マンションなんでも質問「マンションの地名本当なの?目黒、目白、小石川、東京」についてご紹介しています。
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どうなってるの [更新日時] 2009-08-10 23:25:00

マンションのネーミングだけでは住所がわからない、
目黒、目白、小石川、品川 なんでこんなに広範囲なのでしょうか。

挙げ句の果てにマンション名から一般人には
場所が何処だか理解できない TOKYO○○・・・、東京○○。

[スレ作成日時]2006-01-15 12:50:00

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マンションの地名本当なの?目黒、目白、小石川、東京

  1. 22 匿名さん

    吉祥寺、井の頭公園も大安売り!三鷹市下連雀、牟礼、新川それと練馬区。なんとなく気が引けて
    住所にマンション名が書けない・・・

  2. 23 匿名さん

    >22
    わはは。まさにうちがそれだ。
    調布にもあるぞ

  3. 24 匿名さん

    このスレでも取り上げられている目白という地名・エリアについてですが、、、

    目白というエリアの概念は、いかにも曖昧で移ろい易いものです。ともすると、東京で生まれ
    育った者でさえ、その歴史や故事来歴をうっかり間違えてしまうほどです。そもそも「目白」
    という地名の由来は、およそ120年ほど前、現在のJR山手線目白駅(当時の日本鉄道品川
    線目白停車場)に新駅舎を作ろうした際、その駅名を、当時は現在の文京区関口にあった新長
    谷寺の目白不動尊(昭和20年5月、新長谷寺は戦災で焼失。このため目白不動の本尊は、現在
    豊島区高田の金乗院に移設)の名にあやかって「目白停車場」と名づけたことに始まります。
    ちなみに、江戸五色不動というものがあって、目白不動の他には、目黒不動 - 泰叡山瀧泉寺
    東京都目黒区下目黒)、目赤不動 - 南谷寺(東京都文京区本駒込)、目青不動 - 教学院
    東京都世田谷区太子堂)、目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三輪)があります。目白不動が
    目白の地名のオリジンであることから、当初目白不動が存在した現在の文京区関口界隈は、こ
    れはもう歴史的にも立派な目白と云えますし、その後目白不動が移って来た金乗院がある豊島区
    高田も、ある意味では目白と云って差支えないでしょう。とは云え、世間一般では山手線目白駅
    開業以降、駅周辺一帯を自然に「目白」と呼び慣わすようになったものと考えられ、現在の目白
    エリアのイメージがそれ以降固まります。即ち、目白駅を中心として、目白通り沿いに東西に広
    がる住宅地・文教エリアこそが、現在も多くの人達がイメージする目白エリアの原点と云えるで
    しょう。しかし不思議なことに、その当時目白駅周辺には「目白」という住所も住居表示も存在
    せず、あるのは落合や高田といった地名のみでした。ところが、その後厄介の事が起こります。
    昭和7年の大東京市35区移行に伴い、北豊島郡下の巣鴨町、西巣鴨町、長崎町、高田町の4町
    が統合し豊島区が誕生しましたが、この際、旧高田町を中心に「目白」という住居表示が実施さ
    れ、本来は、より広いエリアを意味するはずだった目白という地域の中で、「目白」と殊更公式
    に表示される地域が出て来てしまったのです。このため、こうした目白の歴史や故事来歴をよく
    理解していない地方出身者等を中心に、「目白」=「豊島区目白」と云った間違った理解・認識
    が一部に広まってしまったことを否定できません。勿論、豊島区目白も目白エリアの一部ではあ
    りますが、決して豊島区目白こそが目白を代表する唯一絶対の目白でないことに留意が必要です。
    なお、目白のいわゆるお屋敷町・高級住宅地が形成された起源は、明治初期、現在の新宿区下落
    合界隈の凡そ2万坪に及ぶ天領を、近衛篤麿公爵(五摂家筆頭近衛家当主。学習院長、貴族院議
    長を歴任。近衛文麿元内閣総理大臣の実父)が明治天皇から下賜給わり、そこに広大な敷地の大
    邸宅を構えたことに由来します。従って、現在でも旧近衛邸界隈一体を目白近衛町と呼び慣わし
    ます。また、目白通りを挟んだ北側の豊島区目白にも、同じ頃から尾張徳川家が邸宅を築き、そ
    れが目白界隈の高級住宅地の走りとなります。なお、現在では徳川黎明会や徳川ビレッジ等に、
    その面影を見ることができます。
    いずれにしても、このような歴史や故事来歴等に鑑みれば、新宿区下落合・中落合・中井(目白
    文化村)、豊島区目白・高田・雑司ヶ谷、文京区目白台・関口等含む幅広い地域を、いわゆる
    「目白エリア」と呼ぶことで特段の差し支えはないものと思われますが、より厳密に言えば、
    目白というエリア名の由来である目白駅周辺部、特に新宿区下落合や豊島区目白界隈の古くから
    の由緒正しき真の山の手高級邸宅街こそが、狭義での正当なる「目白」と云えると思われます。

