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謝謝!台湾 僕たちはいつまでも友達だよ!
拜拜!韓国 じゃあね。バイバイ!
【タイトルと本文の一部を削除しました。2012.03.27 管理担当】
[スレ作成日時]2012-03-26 22:23:00
謝謝!台湾 僕たちはいつまでも友達だよ!
拜拜!韓国 じゃあね。バイバイ!
【タイトルと本文の一部を削除しました。2012.03.27 管理担当】
[スレ作成日時]2012-03-26 22:23:00
>【重要証言】「日本の兵隊さんは本当に素晴らしかった」【ザ・ファクト】
ええ~~~っ、「証言ほどあてにならないものはない!」って言ってたじゃん!!!
>「日本人は犬、助けるな」発言の議員補佐が解任=台湾 2011/03/14(月) 11:32
台湾の黄昭順・立法院委員は14日までに同委員事務室の趙志勲主任を解任したと発表した。
趙元主任は、日本の東北・関東地方で11日に発生した大震災と尖閣諸島の問題を絡め、インターネットで
「助ける必要はない」、「日本人は犬だ」などと表明し、非難が集中していた。立法院委員は台湾の「
議会議員」に相当する。委員の事務所主任は「議員補佐」の役職。中国新聞社が報じた。
趙元主任は12日、インターネットで「なぜ、日本人を助ける必要があるのか。
釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)をまず考えるべきだ」との意見を表明した。
「軍を釣魚島に出動させるチャンス」とのコメントが寄せられると、さらに「東京を攻めて、
数千万人を殺してやりたい」、「訂正。殺すのは日本の犬どもだった」などと書き込んだ。
>台湾からも訴えられた!!
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/isaiban_ichiran.html
>台湾立法院の「慰安婦問題の迅速な解決を日本政府に要求する」決議文
立法院第7期第2会期第8回会議議案関係文書 立法院議案関係文書 中華民国97年11月5日
http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/ketugi.html
提案の由来:
本院委員 黄淑英、楊麗環、頼清徳、潘孟安等28名は、本院に次のような決議案を提出した:
「日本政府が、はっきりとした、曖昧ではない態度で、戦時中の日本軍性奴隷制度の歴史的責任を受けとめ、正式に認め、謝罪し、生存している被害者に対し、直接、謝罪と賠償をおこない、一日も早く『慰安婦』被害者の名誉と尊厳を回復し、国連人権委員会の提案を遵守し、かつ現在と未来の世代に、関連の史実を正確に教えることを要求する。」
説明:
一、第二次大戦中、日本はその植民地および占領区で、脅迫したり、騙したり、誘拐したりして無数の婦女、少女を集め、従軍性奴隷とし、軍隊に性のサービスを提供させた。日本政府はいまだに、この戦争責任を正式に認めようとせず、かつ事実を否認する不当な発言を繰り返し、無数の女性の名誉と尊厳を更に傷つけ、日本政府名義での謝罪と賠償を拒み、被害者の受けた傷は、いまだに癒えることはない。
二、今年は第二次大戦終結から63年になる。「慰安婦」問題等戦争が残した問題を徹底的に解決し、かつ「慰安婦」被害者の名誉を回復をするために、日本政府は必要な補償措置をとるべきである。
三、台湾で生存している「慰安婦」被害者は、すでに80歳、90歳になっている。その生あるうちに賠償問題を解決することは、人権を重視することでもあり、阿媽たちの名誉と尊厳を回復することにもなる。2007年8月2日のアメリカ議会での「はっきりと、曖昧ではない態度で、歴史の責任を受けとめ、正式に認め、謝罪するこを日本政府に要求する」決議案の通過に鑑み、本院も、この決議案通過を重視、「慰安婦」人権問題が再度重視された国際的潮流に沿うことを希望した。日本政府がいまだ解決していない「慰安婦」問題を正視し、立法化し、被害者に直接賠償することを要求する。
提案者:黄淑英 楊麗環、頼清徳、潘孟安
連署:林正二 呂學樟 翁金珠 洪秀柱 陳 蛍 侯彩鳳 劉盛良 孔文吉 陳亭妃 林建榮 林益世 陳福海 朱鳳芝 陳根徳 林鴻池 徐少萍 楊仁福 江義雄 呉清池 張嘉郡 紀
台湾にも中国の政治工作員が多数いますからね。
それでも基本方針は親日ですよ。台湾の対中の意識のほうが
はるかに強く敏感です。一時期、軍事力で強制併合なんて話もありましたからね。
今は尖閣のために一種の協調作戦を台日の関係に亀裂を入れようと躍起ですが
仮に尖閣が帰属できたらたちまち台湾も用無しで強引な併合もあろうる。
台湾もバカじゃないから中国の作戦には乗りません。
台湾の人は日本人は歓迎してくれますよ。
今現在でも台湾では東北に被災に対して募金を続てくれています。
その間に50億も増加したと言います。
今回のオリンピックは親日の国にはスペシャルシートがあっても良いと
思います。
>>282
>台湾からも訴えられた!!
ふんふんふん
どれどれ。。。。
あー、これ詐欺だわ。 97年から16年も経ってるが、その後どーなった?www
台湾の元慰安婦(92)
「ジープに乗せられ19歳でインドに連行された。歴史を忘れないでほしい」西早稲田で講演
http://www.m9l-o-l.com/archives/29289406.html
>ジープに乗せられ
>ジープに乗せられ
>ジープに乗せられ
ほほう。
なになに?
1939年の日本警察が1941年にアメリカ軍に配備されたジープで拉致したとな?
ぎゃははははははははははははははははははは!!!!
