2月、辛光洙は家を出て北朝鮮に3年ほど帰ることを春仙に告げた[5]。そして、大阪での工作活動をおこない、それが一段落した1976年8月、以前春仙と行った滑川の海岸から北朝鮮に密出国した[1][5]。ここまでが第1回目の浸透であった[1]。

平壌に召喚された彼は、1976年9月下旬から12月まで平壌直轄市龍城区域の龍城5号招待所に密閉収容されて政治学習などを行い、1977年1月からの半年間は工作員養成機関である金星政治軍事大学の外国語班で外国語習得を行った[1]。その後、万景台区域に移り、半年間、政治思想と通信技術、化学暗書法などの再教育を受け、さらに、78年から79年にかけては日本人化の再教育を受けた[1]。そして、1980年2月には2度目の浸透工作のため、日本に再派遣された[1]。再派遣に際して、金正日朝鮮労働党書記は、直接辛光洙に対し「日本人を拉致して北に連行し、日本人として完全に変身した後、対韓国工作活動を続けよ」との指示を下した[1][6]。

辛光洙事件の被害者である原敕晁は、在日朝鮮人の李三俊(星山俊夫)が経営する大阪市生野区鶴橋の中華料理店「宝海楼」にコックとして働いていた[6][7]。辛光洙は、1973年(昭和48年)に日本に密入国して以来、何度も北朝鮮との間を往復し、在日朝鮮人を工作員として組織する一方、韓国についての情報を集めるなどの職務に就いていた[6]。辛は李三俊に、未婚で親類縁者がなく、日本のパスポートを一度も発給されたことがなく、前科もなくて顔写真や指紋が当局にとられていない、また、借金や銀行預金がなく、長期間行方不明になっても騒がれる心配がない、45歳から50歳くらいの日本人男性を探せという指示を出した[6]。

李三俊は、自身が経営する鶴橋・千日前通の「宝海楼」の従業員原敕晁に目をつけた[6][7]。原が独身で身寄りがないと思われていたからであった[6]。李三俊は原に「いつまでもこの仕事ではきついだろう。知り合いに事務職を募集している会社があるから、そちらに行ってみてはどうか」と持ちかけ、貿易会社の社員になることを勧めた[6]。こうして「貿易会社」による原敕晁の面接がおこなわれることになったが、貿易会社の重役として辛光洙らとともに臨んだのが大阪朝鮮初級学校元校長の金吉旭であった[8]。金吉旭自身は、日本人で45歳から50歳くらいの男性と20歳くらいの女性の拉致を命じられていた。

そして、1980年6月、宮崎県青島海岸で、日本人原敕晁を李三俊・金吉旭らと共謀して拉致、同人になりすまして海外渡航を繰り返した。1985年にソウル特別市内で韓国当局に逮捕され、その取り調べによって辛は日本人を拉致したこと、その拉致した日本人に「背乗り」(はいのり)、つまり成りすまして工作活動を行ってきたことを自供した。韓国の裁判所はこれを事実として有罪判決を下した[9]。

逮捕に至った手がかりは、辛光洙が日本で利用していた土台人のネットワークを構成する者が、辛光洙のことを日韓の公安当局に通報したことによる[注釈 1]。当初は死刑判決を受けたが、後に無期懲役に減刑。1999年12月31日、金大中大統領によるミレニアム恩赦で釈放され、2000年9月2日、「非転向長期囚」として北朝鮮に送還された[9]。北朝鮮では、英雄として辛の記念切手が販売されている。

2005年12月30日、先に述べた調理師以外にも、現在帰国している一部の被害者や、新潟県新潟市で拉致された13歳の横田めぐみ等の拉致に、辛光洙と「朴」と名乗っていたチェ・スンチョルが実行犯として関わっていたことが明らかにされた。警視庁公安部は2006年2月23日、福井県小浜市から地村保志と妻の富貴恵を北朝鮮に連れ去った(1978年7月)ほか、原敕晁(ただあき)を拉致した(1980年6月)として、国外移送目的略取と国外移送の容疑で、再度逮捕状を取得、同3月3日、重ねて辛光洙をICPOを通じて国際指名手配し、北朝鮮に対し所在の確認と身柄の引き渡しを要求している。2016年7月25日に放送された朝鮮中央テレビの映像でおよそ8年ぶりに辛光洙とみられる人物の姿が確認された。