  4. 25 匿名さん


    何で改行しないのですか?
    読みにくいです。

  5. 26 改行しました

    このスレでも取り上げられている目白という地名・エリアについてですが、、、

    目白というエリアの概念は、いかにも曖昧で移ろい易いものです。ともすると、
    東京で生まれ
    育った者でさえ、その歴史や故事来歴をうっかり間違えてしまうほどです。
    そもそも「目白」という地名の由来は、およそ120年ほど前、現在のJR
    山手線目白駅(当時の日本鉄道品川線目白停車場)に新駅舎を作ろうした際、
    その駅名を、当時は現在の文京区関口にあった新長谷寺の目白不動尊(昭和
    20年5月、新長谷寺は戦災で焼失。このため目白不動の本尊は、現在の豊島区
    高田の金乗院に移設)の名にあやかって「目白停車場」と名づけたことに始
    まります。ちなみに、江戸五色不動というものがあって、目白不動の他には、
    目黒不動 - 泰叡山瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)、目赤不動 - 南谷寺
    東京都文京区本駒込)、目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂)、
    目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三輪)があります。目白不動が目白の地名
    のオリジンであることから、当初目白不動が存在した現在の文京区関口界隈
    は、これはもう歴史的にも立派な目白と云えますし、その後目白不動が移って
    来た金乗院がある豊島区高田も、ある意味では目白と云って差支えないでしょ
    う。とは云え、世間一般では山手線目白駅開業以降、駅周辺一帯を自然に「目
    白」と呼び慣わすようになったものと考えられ、現在の目白エリアのイメージ
    がそれ以降固まります。即ち、目白駅を中心として、目白通り沿いに東西に広
    がる住宅地・文教エリアこそが、現在も多くの人達がイメージする目白エリア
    の原点と云えるでしょう。しかし不思議なことに、その当時目白駅周辺には
    「目白」という住所も住居表示も存在せず、あるのは落合や高田といった地名
    のみでした。ところが、その後厄介の事が起こります。
    昭和7年の大東京市35区移行に伴い、北豊島郡下の巣鴨町、西巣鴨町、長崎
    町、高田町の4町が統合し豊島区が誕生しましたが、この際、旧高田町を中心
    に「目白」という住居表示が実施され、本来は、より広いエリアを意味するは
    ずだった目白という地域の中で、「目白」と殊更公式に表示される地域が出て
    来てしまったのです。このため、こうした目白の歴史や故事来歴をよく理解し
    ていない地方出身者等を中心に、「目白」=「豊島区目白」と云った間違った
    理解・認識が一部に広まってしまったことを否定できません。勿論、豊島区
    白も目白エリアの一部ではありますが、決して豊島区目白こそが目白を代表す
    る唯一絶対の目白でないことに留意が必要です。
    なお、目白のいわゆるお屋敷町・高級住宅地が形成された起源は、明治初期、
    現在の新宿区下落合界隈の凡そ2万坪に及ぶ天領を、近衛篤麿公爵(五摂家筆
    頭近衛家当主。学習院長、貴族院議長を歴任。近衛文麿元内閣総理大臣の実父)
    が明治天皇から下賜給わり、そこに広大な敷地の大邸宅を構えたことに由来し
    ます。従って、現在でも旧近衛邸界隈一体を目白近衛町と呼び慣わします。
    また、目白通りを挟んだ北側の豊島区目白にも、同じ頃から尾張徳川家が邸宅
    を築き、それが目白界隈の高級住宅地の走りとなります。なお、現在では徳川
    黎明会や徳川ビレッジ等に、その面影を見ることができます。
    いずれにしても、このような歴史や故事来歴等に鑑みれば、新宿区下落合・中
    落合・中井(目白文化村)、豊島区目白・高田・雑司ヶ谷、文京区目白台・関
    口等含む幅広い地域を、いわゆる「目白エリア」と呼ぶことで特段の差し支え
    はないものと思われますが、より厳密に言えば、目白というエリア名の由来で
    ある目白駅周辺部、特に新宿区下落合や豊島区目白界隈の古くからの由緒正し
    き真の山の手高級邸宅街こそが、狭義での正当なる「目白」と云えると思われ
    ます。