訴状による連行の状況
一九四二年、原告鄭が一九歳のときに柯鼻は原告鄭を魏という高雄の者に売り渡した。魏の妻は、原告鄭に対して看護婦の助手として読み書きのできる人が必要だからといって、アンダマンに行くことを指示した。二年間という説明であった。二一名の女性が一軒の旅館に集められ一週間程待機した後、同年六月四日高雄から日本の貨物船に乗船した。途中ペナン等に寄り、アンダマン(インド洋上の島)に上陸した。魏の妻も同行した。
アンダマンは小さな島であり、海岸線に日本軍の基地があり、現地人は山間部に居住していた。日本軍と現地人との交流や接触は一切なかった。近くには**といえるものも無かった。原告鄭の感じでは二千人位の兵隊が駐屯していた。部隊名は石川部隊といい、イー一九 或いはイー一七の番号がついていた。基地は囲い等はなく、軍用の建物が幾つかあり、その中の一つが原告鄭等女性用として割り当てられた。(中略)
上陸後すぐには何もなく、五日目位に魏の妻が原告鄭らを集めて「慰安所」であることを話した。女性らは魏の妻に話が違うといって食ってかかったが、同人は金は払ってある、親には話てる等といっていた
親日、台湾
台湾の交流協会表札にペンキと「慰安婦」シール
産経新聞 9月1日(土)11時39分配信
【台北=吉村剛史】日本の対台湾交流窓口機関、交流協会台北事務所(大使館に相当)敷地内の石碑形の表札にオレンジ色のペンキがかけられ、「慰安婦紀念碑」(記念碑)と書かれたシールが張られていたことが1日、分かった。 同協会前では、8月15日、沖縄県・尖閣諸島に香港の活動家らの抗議船が向かったのに合わせ、同諸島の主権を主張する台湾の活動家らや、慰安婦問題を訴える活動家らが抗議デモを展開していた。
もう韓国はあと数年で地球上から跡形もなく消える運命にあるわけだから、
日本は韓国を一切助けず教えず導かず、徹底的に放置プレイし続けていればいい。
そのかわり、日本に危害を加える動作を僅かでも始めたら万倍の懲罰を与えてやり
誰がこの世界の本当の主人なのかを体で学ぶ機会を与えてあげればそれでいいんだよ。
それが朝鮮に与える必要のある唯一の待遇であって
それ以上のものは何も与えてはならないね。
僅かでも温情や情けを与えてしまうと
居丈高になって牙をむき出して襲い掛かってくるからね。
猛獣の調教と人間の教育とを明確に区別することなく無秩序に混同せしめたところに
過去の日本の最大の過ちがあるわけだからね。
過去の歴史に反省するのであれば、
日本は「朝鮮人に人間としての権利を与えることは重大な犯罪である」ということを
新しい憲法に明記するべきであると思いますよ。
連行の状況
元慰安婦の証言と訴状とでは、全然違ってるじゃないですか。
訴状のほうがもっともらしいけど。
これだけ食い違ってると。
訴状を作成した人が、
証言そのままでは誰も信じてくれないので、
苦心惨憺つじつまをあわせたという疑いも生じますね。
婆さんのいうジープが、はたして米軍仕様のジープなのか。
これだけ、いい加減な婆さんだと、そこも怪しい。
軍用としても使ってる車は、婆さんの頭の中では、みんな「ジープ」なのかもしれんし。
アジア人の兵隊は、全部「日本兵」なのかもしれんし。
ねえねえ、みんな、・・・・・・ここで、マスターベーションして満足するよりも、
以下の55件を採択した国際連合、国々、地方公共団体に直接訴えて、撤回するなり、
そのあと、逆の採択をしてもらった方が効果的だよwww
日本以外の国々は、「日本は他国民の婦女子に性奴隷を強いた残虐・非道な国家、
しかも、謝罪も賠償も全く不十分で、むしろ、否定さえしようとしており許し難い」と断罪しているよ!
>慰安婦決議 世界で55件採択=日本地方議会は41件
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の従軍慰安婦問題の解決を求め世界の議会が採択した決議が14年間で55件に達したことが分かった。そのうち41件が日本の地方議会で採択された。
韓国政府機関の「対日抗争期の強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者ら支援委員会」は7日、先月までに各国の議会が採択した従軍慰安婦に関連する決議が韓国を除く8カ国・地域の中央・地方議会で計55件と集計されたと明らかにした。
>地域別では日本が41件で最多。
>米国が8件、オーストラリア、オランダ、カナダ、フィリピン、台湾、欧州連合(EU)がそれぞれ1件だった。
>米カリフォルニア州下院が1999年8月23日にマイク・ホンダ議員の主導で採択した
>旧日本軍の戦争犯罪に関する決議が第1号で、翌日には同州上院でも採択された。
その後、連邦議員に選出されたホンダ議員の働きかけにより2007年7月に連邦下院で同様の内容の決議が満場一致で採択された。連邦下院の採択はその後、各国で慰安婦関連決議が採択される起爆剤となった。
>2013年にはニューヨーク州上下院、ニュージャージー州上下院、イリノイ州下院で関連決議が採択された。
>米国以外では2007年にオーストラリア上院、オランダ下院、カナダ下院で、
>・2008年にはフィリピン下院、台湾の立法院(国会)で相次ぎ採択。
>EU欧州議会も2007年12月に決議を採択した。
加害国の日本では1990年代以降、慰安婦問題の解決を求める市民団体の活動が活発化。
>2008年3月に兵庫県宝塚市議会が日本の地方議会として初めて、慰安婦問題への政府の誠実な対応を求める意見書を採択した。
>2013年3月に京都府議会、6月には独島問題を抱える島根県の県議会でも採択されるなど、
>41の地方議会で同様の意見書が採択された。
衆議院、参議院での採択はない。
>各国議会の決議では日本政府に対し▼慰安婦の強制動員および性奴隷化を認め、
>歴史的責任を受け入れること▼被害者に対する謝罪と補償▼加害事実に対する歴史教育――などを求めている。
オーストラリアやカナダなどは日本政府対する謝罪勧告にとどまるが、
>米カリフォルニア州、EU、フィリピン、台湾などは被害者に対する補償を求めている。
>日本の地方議会は国際社会による糾弾の動きに言及し、慰安婦の強制動員を求めた
>・1993年の「河野談話」を継承・発展させ問題を解決するよう要求している。
支援委員会は「日本の多数の地方議会でさえ普遍的人権を尊重して戦争犯罪を警戒する市民の意思を集約し、政府に問題解決を促していることが確認された」と指摘。安倍晋三首相ら政治家に対し歴史歪曲(わいきょく)の動きを中止し、市民の常識を尊重して問題解決に乗り出すよう求めた。
2013年7月7日12時2分配信 (C)YONHAP NEWS
>米下院外交委員会 「従軍慰安婦」問題での決議(全文)
米下院外交委員会は二十六日、旧日本軍の「従軍慰安婦」問題で日本政府に公式な謝罪を求める決議を
圧倒的多数で採択しました。決議全文は次の通りです。
--------------------------------------------------------------------------------
一九三〇年代から第二次世界大戦を通じたアジアおよび太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間、
>日本政府が公式に、その帝国軍隊に対する性的強制労働を唯一の目的として若い女性の獲得を委託し、
これらの人々は「イアンフ」あるいは「comfort women」として世界に知られるように
なったのであり、
>日本政府による強制的な軍の売春である「慰安婦」制度は、