[スレ作成日時]2021-12-01 19:09:38

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北朝鮮の工作員

  1. 2 マンション掲示板さん

    金 賢姫(キム・ヒョンヒ、韓国語発音:キム・ヒョニ、韓国語: ???, ラテン文字転写: Kim Hyun-Hee、1962年1月27日 - )は、大韓航空機爆破事件(1987年)を実行した北朝鮮の元工作員。元死刑囚でもあったが後に特赦された。

    金 賢姫
    ? ??
    生誕
    1962年1月27日(59歳)
    朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国平壌市東大院区域東新洞
    現況
    大韓民国在住
    別名
    蜂谷真由美
    職業
    元北朝鮮工作員
    罪名
    大韓航空機爆破事件を実行
    刑罰
    死刑判決後に特赦された
    配偶者

    子供
    男児1人、女児1人

    金元錫(キム・ウォンシャク、父)
    林名植(母)
    有罪判決
    死刑
    金賢姫
    各種表記
    ハングル:
    ???
    漢字:
    金賢?
    発音:
    キム・ヒョニ/キム・ヒョンヒ
    日本語読み:
    きん けんき
    ローマ字:
    Gim Hyun-Hee
    テンプレートを表示
    人物 編集

    官僚の娘として生まれ、4歳まで海外で過ごす。母親は日本統治時代の朝鮮半島中部・開城市の出身。9歳頃から北朝鮮の映画などに出演する女優経験者。

    大韓航空機爆破事件を実行するため、「李恩恵」と呼ばれる女性(日本から拉致された田口八重子とみられている)に、1981年7月から1983年3月まで東北里2階3号招待所で日本語教育を受け、「蜂谷 真由美(はちや まゆみ)」という名の日本人になりすました。

    事件後に、現地バーレーンの警察に捕まる直前、「蜂谷 真一(はちや しんいち)」という名で、日本国旅券の日本人に背乗りしていた、共犯の金勝一(キム・スンイル、???)と共に、煙草を吸うふりをして服毒自殺を図るが、金賢姫だけは一命を取りとめた。これは、煙草に致死量の猛毒が含まれており、北朝鮮本国から捕まったら自殺しろ、という命令を受けていたが、金賢姫は喫煙の習慣がなかったためである。

    事件後、大韓民国国家安全企画部(現・大韓民国国家情報院)に引き渡され、捜査官に尋問される際も、日本語や中国語で返答していた。取調べの際、暴力を振るわれたり拷問を受けたり、最悪の場合は死をも覚悟していたが、そのようなことは全くなかった。連日繰り返される綿密な事情聴取の中で、日本人や中国人であるとする主張の数々の矛盾点を指摘された上、「日本に住んでいた時に使っていたテレビのメーカーは?」という質問に、日本や中国出身者ならば答えない筈の北朝鮮ブランド「チンダルレ」と答えて、捜査員に見破られる。

    捜査員に夜のソウル市街へ連れ出された際、北朝鮮で受けた説明とは全く異なる繁栄ぶりや、誰にも気兼ねせずに政治家の不平不満を口にする一般市民の姿に驚愕し、女性捜査員と風呂での入浴中に、熱湯をかけられる不意打ちを喰らい、咄嗟に出た朝鮮語により、結局は隠し切れずに自白した。なお、自著で、当時でも西側では当たり前だった拡大コピーや縮小コピーに驚愕し、西側の科学力に驚いた旨のことが記されている。自白後、聖書を通してイエス・キリストを知り、ソウルの汝矣島(ヨイド)にある中央浸礼教会で受浸、クリスチャンになった。