  6. 27 匿名さん

    だから、せっかくまじめそうな文章なので読もうと思うのに、
    めちゃくちゃ読みづらい!!!
    25さんの言ううとおり、読みやすくしてくれ!

  7. 28 匿名さん

    お経かとオモタヨ・・・・

  8. 29 改行しました

    目白というエリアの概念は、いかにも曖昧で移ろい易いものです。ともすると、
    東京で生まれ
    育った者でさえ、その歴史や故事来歴をうっかり間違えてしまうほどです。
    そもそも「目白」という地名の由来は、およそ120年ほど前、現在のJR
    山手線目白駅(当時の日本鉄道品川線目白停車場)に新駅舎を作ろうした際、
    その駅名を、当時は現在の文京区関口にあった新長谷寺の目白不動尊(昭和
    20年5月、新長谷寺は戦災で焼失。このため目白不動の本尊は、現在の豊島区
    高田の金乗院に移設)の名にあやかって「目白停車場」と名づけたことに始
    まります。ちなみに、江戸五色不動というものがあって、目白不動の他には、
    目黒不動 - 泰叡山瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)、目赤不動 - 南谷寺
    東京都文京区本駒込)、目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂)、
    目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三輪)があります。目白不動が目白の地名
    のオリジンであることから、当初目白不動が存在した現在の文京区関口界隈
    は、これはもう歴史的にも立派な目白と云えますし、その後目白不動が移って
    来た金乗院がある豊島区高田も、ある意味では目白と云って差支えないでしょ
    う。とは云え、世間一般では山手線目白駅開業以降、駅周辺一帯を自然に「目
    白」と呼び慣わすようになったものと考えられ、現在の目白エリアのイメージ
    がそれ以降固まります。即ち、目白駅を中心として、目白通り沿いに東西に広
    がる住宅地・文教エリアこそが、現在も多くの人達がイメージする目白エリア
    の原点と云えるでしょう。しかし不思議なことに、その当時目白駅周辺には
    「目白」という住所も住居表示も存在せず、あるのは落合や高田といった地名
    のみでした。ところが、その後厄介の事が起こります。
    昭和7年の大東京市35区移行に伴い、北豊島郡下の巣鴨町、西巣鴨町、長崎
    町、高田町の4町が統合し豊島区が誕生しましたが、この際、旧高田町を中心
    に「目白」という住居表示が実施され、本来は、より広いエリアを意味するは
    ずだった目白という地域の中で、「目白」と殊更公式に表示される地域が出て
    来てしまったのです。このため、こうした目白の歴史や故事来歴をよく理解し
    ていない地方出身者等を中心に、「目白」=「豊島区目白」と云った間違った
    理解・認識が一部に広まってしまったことを否定できません。勿論、豊島区
    白も目白エリアの一部ではありますが、決して豊島区目白こそが目白を代表す
    る唯一絶対の目白でないことに留意が必要です。
    なお、目白のいわゆるお屋敷町・高級住宅地が形成された起源は、明治初期、
    現在の新宿区下落合界隈の凡そ2万坪に及ぶ天領を、近衛篤麿公爵(五摂家筆
    頭近衛家当主。学習院長、貴族院議長を歴任。近衛文麿元内閣総理大臣の実父)
    が明治天皇から下賜給わり、そこに広大な敷地の大邸宅を構えたことに由来し
    ます。従って、現在でも旧近衛邸界隈一体を目白近衛町と呼び慣わします。
    また、目白通りを挟んだ北側の豊島区目白にも、同じ頃から尾張徳川家が邸宅
    を築き、それが目白界隈の高級住宅地の走りとなります。なお、現在では徳川
    黎明会や徳川ビレッジ等に、その面影を見ることができます。
    いずれにしても、このような歴史や故事来歴等に鑑みれば、新宿区下落合・中
    落合・中井(目白文化村)、豊島区目白・高田・雑司ヶ谷、文京区目白台・関
    口等含む幅広い地域を、いわゆる「目白エリア」と呼ぶことで特段の差し支え
    はないものと思われますが、より厳密に言えば、目白というエリア名の由来で
    ある目白駅周辺部、特に新宿区下落合や豊島区目白界隈の古くからの由緒正し
    き真の山の手高級邸宅街こそが、狭義での正当なる「目白」と云えると思われ
    ます。