>二十世紀における最大の人身取引事件の一つであり、身体損傷や死、自殺をもたらした集団強・姦・
>(ご・う・か・ん・)、強制中絶、屈辱、性的暴力など、その残酷さと規模において
>未曽有のものとみなされ、
日本の学校で使用されるいくつかの新しい教科書は、「慰安婦」の悲劇や第二次世界大戦における
他の日本の戦争犯罪を軽視しようとしており、
日本の官民の関係者は最近、彼女たちの苦難に対して政府の真剣な謝罪と反省を表明した
一九九三年の河野洋平内閣官房長官の「慰安婦」に関する声明を薄め、あるいは無効にしよう
とする願望を示しており、
日本政府は、一九二一年の「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」に署名し、
武力紛争が女性に与える特別の影響を認識した二〇〇〇年の「女性と平和・安全保障に関する
国連安全保障理事会決議一三二五」を支持しているのであり、
下院は、人間の安全保障、人権、民主主義的価値および法の支配を促進する日本の努力と、
安保理決議一三二五の支持者となっていることを称賛し、
米日同盟はアジア・太平洋地域における米国の安全保障利益の礎であり、地域の安定と繁栄の基礎であり、
冷戦後の戦略環境における変化にもかかわらず、米日同盟は、アジア・太平洋地域において、
政治・経済的な自由の保持と促進、人権と民主的制度への支援、両国民と国際社会の繁栄の確保
をはじめとした、共通の死活的に重要な利益と価値に立脚し続けており、
下院は、一九九五年の日本における民間の「アジア女性基金」の設立に結びついた
日本の官民の関係者の懸命の努力と思いやりを称賛し、「アジア女性基金」は日本国民からの「
償い」を慰安婦に提供するために五百七十万ドルを集め、さらに、「慰安婦」の虐待および被害の償い
のための計画と事業の実施を目的とし、政府が主導し、資金の大部分を政府が提供した民間基金である
「アジア女性基金」の任務は二〇〇七年三月三十一日に終了し、基金はこの日付で解散されることに
なっている。
このため、以下が下院の意思であることを決議する。
日本政府は、
(1)一九三〇年代から第二次世界大戦中を通じたアジアおよび太平洋諸島の植民地支配と
戦時占領の期間、日本帝国軍隊が若い女性を「慰安婦」として世界に知られる性的奴隷となるよう
強制したことを、明瞭(めいりょう)であいまいさのないやり方で、公式に認め、謝罪し、
歴史的責任を受け入れるべきである。
(2)日本国首相が公的な資格での公的な声明として、このような謝罪をするなら、誠実さと、
これまでの声明〔注=河野談話のこと〕の地位をめぐって繰り返されてきた疑問を解くことに
貢献するだろう。
(3)日本帝国軍のための「慰安婦」の性奴隷化や人身取引などはなかったといういかなる主張
に対しても、明確に公式に反ばくすべきである。そして、
(4)「慰安婦」に関する国際社会の提案に従うとともに、この恐るべき犯罪について
現在と将来の世代を教育すべきである。
>同じ植民地だったのになぜ台湾は親日で韓国は反日なの?
何、眠たい事ぬかしとるんや!台湾もきっちり糾弾しとるがな~~~~
台湾立法院の「慰安婦問題の迅速な解決を日本政府に要求する」決議文
立法院第7期第2会期第8回会議議案関係文書 立法院議案関係文書 中華民国97年11月5日
提案の由来:
本院委員 黄淑英、楊麗環、頼清徳、潘孟安等28名は、本院に次のような決議案を提出した:
「日本政府が、はっきりとした、曖昧ではない態度で、戦時中の日本軍性奴隷制度の歴史的責任を受けとめ、正式に認め、謝罪し、生存している被害者に対し、直接、謝罪と賠償をおこない、一日も早く『慰安婦』被害者の名誉と尊厳を回復し、国連人権委員会の提案を遵守し、かつ現在と未来の世代に、関連の史実を正確に教えることを要求する。」
説明:
一、第二次大戦中、日本はその植民地および占領区で、脅迫したり、騙したり、誘拐したりして無数の婦女、少女を集め、従軍性奴隷とし、軍隊に性のサービスを提供させた。日本政府はいまだに、この戦争責任を正式に認めようとせず、かつ事実を否認する不当な発言を繰り返し、無数の女性の名誉と尊厳を更に傷つけ、日本政府名義での謝罪と賠償を拒み、被害者の受けた傷は、いまだに癒えることはない。
二、今年は第二次大戦終結から63年になる。「慰安婦」問題等戦争が残した問題を徹底的に解決し、かつ「慰安婦」被害者の名誉を回復をするために、日本政府は必要な補償措置をとるべきである。
三、台湾で生存している「慰安婦」被害者は、すでに80歳、90歳になっている。その生あるうちに賠償問題を解決することは、人権を重視することでもあり、阿媽たちの名誉と尊厳を回復することにもなる。2007年8月2日のアメリカ議会での「はっきりと、曖昧ではない態度で、歴史の責任を受けとめ、正式に認め、謝罪するこを日本政府に要求する」決議案の通過に鑑み、本院も、この決議案通過を重視、「慰安婦」人権問題が再度重視された国際的潮流に沿うことを希望した。日本政府がいまだ解決していない「慰安婦」問題を正視し、立法化し、被害者に直接賠償することを要求する。
提案者:黄淑英 楊麗環、頼清徳、潘孟安
連署:林正二 呂學樟 翁金珠 洪秀柱 陳 蛍 侯彩鳳 劉盛良 孔文吉 陳亭妃 林建榮 林益世 陳福海 朱鳳芝 陳根徳 林鴻池 徐少萍 楊仁福 江義雄 呉清池 張嘉郡 紀国棟 趙麗雲 余天 陳杰
「日本人は犬、助けるな」発言の議員補佐が解任=台湾 2011/03/14(月) 11:32
台湾の黄昭順・立法院委員は14日までに同委員事務室の趙志勲主任を解任したと発表した。
趙元主任は、日本の東北・関東地方で11日に発生した大震災と尖閣諸島の問題を絡め、インターネットで
「助ける必要はない」、「日本人は犬だ」などと表明し、非難が集中していた。立法院委員は台湾の「
議会議員」に相当する。委員の事務所主任は「議員補佐」の役職。中国新聞社が報じた。
趙元主任は12日、インターネットで「なぜ、日本人を助ける必要があるのか。
釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)をまず考えるべきだ」との意見を表明した。
「軍を釣魚島に出動させるチャンス」とのコメントが寄せられると、さらに「東京を攻めて、
数千万人を殺してやりたい」、「訂正。殺すのは日本の犬どもだった」などと書き込んだ。
日本統治を経験した世代の本音はこうだったそうな。
「きゃんきゃんきゃんきゃん、うるさい犬(日本軍)がいなくなって、やれやれと思ったら
何でも貪欲にくらい尽くす豚(国民党軍)が来やがった」
昔からの台湾人には感謝しかありません
日の丸をつけて南方を守って戦死した多くの台湾人
御身内の御霊が眠る日本の靖国に参拝する台湾人
日本を憎んだり恨んだりしない台湾人
私達日本人は、そんな台湾の方々にもっともっと感謝しなければ
台湾人がいい民族で本当に良かった
【日台友好】
熊本大津高校の白濱元校長 「生徒に謝罪求める中韓でなく台湾修学旅行を」
→ 生徒 「日本の良さも知り日本人として誇り持てた」
熊本県立大津高校(緒方一夫校長)は平成23年、熊本県内の公立高校として初めて、
修学旅行先に台湾を選んだ。反日意識が強い中国や韓国へ行く高校が全国に数多くある中、
異論もあったが、当時の校長と教員、PTAが努力し、日本と関係が深い台湾への
修学旅行を実現した。この取り組みは、日台の草の根交流につながっている。
23年、当時校長だった白濱裕氏は、生徒の内向き志向を懸念していた。