    北朝鮮で日本語教育を受けており、日本語がとても堪能である。北朝鮮で李恩恵と一緒に暮らし、日本の文化や習慣、和食などを習得した。

    北朝鮮による日本人拉致問題について「田口八重子は生きている」「横田めぐみさんが自殺したとは考えられない」と発言している。

    2010年2月、日本国政府は金賢姫を日本へ招聘する考えを表明。7月20日早朝、日本国政府のチャーター機で訪日が実現。23日に韓国へ帰国した。21日、22日に横田滋ら拉致被害者家族と面会した。滞在の場所として、鳩山由紀夫前首相の軽井沢別荘が、警備上等の理由で選ばれている。日本国政府は元来、死刑囚や懲役5年以上の刑を受けた外国人の日本への入国は出入国管理及び難民認定法の規定で認めていないが、千葉景子法務大臣が、出入国管理及び難民認定法の12条特例条項を適用して日本への入国を認め、日本の警察も日本国旅券偽造による旅券法違反容疑による事情聴取を、今回の来日中は見送った[1]。

    この訪日に関して、自民党、公明党等の野党から、超法規的措置判断での日本入国や関越自動車道等の封鎖、ヘリコプターによる遊覧飛行などの、いわゆる要人待遇に非難の声が強まっている。中井洽拉致問題担当大臣は、遊覧飛行は大韓民国側の要請によって行われた、と主張しているが、大韓民国国家情報院は、韓国から日本に要望した事実はないと否定している[2]。

    家族 編集

    本貫は慶州金氏。

    父 ― 金 元錫(キム・ウォンソク、???)。元・外交官。大韓航空爆破事件当時はアンゴラに駐在していたとの報道があったが、アンゴラ政府は該当する人物はいないと述べている。
    母 ― 林 明植(リム・ミョンシク、???)。開城出身(朝鮮戦争前は韓国領)であることを隠していた。年頃の娘が工作員として召喚されため、何年間も会えないこと、婚期をのがすのではないかということを悩んでいた。キリスト教の信仰をひそかに持っていた。
    妹 ― 金 賢玉(キム・ヒョノク、???)。結婚していたが、夫は心臓麻痺で死亡。
    弟 ― 金 賢洙(キム・ヒョンス、???)。
    弟 ― 金 範洙(キム・ポムス、???)。皮膚がんにより15歳で死亡している。
    来歴 編集