  9. 30 匿名さん

    >>29
    救いようが無い。

  10. 31 匿名さん

    >>24さん、解説ありがとう。

    このスレでも取り上げられている目白という地名・エリアについてですが、、、

    目白というエリアの概念は、いかにも曖昧で移ろい易いものです。
    ともすると、東京で生まれ育った者でさえ、その歴史や故事来歴を
    うっかり間違えてしまうほどです。

    そもそも「目白」という地名の由来は、およそ120年ほど前、
    現在のJR山手線目白駅(当時の日本鉄道品川線目白停車場)に
    新駅舎を作ろうした際、その駅名を、当時は現在の文京区関口に
    あった新長谷寺の目白不動尊(昭和20年5月、新長谷寺は戦災で焼失。
    このため目白不動の本尊は、現在の豊島区高田の金乗院に移設)
    の名にあやかって「目白停車場」と名づけたことに始まります。

    ちなみに、江戸五色不動というものがあって、目白不動の他には、
    目黒不動 - 泰叡山瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)、
    目赤不動 - 南谷寺(東京都文京区本駒込)、
    目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂)、
    目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三輪)があります。
    目白不動が目白の地名のオリジンであることから、当初
    目白不動が存在した現在の文京区関口界隈は、これはもう歴史的にも
    立派な目白と云えますし、その後目白不動が移って来た金乗院がある
    豊島区高田も、ある意味では目白と云って差支えないでしょう。

    とは云え、世間一般では山手線目白駅開業以降、駅周辺一帯を自然に
    「目白」と呼び慣わすようになったものと考えられ、現在の目白
    エリアのイメージがそれ以降固まります。即ち、目白駅を中心として、
    目白通り沿いに東西に広がる住宅地・文教エリアこそが、現在も多くの
    人達がイメージする目白エリアの原点と云えるでしょう。
    しかし不思議なことに、その当時目白駅周辺には「目白」という住所も
    住居表示も存在せず、あるのは落合や高田といった地名のみでした。

    ところが、その後厄介の事が起こります。
    昭和7年の大東京市35区移行に伴い、北豊島郡下の巣鴨町、西巣鴨町、
    長崎町、高田町の4町が統合し豊島区が誕生しましたが、この際、
    旧高田町を中心に「目白」という住居表示が実施され、本来は、
    より広いエリアを意味するはずだった目白という地域の中で、「目白」と
    殊更公式に表示される地域が出て来てしまったのです。
    このため、こうした目白の歴史や故事来歴をよく理解していない地方出身者等を
    中心に、「目白」=「豊島区目白」と云った間違った理解・認識が一部に
    広まってしまったことを否定できません。
    勿論、豊島区目白も目白エリアの一部ではありますが、決して豊島区目白こそが
    目白を代表する唯一絶対の目白でないことに留意が必要です。

    なお、目白のいわゆるお屋敷町・高級住宅地が形成された起源は、明治初期、
    現在の新宿区下落合界隈の凡そ2万坪に及ぶ天領を、近衛篤麿公爵(五摂家筆頭
    近衛家当主。学習院長、貴族院議長を歴任。近衛文麿元内閣総理大臣の実父)が
    明治天皇から下賜給わり、そこに広大な敷地の大邸宅を構えたことに由来します。
    従って、現在でも旧近衛邸界隈一体を目白近衛町と呼び慣わします。
    また、目白通りを挟んだ北側の豊島区目白にも、同じ頃から尾張徳川家が邸宅を
    築き、それが目白界隈の高級住宅地の走りとなります。
    なお、現在では徳川黎明会や徳川ビレッジ等に、その面影を見ることができます。