若者が世界を目の当たりにする機会をつくろうと、これまでスキーだった修学旅行先を
海外に見直すことにした。ことさら“戦争犯罪”を強調し、生徒にまで謝罪を求めるような
中国、韓国よりは、友好的な台湾がふさわしいと考えた。
県内の公立高校では台湾だけでなく海外への修学旅行は前例がなかった。
一部の保護者から安全面などを心配する声も上がったが、白濱氏が説得を続け、
賛同の輪が広がった。生徒も一念発起した。渡航前に中国語の特訓を受け、
台湾のこと、台湾の近代化に貢献した日本の先人について学んだ。
「初めて自分が日本人であることを自覚した」
「日本の良さを知り、日本人としての誇りを持てた」
生徒の感想からは、修学旅行の成果が読み取れる。
修学旅行は双方向の親善にもつながっている。
大津高校は修学旅行で台湾・新北市立海山高級中学を訪れ、交流している。
この海山高級中学の生徒67人が今月8日、修学旅行として大津高校を訪れた。
大津高校の生徒は英語や中国語を駆使し、くまモンと一緒に歓迎した。
大津高校に後押しされるように、行政も台湾との交流に歩み出した。
9月9日、蒲島郁夫知事と熊本市の幸山政史市長が台湾・高雄市を訪れ、
国際交流促進覚書を締結した。今後、熊本-台湾定期航空便も視野に入れるという。
昨年3月に校長を退任した白濱氏は、こう語った。
「生徒には台湾への修学旅行をきっかけに日本人としての誇りと自覚を抱き、
グローバルな視点を持って羽ばたいてほしい」
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131114/kmt13111402070001-n1.htm
∧∧
./ 支\
( `ハ´)
( )
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(_) ヽ_)[北朝]
| ̄ ̄ ̄| <ヽ`д´>
| | ( )
| | . ) /\\ グリグリ
| | (_) ヽ__)∧
| | ̄ ̄ ̄|.<`д´;> アイゴ!
| | |. U韓U )
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| | | <__<_〉
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| 一 | 二 | 三 |
| 等 | 等 | 等 |
| 中 | 中 | 中 |
| 国 | 国 | 国 |
| 人 | 人 | 人 |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(台北 22日 中央社)日本の杏林大学の創設者、松田進勇(台湾名:曽進勇)さんがかつて住んでいた家を、110年前の住所を頼りに探していた同大学の前学長、長澤俊彦さんが、台湾の友人らの協力を得て見つけ出した。台湾の複数のメディアが伝えている。
長澤さんは以前から、恩人である松田さんの故郷を探し出したいと思っていたが、手元にあった手がかりは1904年の「台湾台南州斗六郡斗南街」という住所だけ。そこで知人の蔡益助さんを通じて、雲林県斗南鎮の張勝雄鎮長に連絡を取り協力を依頼した。
幸運にも依頼を受けた張鎮長が同地の斗南小学校に「進勇亭」という建物があったことを思い出し、学校に確認を取ったところ、これは松田さんが60年前に寄付したものだと分かった。それからまもなく松田さんの息子、曽博豊さんとかつての家も見つかり、長澤さんの長年の夢が実現した。
長澤さんは20日、松田さんの母校やかつて住んでいた家などを訪問。博豊さんと対面し、台湾の人々の優しさにも触れることができ、とても価値のある旅になったと喜びを語った。
松田進勇さんは日本統治時代の1904(明治37)年生まれ。斗南小学校の教師を経て、日本の東京大学医学部を卒業。1966年に杏林短期大学、1970年に杏林大学医学部を創立している。
(澎湖 24日 中央社)トランスアジア(復興)航空の旅客機が23日、澎湖県馬公空港付近に墜落、炎上した事故で、一夜明けた24日、死亡した搭乗者の家族らが現地入りし、「招魂の儀式」などが行われた。
死者の霊を招いて鎮めるとされる招魂の儀式では、家族らが遺影を手に、犠牲となった乗客の名前を叫んだり、すすり泣くなど、深い悲しみに包まれた。
交通部民用航空局の沈啓局長は馬公空港で行った記者会見で、現場から48人分の遺体を回収したと発表した。ただ、損傷の激しいものもあるため、今後さらに詳しい調査を行うとしている。
事故現場では重機での作業が開始され、残骸の撤去を進めるとともに、機体の下などの捜索が行われている。
(台北 14日 中央社)台湾中南部の雲林県西螺で日本統治時代の1909(明治42)年に創業した醤油製造会社、丸荘醤油が甘さとしょっぱさが混ざった独特の風味を持つ醤油アイスクリームを販売している。
最近のアイスクリームブームにあやかろうと荘英志総経理(社長)自らが開発に携わったという醤油アイスクリームは、黒豆、黒豆豆乳、うす塩醤油、砂糖などを絶妙に配合した一品。食べやすさを第一に考え、アクセントに黒豆の顆粒も加えた。
創業当時の名前は「荘義成醤園」。第二次世界大戦中には同県虎尾で唯一醤油製造が認められた老舗で、創始者の荘清臨さんが採用した「荘」の字を丸で囲った標章は現在でも使用されている。
醤油文化を伝えようと、丸荘醤油では6年前に雲林県で初の観光工場「醤油博物館」を開設。使用が停止された西螺工場を観光客などに無料で開放し、製造工程や機具などの解説を行っている。
【台湾の反応】金城武のCMが人気過ぎて台湾・宜蘭で心配広がる!|台湾の反応ブログ
金城武さんはこのほど、中華電信のコマーシャルに出演。
ロケ地には台湾北東部・宜蘭県の宜蘭文学館と合盛太平珈琲館が使用された。
http://www.taiwannohannou.com/archives/9855150.html
40年以上も前の事、台湾と取引をしていたお隣のおばさんの会社は毎年台湾旅行
土産話では日本と変わらない自由で豊な民主国家を想像できた
貴重なバナナも作っていた
同じ頃の韓国は貧しい国だった
テレビニュースに映る韓国人の姿は、日本とは別世界で地味で暗かった
その頃の韓国人はベトナムで女性を強姦殺戮していたのだから、世相も暗い訳だ
当時からバナナが生る南国台湾は憧れだった
(東京 27日 中央社)乗客乗員48人が死亡、10人が負傷したトランスアジア(復興)航空機の事故を受け、日本各地などでクラシックカーイベントを主催する「ラリーニッポン」の小林雄介代表理事をはじめとするメンバーが、寄付金を渡す意向であることを明らかにした。小林さんは「亡くなられた方のご遺族や負傷者のお役に立てれば」と話している。
ラリーニッポンは東日本大震災での台湾からの支援に感謝するため、昨年11月に台湾でラリーイベントを開催している。
小林さんによれば、ラリー開催時には多くの台湾の人のお世話になり、復興航空の林明昇董事長(会長)からも支援を受けたことに触れ、2013年の活動参加メンバーを中心に集められた100万円を寄付することになったという。
また、「亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、負傷された方の一日も早い完治を祈っています」とした上で、力を合わせてこの局面を打破してもらいたいと語っている。
集められた寄付金は28日にも台湾に届けられる予定で、今後も引き続き寄付を募るとしている。
高校生、しかも、女生徒による残虐事件・・・・、
日本の性が出てしまった事件としか言いようがない!