    特赦までの来歴は『北朝鮮女秘密工作員の告白』、『金賢姫全告白 いま、女として』による。

    1962年1月27日 - キューバ駐在の北朝鮮大使館三等書記官の父と教師の母との長女として平壌市東大院(トンデウォン)区域東新(トンシン)洞で生まれ、生後間もなく父の赴任先であるキューバへ行きハバナで暮らす。4歳の時に平壌に帰国。
    1968年9月 - 平壌西城(ソソン)区域下新(ハシン)洞の下新人民学校(小学校)に入学する。なお人民学校は4年制で、満6歳で入学する。3年生のとき映画「社会主義の祖国を訪ねた英秀(ヨンス)と栄玉(ヨンオク)」に出演。
    1972年9月 - 平壌の5年制の中新(チュンシン)中学校に入学。1年生のとき映画「娘の心(娘の心情)」に出演。
    1972年11月2日 - 平壌近郊のヘリコプター発着場にて韓国代表団の張基栄に花束を贈る。このとき、日本共産党機関紙「赤旗」の萩原遼特派員が写真を撮っていた。その後、大韓航空機爆破事件のあと、日本共産党発行の雑誌『グラフこんにちは』に掲載、その後大月書店発行の萩原の著書『ソウルと平壌』に収録。
    1977年9月 - 金日成総合大学生物学部に入学。予科1年を修了。
    1978年9月 - 平壌外国語大学日本語科に入学。
    1980年3月 - 朝鮮労働党中央委員会調査部工作員として召還され、金淑姫と組になる。金賢姫は金玉花(金玉華)との偽名を与えられる。
    1980年4月 - 1981年4月 朝鮮労働党作戦部に属する金正日政治軍事大学工作員速成情報クラスに入学。
    1981年4月 - 7月 韓国化教育を受ける。
    1981年7月 - 1983年3月 東北里2階3号の招待所で、李恩恵から日本語教育を受ける。
    1982年4月 - 朝鮮労働党に入党。
    1983年3月中旬 - 1986年7月 ヨンソン地区ヨングン洞所在ヨンソン40号招待所にて、李指導員からスパイ実務教育を受ける。
    1984年8月15日 - 10月 金勝一、張指導員と初めての実際の任務につく。日本の蜂谷真一、蜂谷真由美の親子の偽名と偽造日本国旅券を使用した。モスクワ・ブダペスト・ウィーン・コペンハーゲン・フランクフルト・チューリッヒ・ジュネーヴ・パリを経て、9月20日に金賢姫はバンコク・香港・マカオに向かった。金勝一は、ソウルに向かい、9月26日以降にマカオで再び合流、中華人民共和国・広州へ渡り、北京を経て平壌に帰国した。このときの任務は不明だが、9月25日に韓国の大邱(テグ)で殺人事件と北朝鮮工作員の自殺事件があったことが述べられている。
    1985年1月 - 6月 龍城(ヨンソン/リヨンソン)5号招待所にて、金淑姫、成仁愛と中国人化教育をうける。
    1985年7月 - 1986年6月 広州にて、朴昌海(ボク・チャンヘ)の指導のもと海外語学実習。
    1986年8月 - 1987年1月 マカオのミョンジュンデ・アパート1号棟3階A号室にて金淑姫と自炊生活。
    1987年2月 - 9月 平壌ヨンソン43号工作員招待所にて再武装教育。
    1987年9月 - 10月 マカオの永住権を取得するために待機。
     (以下の破壊工作については大韓航空機爆破事件に詳細あり)

    1987年10月4日 - マカオから平壌に緊急指令にて帰国。李対外情報調査部長から「88(パルパル)」(ソウルオリンピック)を妨害するために、金勝一と共に韓国の飛行機を落とす任務を与えられる。攻撃目標は「11月28日のバグダッド発アブダビ経由ソウル行き、南朝鮮の大韓航空858便だ」と告げられる。金勝一は、中東ではイラン・イラク戦争が進行中だから空港の検問・捜査が厳しい、と異議を唱えたが、金正日の自筆承認計画で変更できない、と告げられたとされる。
    1987年11月29日 - 平壌の順安飛行場から、モスクワ・オーストリア・ベオグラードを経てバグダッドに到着し、ここからKAL858号機に乗り込んだ。アブダビでAM/FMラジオ(実際にラジオとして動作する)に偽装した時限爆弾と、酒瓶に詰めた液体爆弾を青のビニール製ショッピングバッグに詰め、座席 (7B、7C) の上の棚に置いたまま二人は飛行機を降り、バーレーンに向かう。
    1987年11月29日 - KAL858号機ビルマ上空で失踪。アブダビで大韓航空機から降りた搭乗者の名簿を韓国の国家安全企画部がチェックした結果、不審な日本人2名の名前が浮かぶ。日本の警察に照会した結果、女の日本国旅券が偽造であることが発覚する。
    1987年12月1日 - バーレーン空港での出国手続き時、日本国旅券を偽造した容疑で、金賢姫が現地警察に逮捕される。二人とも、いずれ日本に連行されれば拷問されて殺されると考えていたため、金賢姫はマールボロに隠された青酸系毒薬のアンプルを、警官からひったくって自殺を図ったが、警官のハッサンがとびかかったため、完全に噛み砕けなかった。青酸ガスのため気を失って倒れたが、3日後に息を吹き返し一命をとりとめた。またこのとき膝を怪我した。一方、金勝一は金賢姫が騒ぎを起こしている間に青酸系毒薬を服毒し死亡した。
    1987年12月15日 - 韓国・ソウルに移送された。
    1987年12月23日 - 当初、日本に住んでいた中国人であるとして、日本語や中国語を話し、供述を拒んでいたが、捜査官に見破られ朝鮮語で事件の自供を始める。
    1989年 - 死刑判決が確定したが、翌1990年に韓国大統領・盧泰愚によって特赦される。
    特赦後、外交官だった実父を含む家族が強制収容所に収容されたことを知る。
    1990年7月21日 - 韓国に住む南北分断家族である親戚と会う。
    1997年 - 日本テレビのスペシャル番組『あの人は今!?』に出演。市川森一にコロッケなどをご馳走した。
    1997年 - ボディーガードだった元国家安全企画部の部員の男性と結婚した。その後名前を変え、男児を出産し、ソウル市内で普通の主婦として暮らしているとされた。
    1998年 - 金大中政権が誕生。以降2期10年に渡って親北政権・太陽政策が続き、親北ムードに沸く韓国世論にも押され、逃亡に近い生活を余儀なくされる。2005年には後述の通り、事件は韓国の国家安全企画部(現・国家情報院)が仕組んだ謀略ではないのかという疑惑が浮上し、これについて2005年2月、国家情報院の「過去事件の真実究明をとおした発展委員会」が事件の再捜査を決定。証人として金賢姫が証言する事になったが、実際には一度も召喚されなかったため、証言は一切行われなかった。後に国家情報院は、「政治的に利用されたのは事実であるが、事件自体は真実である」という調査結果を発表している。
    2007年 - アメリカに向けて、亡命のために出国したとの情報が流れる。大韓民国政府並びに韓国のアメリカ大使館はこの情報を否定。
    2009年1月 - 表舞台から姿を消して以来2年ぶりに、『月刊朝鮮』元編集長で編集委員、現在は「趙甲済ドットコム」を主宰する趙甲済との単独インタビューに応じていたことが判明。これにより韓国内で健在である事が確認される。内容は同誌2月号にも掲載された。
    2009年3月11日 - 日本人拉致被害者の田口八重子の長男・飯塚耕一郎らと釜山のBEXCO[3]で面会。1997年の結婚後約12年ぶりに公の場に現れる。この面会は、拉致被害者家族会から外務省への面会要請を受けて日韓両政府が仲介し、実現した。
    2010年7月20日 - 大韓航空機爆破事件以来、初めて韓国を出国し、訪日。