    いずれにしても、このような歴史や故事来歴等に鑑みれば、新宿区下落合・
    中落合・中井(目白文化村)、豊島区目白・高田・雑司ヶ谷、文京区目白台・
    関口等含む幅広い地域を、いわゆる「目白エリア」と呼ぶことで特段の差し支えはないものと
    思われますが、より厳密に言えば、目白というエリア名の由来である目白駅周辺部、
    特に新宿区下落合や豊島区目白界隈の古くからの由緒正しき真の山の手高級邸宅街こそが、
    狭義での正当なる「目白」と云えると思われます。

  11. 32 匿名さん

    あっちこっちに同じ文章投稿しないでよね。

  12. 33 匿名さん

    目白というエリアの概念は、いかにも曖昧で移ろい易いものです。
    ともすると、東京で生まれ育った者でさえ、その歴史や故事来歴をうっかり間違えてしまうほどです。
    そもそも「目白」という地名の由来は、およそ120年ほど前、現在のJR山手線目白駅(当時の日本鉄道品川線目白停車場)に新駅舎を作ろうした際、その駅名を、当時は現在の文京区関口にあった新長谷寺の目白不動尊(昭和20年5月、新長谷寺は戦災で焼失。このため目白不動の本尊は、現在の豊島区高田の金乗院に移設)の名にあやかって「目白停車場」と名づけたことに始まります。
    ちなみに、江戸五色不動というものがあって、目白不動の他には、目黒不動 - 泰叡山瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)、目赤不動 - 南谷寺(東京都文京区本駒込)、目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂)、目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三輪)があります。
    目白不動が目白の地名のオリジンであることから、当初目白不動が存在した現在の文京区関口界隈は、これはもう歴史的にも立派な目白と云えますし、その後目白不動が移って来た金乗院がある豊島区高田も、ある意味では目白と云って差支えないでしょう。とは云え、世間一般では山手線目白駅開業以降、駅周辺一帯を自然に「目白」と呼び慣わすようになったものと考えられ、現在の目白エリアのイメージがそれ以降固まります。
    即ち、目白駅を中心として、目白通り沿いに東西に広がる住宅地・文教エリアこそが、現在も多くの人達がイメージする目白エリアの原点と云えるでしょう。
    しかし不思議なことに、その当時目白駅周辺には「目白」という住所も住居表示も存在せず、あるのは落合や高田といった地名のみでした。ところが、その後厄介の事が起こります。
    昭和7年の大東京市35区移行に伴い、北豊島郡下の巣鴨町、西巣鴨町、長崎町、高田町の4町が統合し豊島区が誕生しましたが、この際、旧高田町を中心に「目白」という住居表示が実施され、本来は、より広いエリアを意味するはずだった目白という地域の中で、「目白」と殊更公式に表示される地域が出て来てしまったのです。
    このため、こうした目白の歴史や故事来歴をよく理解していない地方出身者等を中心に、「目白」=「豊島区目白」と云った間違った理解・認識が一部に広まってしまったことを否定できません。
    勿論、豊島区目白も目白エリアの一部ではありますが、決して豊島区目白こそが目白を代表する唯一絶対の目白でないことに留意が必要です。
    なお、目白のいわゆるお屋敷町・高級住宅地が形成された起源は、明治初期、現在の新宿区下落合界隈の凡そ2万坪に及ぶ天領を、近衛篤麿公爵(五摂家筆頭近衛家当主。学習院長、貴族院議長を歴任。近衛文麿元内閣総理大臣の実父)が明治天皇から下賜給わり、そこに広大な敷地の大邸宅を構えたことに由来します。
    従って、現在でも旧近衛邸界隈一体を目白近衛町と呼び慣わします。また、目白通りを挟んだ北側の豊島区目白にも、同じ頃から尾張徳川家が邸宅を築き、それが目白界隈の高級住宅地の走りとなります。なお、現在では徳川黎明会や徳川ビレッジ等に、その面影を見ることができます。
    いずれにしても、このような歴史や故事来歴等に鑑みれば、新宿区下落合・中落合・中井(目白文化村)、豊島区目白・高田・雑司ヶ谷、文京区目白台・関口等含む幅広い地域を、いわゆる「目白エリア」と呼ぶことで特段の差し支えはないものと思われますが、より厳密に言えば、目白というエリア名の由来である目白駅周辺部、特に新宿区下落合や豊島区目白界隈の古くからの由緒正しき真の山の手高級邸宅街こそが、狭義での正当なる「目白」と云えると思われます。