<高1同級生殺害>「自分から会いたいと誘った」供述
毎日新聞 7月29日(火)15時0分配信
長崎県佐世保市の高1同級生殺害事件で、殺人容疑で逮捕された女子生徒(16)が「自分から会いたいと誘った」と供述していることが、捜査関係者への取材で分かった。県警によると、殺害された松尾愛和(あいわ)さん(15)は、1週間ほど前から女子生徒の家に遊びに行くと家族に話しており、県警は計画的だったとみて経緯を詳しく調べる。
県警によると、女子生徒は松尾さんと会う約束をして、事件当日の26日の日中に佐世保市内の繁華街で待ち合わせた。市内で買い物などを楽しんだ後、女子生徒が1人で住む市内のマンションに一緒に行った。
逮捕容疑は、26日午後8時ごろ、マンションの女子生徒の部屋で、松尾さんの後頭部を工具で多数回殴り、ひものようなもので首を絞めるなどして殺害したとしている。遺体はベッドにあおむけの状態で、一部が切断されていた。
室内からのこぎり、ハンマーなどが見つかっており、女子生徒は「自分で買った」と話している。県警は周到に準備をしていたとみている。捜査関係者によると、女子生徒は「人を殺してみたかった」という趣旨の供述もしており「解剖に興味があった」とも話している。捜査関係者によると、2人の間には何らかのトラブルもあったとみられるという。
県警によると、松尾さんの死亡推定時刻は26日午後8~10時ごろで、死因は首を絞められたことによる窒息死だった。【梅田啓祐、大場伸也】
台湾人は優しい民族だから、好きです
他にパラオ、バングラディシュ、インドネシア、インドも好きです
旭日旗、君が代に敬意を払ってくれる国々
韓国とは全く違う価値観を持ち、日本の悪口告げ口拡散をしない国々
アセアン会議で日本の悪口を提供した韓国は、東南アジアの国々から一喝されました
東南アジアは韓国より貧しくとも、大人の対応が出来る成熟した国
高い人間性を持つ東南アジアは、韓国を追い抜くでしょう
323そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください。323そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください。323そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください。
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(台北 29日 中央社)李登輝元総統(91)は英BBC放送(中国語版)の単独インタビューで、台湾は独立した国で“台湾の正常化”は皆が努力すべきことだと強調するとともに、台湾の将来に自信を持っているとの考えを示した。
自らの年齢より台湾の未来こそが自身にとって最大の関心事だと話す李氏。台湾が現在直面している問題として、政府が国民の声に耳を傾けることを最優先にしていないこと、各政党の代表が民衆の意見を反映していないこと、生活に対する一般市民の自信が足りないことなどを挙げ、これらの問題を解決するためにも2016年の総統選で「政権交代してほしい」と語った。
釣魚台(日本名:尖閣諸島)の主権問題については、台湾と日本の間に存在するのは“領有権”問題でなく“漁業権”問題だとし、同島は日本の領土だとする自らの主張に改めて言及した。
自分は歴史的にどう評価されたいかと聞かれた際、「李登輝政権の時代がよかった」と人々に言ってもらえればと答えた。
(台北 29日 中央社)中部・南投県にある台湾電力大観発電所が今年で営業運転開始80周年を迎え、29日に同県出身の呉敦義副総統らが参加した記念式典が行われた。
大観発電所は近隣の日月潭の水を利用して発電する水力発電所で、日本統治時代の1918(大正7)年に完成、1934(昭和9)年に「日月潭第一発電所」として営業運転を開始した。5基の発電機が生み出す10万キロワットの出力は、当時アジア最大を誇り、台湾で必要とされていた電力の約70%をまかなったという。戦後の1985年には大観二廠(第二発電所)が運用を始めている。
呉副総統は、幼い頃から大観発電所の電力で育ち、自身が南投県長を務めていた時期に第二発電所が完成したと話し、台湾電力の黄重球董事長(会長)は、1999年の台湾大地震で被災した際、多くの作業員が早期の復旧に向けて取り組んだことなどを振り返った。
80年間で328億キロワット時の電力を発電したとされる大観発電所の謝鵬洲所長は、近代的な機械がなく、交通が不便だった時代に、過酷な環境を乗り越えて建設された施設を「奇跡的な工事だった」とした上で、一般市民の生活だけでなく商工業の発展においても大きな役割を果たしたと長年の活躍を称えた。
台湾人、「どんなに韓国人が世界中で嫌日工作をしても、私達は日本の味方だ!」
http://urageispo.com/archives/30221000.html
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http://urageispo.com/archives/30221000.html
(嘉義 30日 中央社)夏の研修プログラムで台湾を訪問している広島県の私立尾道高校の生徒15人が29日、嘉義市の嘉義公園を訪れ、園内にある孔子廟や日本統治時代の神社跡などを見学した。
嘉義市政府によれば、今年初めに広島県尾道市の平谷祐宏市長が同市を訪れ、友好都市として提携する可能性を示唆したこともあり両市の交流が進んでいるという。嘉義市は生徒たちの訪問に際し、観光処を通じて日本語と英語のガイドの派遣を行った。
嘉義公園は日本統治時代の1910(明治43)年に造られ、園内には1943(昭和43)年に建てられた嘉義神社の社務所などが残っている。現地を訪れた生徒たちからはひっきりなしに質問が飛び出し、関心の高さがうかがえた。
生徒たちが参加しているのは、台湾の中正大学が初めて開催した、台湾と日本の歴史を深く理解してもらうためのプログラムで、4泊5日の全行程が英語と中国語のカリキュラムで構成されている。
我々は台湾人民に同情す。
マルクスを選びし中国、朝鮮国は世界の良心也。台湾人民よ、恨め国民党、学べマルクス・レーニン主義を。
嗚呼不破先生、志位委員長等は偉大なり、必ずや我々を導き、台湾をも解放せんことを