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サンウッド荻窪

東京都杉並区荻窪4-12-2

1億1990万円~1億3690万円

2LDK・3LDK

54.32m2~66.51m2

総戸数 19戸

[PR] 東京都の物件

バウス加賀

東京都板橋区加賀1-3356-1他2筆

未定

1LDK+S(納戸)~5LDK

59.49m2~127.92m2

総戸数 228戸

レジデンシャル高円寺

東京都杉並区高円寺南4-4-13ほか

6900万円台~1億3500万円台(予定)

1LDK~3LDK

33.37m2~60.55m2

総戸数 23戸

クラッシィタワー新宿御苑

東京都新宿区四谷4丁目

4億9900万円・25億円

2LDK

97.68m2・211.4m2

総戸数 280戸

リビオ三田レジデンス

東京都港区芝5丁目

未定

1LDK~3LDK

40.12m2~118.87m2

総戸数 50戸

レジデンシャル品川荏原町

東京都品川区中延5-1310-1

未定

1LDK~3LDK

32.35m2~95.58m2

総戸数 41戸

リビオタワー品川

東京都港区港南3丁目

未定

1LDK~3LDK

42.1m2~103.39m2

総戸数 815戸

レジデンシャル中野鷺宮

東京都中野区鷺宮3-157-2

8098万円~1億598万円

3LDK

63.58m2~71.24m2

総戸数 41戸

シャリエ椎名町

東京都豊島区南長崎一丁目

6,390万円~1億2,390万円

1LDK~3LDK

38.36m²~63.10m²

総戸数 82戸

クレストタワー西日暮里

東京都荒川区荒川4-8

未定

2LDK~3LDK

48.2m2~70.02m2

総戸数 113戸

ディアナコート大井町翠景

東京都品川区大井6丁目

未定

1LDK+S~3LDK ※Sはサービスルーム(納戸)です。

55.16m²~138.83m²

総戸数 43戸