  13. 34 匿名さん

    どうやら目白って、かなりもめているようですね。旧住民、新住民、落合、目白、高田・・・ 関りたくないですね。

  14. 35 匿名さん

  15. 36 匿名さん

  16. 37 匿名さん

    目白の解説はもういいです。

  17. 38 匿名さん

  18. 39 匿名さん

    小石川ガーデンヒルズ
    http://www.google.com/search?q=cache:www.****/search/re_info-1567.html

    千石2丁目です

  19. 40 匿名さん
  20. 41 匿名さん

    メインエントランスが杉並区なので、全体の住居表示は杉並区
    いう「グランメゾン杉並シーズン」っていうマンションもあります。

    積水ハウスX杉並最大級マンション」とうたいながら、敷地面積の
    90%が練馬区で10%が杉並区ってどうなの?とは思いますが...

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59.16m2~73.78m2

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ピアース石神井公園

東京都練馬区石神井町3丁目

7,000万円台予定~1億1,000万円台予定※1000万円単位

1LDK+S~3LDK ※Sはサービスルーム(納戸)です。

43.04m²~63.42m²

総戸数 42戸

レ・ジェイド目黒

東京都目黒区下目黒三丁目

未定

1LDK~2LDK+S ※Sはサービスルーム(納戸)です。

45.15m²~80.86m²

総戸数 62戸

リビオ三田レジデンス

東京都港区芝5丁目

未定

1LDK~3LDK

40.12m2~118.87m2

総戸数 50戸

ヴェレーナ西新井ザ・ハウス

東京都足立区島根4-239-5他

未定

2LDK・3LDK

62m2~80.73m2

総戸数 46戸

クレストプライムシティ南砂

東京都江東区南砂3-11-118他

未定

2LDK+S(納戸)~3LDK

58.04m2~82.35m2

総戸数 396戸

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シャリエ椎名町

東京都豊島区南長崎一丁目

6,390万円~9,590万円

1LDK・2LDK

38.36m²~55.19m²

総戸数 82戸

バウス加賀

東京都板橋区加賀1-3356-1他2筆

未定

1LDK+S(納戸)~5LDK

59.49m2~127.92m2

総戸数 228戸

リビオタワー品川

東京都港区港南3丁目

未定

1LDK~3LDK

42.1m2~103.39m2

総戸数 815戸

クラッシィタワー新宿御苑

東京都新宿区四谷4丁目

4億9900万円~25億円

2LDK~3LDK

97.68m2~211.4m2

総戸数 280戸

リビオ光が丘ガーデンズ

東京都練馬区高松6丁目

4,800万円台予定~9,100万円台予定

1LDK~3LDK

43.67m²~75.44m²

総戸数 74戸

レジデンシャル中野鷺宮

東京都中野区鷺宮3-157-2

未定

2LDK~4LDK

54.33m2~80.11m2

総戸数 41戸

ヴェレーナ久が原

東京都大田区東嶺町135-10

未定

1LDK~3LDK

30.41m2~71.26m2

総戸数 52戸

ユニハイム小岩

東京都江戸川区南小岩7丁目

7990万円

2LDK+S(納戸)

71.87m2

総戸数 45戸

クレストタワー西日暮里

東京都荒川区荒川4-8

未定

2LDK・3LDK

48.2m2~70.02m2

総戸数 113戸

イニシア町屋ステーションサイト

東京都荒川区町屋2-662-7他7筆

6798万円~8898万円

1LDK+S(納戸)~3LDK

50.64m2~60.2m2

総戸数 83戸