(嘉義 31日 中央社)かつての嘉義県・阿里山のシンボルで16年前に切り倒されたタイワンヒノキ(紅檜)の巨木、「神木」の周囲にこのほど新たな桟道が設置され、一般開放された。観光客は様々な角度から神木を眺めながらその雄姿をしのぶことができる。
玉山(旧名・新高山)に隣接し、日の出・雲海・鉄道・神木・花見などで有名な阿里山の観光エリアは海抜2000メートル以上に位置する。元々は地元先住民・ツォウ族の狩りの場だったが、日本統治時代の1900(明治33)年に日本人によって阿里山の森林が発見され、1904(明治37)年に調査が始まった。
阿里山の「神木」は高さ52メートル、樹齢3000年以上と現地でも最大級の巨木。1906(明治39)年11月に日本の技師、小笠原富次郎によって発見され、1912(大正元)年に木材運搬用の阿里山森林鉄道が開通すると、その名を内外に知られ、台湾を代表する名物となった。しかし、1953年と1956年に落雷に遭い、腐敗も進んで1997年の豪雨の際に樹の幹が大きく傾き、1998年6月29日に切り倒された。
阿里山を管理する林務局嘉義林区管理処では今回、「生命輪廻(りんね)」をコンセプトに倒れた神木の周辺を整備して景観スポットとしたもので、観光客は至近距離から倒れた巨木を眺めながら、阿里山鉄道の列車の横にふんばって立つかつての神木の雄姿に思いを馳せることができる。
嘉義林管処では2009年より阿里山森林遊楽区(遊歩道エリア)の全面的な見直しを行っており、沼平公園の整備、沼平駅舎の改築、祝山林道の歩車分離、旅客サービスセンターの景観改善など各種工事を進めている。
そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください。323そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください。そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください。323そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください。そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください。323そしたら、台湾で行われた旧日本軍の残虐行為も認めてください
【朗報】事実上の東京五輪辞退?都知事が極右安倍自民党の「ヘイトスピーチがなくならないなら東京オリンピックを返上。」韓国の大統領に約束したという。週刊文春が「リップサービス」と書いていて、否定的だが、これは朗報だ。あの悪口ざんまいの根投与、極右ファシスト安倍総理、極右政党自民党、極右団体桜チャンネル 極右団体在特会が黙るとは思えない。事実上の東京五輪辞退となりそうだ。
まーーーーーたまた安倍自民党が暴言!!!!! 今度は安倍自民党の井上環境副大臣 「(放射能の指定廃棄物最終処分場が)最高得点で、ここに決まりました。」と暴言。 もはやゲーム感覚で、放射能を押し付ける安倍自民党!
(台北 2日 中央社)台湾東部で日本統治時代に建てられた製糖施設、「台東糖廠」の工場跡が、フィンランド出身の建築家、マルコ・カサグランデさんの手によって先月30日、「台東廃墟学院」としてオープン、国際文化交流拠点に生まれ変わろうとしている。台湾の複数メディアが伝えた。
「台東糖廠」は日本統治時代の1913(大正2)年に建設され、台東の産業を牽引していたが1996年に閉鎖された。工場は昔の原型を保っているが、屋根のすき間からは陽の光が遠慮なく射し込んで室内の大きな機械を照らしている。
「廃墟建築」で知られ、昨年ヨーロッパ建築賞を受賞したカサグランデさんは、地元台湾の園芸家や20名余りのボランティアと共に2週間かけて工場内に庭園をしつらえた。ここでは生命力あふれる植物たちが機械と機械の間で青々と自由に育ち、さびれた工場が醸し出す雰囲気と対照を成している。
カサグランデさんは、この製糖工場には日本人の知恵が至るところに見られ、サトウキビを絞った後の残りかすは紙や板の製造に使い、自給自足に近い運営によってエネルギーの浪費を避けていたことがうかがえるという。また、工場内の改装にあたっては台湾先住民と漢人の文化的要素が盛り込まれており、先住民の知恵、特に自然との調和を強調したいとする。
「台東糖廠」の工場跡は2日から17日まで開催される「台湾デザイン展」に合わせて一般開放される。その後は予約制による参観を受付けるほか、各種ワークショップの開催など国際芸術文化交流の拠点として活用され、工場の入り口に設けられた畳敷きの和風空間が訪れる人を迎え入れる。
(台北 4日 中央社)日本統治時代に台湾初の百貨店として台北市の中心部に開業し、現在は銀行となっている「菊元百貨店」のビルが店舗移転にともない貸し出されることになっているが、建物を貴重な文化遺産とみなし、商業的用途優先による解体を懸念している市民団体などの声を受け、台北市文化局ではこのほどこの建築を文化資産として追跡調査することを決めた。台湾の複数メディアが伝えている。
1932(昭和7)年は11月末に台湾初の百貨店「菊元百貨店」が北部の台北に、続く12月には台南に「ハヤシ百貨店」が創業し、台湾は“デパートラッシュ”に沸いた。いずれも6階建てと当時としてはモダンな高層建築で、それぞれ“七重天”、“五棧樓”の愛称で親しまれ、エレベーター“流籠”も人々に珍しがられた。
その後、16年前ハヤシ百貨店が台南市の旧跡に指定され、改修工事を経て今年6月、文化的要素を兼ね備えた商業施設として新しいスタートを切ったのに対し、菊元百貨店は戦後もデパートとして利用され1970年代末期の改築で外観が大きく変わったが、その後、国泰世華銀行の台北支店として30年以上歩んできた。
この間2度に及ぶ大規模な改修が行われており、今回市の委託で専門家グループが行った調査によると内装や内部構造は当時とは全く異なり、台湾初とうたわれたエレベーターの跡はなく、現在かつての原型をとどめ日本時代の面影を残しているのはビルの構造部分のみだという。
だが、「菊元」保存を訴える市民団体の代表は建物の存在自体が意義深いと主張。同時期に建てられた台南の林百貨が史跡として守られてきたのに、台北の菊元百貨が無視されるべきではないと強調する。
台北市政府文化局では、専門家による調査を受けて今後「菊元百貨店」を文化資産の追跡調査対象とすることを決定。所有者の国泰グループが建物の転売、改築などを行う際は専門委による審査を経るものとし、将来文化的価値が認められれば、一定の権益保障を前提としつつも任意の変更を加えることはできないとしている。
(台北 6日 中央社)婦女救援基金会は5日、今月14日の慰安婦メモリアル・デーに合わせ、元慰安婦とされる台湾の女性らを応援する芸術作品を募集すると発表した。
基金会は、慰安婦制度を戦時中の女性の人権を侵害するものだったとし、日本政府が現在も「承認せず、謝罪せず、賠償せず」の立場を取り続けていることから、14日に元慰安婦らにエールを送るイベントを実施するという。
イベントでは香港のアーティスト文晶瑩さんと協力し、日本政府や女性らに対するメッセージやイラストなどを募るほか、14日午前10時からは日本の対台湾窓口機関・交流協会の台北事務所前で正式な謝罪と賠償を求める抗議活動を行うとしている。
(台北 11日 中央社)清代に建築された「台北城」の完成130周年に合わせた特別展「台北建城130周年」のオープニング記者会見が8日、国防部空軍司令部旧址体育館(台北市)で行われ、カク龍斌・台北市長らが出席した。(カク=赤におおざと)
この特別展は2つの会場で行われ、西本願寺広場の樹心会館(台北市)では「台北城」に関わる歴史などを、過去の文物、手記、写真、地図などを通して知ることができるほか、3D映像の技術を使った展示で清代や日本統治時代の市民の暮らしを体験することができる。
また、旧址体育館の展示では、第2次世界大戦中の米軍による空襲の様子や、日本の敗戦、光復(中華民国への復帰)後の復興から現代の発展に至るまでの台北の移り変わりを紹介している。
カク市長は挨拶で、小都市だった台北が270万人の大都市になる過程を見ることができると述べ、その発展と近代化の歴史を知ってほしいと語った。
特別展「台北建城130周年」は9月30日まで。
(新北 14日 中央社)新北市が運営する高齢者向けの生涯学習センター「松年大学」の修了式が13日に行われ、日本語会話クラスに通う劉鵬華さん(103)が、朱立倫新北市長などから表彰された。
劉さんは、100歳の時に永和区内の松年大学で開かれた口述歴史(オーラル・ヒストリー)のクラスに“入学”。その後、日本語会話クラスで3年間学び続けてきた。
指導にあたった林淑貞さんは、学習態度はまじめで、欠席も少なく、授業後も積極的に質問をしてきたと、劉さんの勤勉さを称える。この日の修了式では、劉さんは朱市長に流暢な日本語で挨拶をしたほか、日課とする太極拳も披露した。
毎朝6時に起床し、ヨガや太極拳、気功をしてから松年大学に通っていた劉さんは、「楽しい気持ちになる」と充実した毎日を振り返った。
同市の松年大学では来年は過去最多となる1万8500人を迎え入れることにしており、高齢者に楽しく健やかな暮らしを送ってほしいとしている。
2014年8月15日、人民網によると、台湾の李登輝元総統が9月中旬に訪日する。
関係者によると、李元総統は9月19日に関西国際空港に到着。20日に大阪、21日に東京で講演を行う。22日には再生エネルギー関連施設を視察し、23日に北海道札幌市を訪問。24日に台湾に近代農業を広めた新渡戸稲造の故郷を訪れ、25日に新千歳空港から台湾に帰国する。夫人や娘らとともに来日する予定だ。
李元総統が東京で行う講演のテーマは「今後の世界と日本」。日本の関係者は議員会館で行うよう調整しているという。また消息筋によると、李元総統は今回の訪日で、兄である李登欽(日本名:岩里武則)氏が祭られる靖国神社を参拝する可能性があるという。
台湾の日本への精神的恩恵は国賓に値する。
日本も焼け野原の中から未来を見据えて生きてきた。人を憎み
国を憎むと国が停滞する。自分の亡父の兄も戦死したが父は日本が世界に
誇れる経済国になった事をあの世で兄に伝えたいと生前、話していた。
父にすれば奇跡だと思う。日本は戦後十分に反省し、補償もしてきた。
戦争の恐ろしさをしているのは日本だと思う。家畜のように皆殺しにされたんだ。
無差別殺人の張本人はアメリカだ。いつも正義の仮面をかぶる殺人鬼。
だからアメリカにもお金を貸し、世界一の債権国になった。
それがアメリカへの仕返しだよ。
台湾は遥か昔にそのことに気がついて反日教育を止めた。
だから中国も幼稚な考えで周辺国に紛争の火種をばら撒くな。
共産党政権崩壊させればいいじゃないか?仮想敵国いらないだろ。
ゴルバチョフのような人物は出てこないのか?
更に幼稚な韓国を味方にしてもアジアの敵国は増えるだけだ。
(台北 15日 中央社)釣魚台列島(日本名:尖閣諸島)の主権を主張する「中華保釣協会」など複数の民間団体は、日本の「終戦の日」にあたる15日、日本側対台湾窓口機関・交流協会台北事務所の前で、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈を7月1日の閣議で決定した日本に対して抗議活動を行った。
一行は、きょうは侵略戦争を発動した日本が無条件降伏してから69年を迎えた日で、戦争がもたらす苦しみや悲しみを忘れないよう人々に呼びかけた。また、演劇の形で安倍首相に対する“公開裁判”を行うとともに、今後も引き続き行動に訴えて釣魚台に対する中華民国(台湾)の領有権を守ると宣言した。
ある参加団体の代表は、安倍政権による集団的自衛権の行使容認と日本での軍国主義の復活はアジアの平和を脅かすもので、日本に対して歴史を見つめなおし、戦争から学んだ教訓を忘れないよう求めた。
(台北 16日 中央社)馬英九総統は15日、岡田克也前副総理と総統府で会談し、台湾と日本の経済、貿易、観光交流などについて話し合った。
馬総統は岡田氏に対して、総統就任以来、台日を「特別なパートナー」と位置づけており、過去6年間の双方の関係は、1972年の国交断絶以来最も密接であると語った。
また、国際社会が台日に関して最も注目していることは、漁業取り決めの締結だと指摘。2013年5月に運用開始となったこの取り決めが大きな効果をもたらし、双方の間で起きたトラブルは2012年の17件から昨年は1件にまで減少、米国からも高い評価を受けていると述べた。
さらに、日本政府がこの6月、台湾が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)へ参加することについて、支持を表明したことに感謝の意を示したほか、今年上半期に日本を訪れた台湾からの観光客数が韓国を上回ったことなどを挙げ、台湾が日本の観光産業にとって重要なマーケットになっていると話した。
会談には古川元久元国家戦略担当相、日本の対台湾窓口機関、交流協会の沼田幹男代表などが同席した。
(台北 16日 中央社)日本統治時代の台湾に生まれた頼泰安さんが自身の経験をつづった「少年飛行兵よもやま物語」(1983年、光人社)の中国語版がこのほど台湾で出版された。
同書は頼さん(1929-2012年)が14歳で志願して少年飛行兵学校に入ってからの体験を書いたもので、当時の軍学校の生活などをうかがい知ることができる。
頼さんは1943(昭和18)年、第17期日本陸軍少年飛行兵として採用され、大津少年飛行兵学校などを経て、陸軍航空士官学校に進んだ後、日本で終戦を迎えた。
戦後は台湾に戻り中華民国軍に入隊。空軍士官学校を3位の好成績で卒業し、空軍第10大隊で軍務に就いた。頼さんは旧日本軍と中華民国軍の両方に籍を置いた唯一のパイロットだという。
今月22日には台北市内で同書の翻訳とイラストを担当した張詠翔氏による講演会が開催される。
この会見で、岡田克也は、馬総統から、観光客のバランスが悪いと苦言を言われた と他新聞は、伝えている。折角、本物の台湾代表が、就任したんだから、せめて自民党幹部を訪台すべきだったな。沼田幹夫代表には、大いに期待する。今迄、台湾事務所は、形骸化していたからな。
いずれにせよ、台湾は、大切な友好国だ。
(花蓮 18日 中央社)日本統治時代の酒造工場跡地で、先月中旬完成した13軒の和風木造建築と昨年冬に開幕したレストランなどが提携した宿泊施設「アンダンテ」が、このほど台湾東部・花蓮市の文化パーク「a-zone花蓮文化創意産業園区」にオープンした。
同園区は1913(大正2)年に設立された花蓮酒廠の跡地。第二次世界大戦中、建物はほとんど破壊されたが、修復工事を経て2011年に一般公開され、文化部により古跡指定を受けた。
今回新しくオープンした木造建築エリアは、日本時代には酒造工場幹部職員寮があった場所。広さ1600坪(約5290平方メートル)で建物は当時の様子を再現。最も大きな1軒の「月棠」以外は、「松」「梅」「桜」「藤」「菖蒲」など日本の1年12か月を代表する植物で名づけられている。屋内は畳敷きにふすまと障子で部屋中ヒノキの香りがあふれ、建物の周囲を竹で作った垣根が1軒1軒隔てており、静かで優雅な雰囲気を醸し出している。
この和風建築とレストラン、花蓮文創産業園区が提携・企画した「文化クリエイティブ体験観光プラン」では、文化芸術、グルメ、DIY教室、サイクリングなどをを盛り込んだ1泊2日の小旅行プランを提供する。キャンペーンは9月30日まで続く。
台湾は日本同様に常識的
東南アジアの国々も同じ
韓国だけが、異常過ぎるだけ
台湾、東南アジア諸国は韓国の異常性を嫌と言うほど知っている
韓国の異常性は今後も変わらない
韓国と仲良くしたくないと思っているのは日本人だけでない
(金門 23日 中央社)中国大陸南東のアモイからおよそ10キロメートルしか離れていない金門島で23日、「八二三砲戦」(金門砲戦)の開戦56年を記念したイベントが行われた。
式典では、李沃士金門県長による献花、追悼文朗読の後、台湾各地から集まった元兵士らが戦没者に黙とうを捧げた。
李県長は、砲撃戦で戦った軍関係者など先人の努力がなければ、「今日の金門の繁栄も台湾の経済成長もなかった」と感謝の言葉を述べた。
【 八二三砲戦 】 1958年8月23日、中国大陸の金門への砲撃で戦いの火ぶたが切られた。同年10月5日までの44日間で面積148平方キロメートルの金門諸島に47万発を超える砲弾が落ちたという。
この掲示板の韓国人の書き込みを見ても判るけれど
韓国人は支離滅裂、精神破壊
台湾人にはそういう所は一切ない(当たり前だけど)
台湾人はそういう当たり前な常識人なので、日本人は好き
中国人も韓国人よりマシ
中国の一党独裁政治が崩壊し表現自由が保証される国になった時、日本人と仲良くできる
韓国は未来永劫、無理
(台北 27日 中央社)国防部は、第二次世界大戦中にインド・ビルマの作戦で旧日本軍と戦い、10万人以上もの死傷者を出した中華民国「遠征軍」の功績をしのぶため、ミャンマーで招魂した将兵らのみ霊を台北市円山の国民革命忠烈祠に迎え入れ、27日入祀の儀が行われた。
これは現在の国軍兵士らに、国のために身を捧げた先人の無私・愛国の精神に思いを寄せ、国家の存続発展のため尽くしてもらおうというもの。遠征軍は1942年から1944年にかけて連合軍を支援するためビルマ方面に2度入り、ビルマ北部のミッチーナーや雲南省西部の騰衝、龍陵などで日本軍と激戦を交わしている。
国防部は対日抗戦(日中戦争)の8年間、日本の西進(援蒋ルート遮断)や枢軸国同士の連絡を抑え込み、連合軍の勝機をより確実なものとした中華民国遠征軍の功績は英・米など各国にも高く評価されていると強調している。
国防部では同軍を記念し、かつてビルマ(ミャンマー)方面に散った将兵らのみ霊を慰めようという立法院(国会)国防外交委員会の一部議員らによる提案で外交部や僑務委員会と共に専門チームを立ち上げ、今月24日、5万6000人が亡くなったミャンマー北部の激戦地跡で霊鷲山の心道法師をはじめとする高僧ら多数によって招魂・超渡の儀式や読経が行われ、異国に70年もの歳月取り残されたままだった忠魂を慰霊した。
専門チームは27日昼帰国し、台北市内の忠烈祠で厳明国防部長が主祭を務め、国防部や立法委員、当時参戦した将兵の関係者、戦史研究者などの参列の下、遠征軍兵士らの入祀の儀が営まれ、その総牌(位牌)が納められた。
(台北 30日 中央社)台北市文化局は29日、100年以上の歴史を持つ「青雲閣」(台北市万華区)などを歴史的建造物に認定したと発表した。
青雲閣は日本統治時代に遊郭街の中に建てられた、当時台湾で最大の“妓楼”で、同局によって暫定古跡となっていたが、今月2日、地主の陳立偉氏が許可なく建物を取り壊したため、批判の声が上がっていた。
こうした事態を受けて文化局は29日、文化資産に関する臨時の審議委員会を開き、青雲閣などを歴史的建造物に認定した。また、取り壊しを強行した陳氏に対し、認定地区や建築物の調査を行い、周辺の再開発を行う際にはこれらの建築物と一定の空間を設けるよう言い渡した。
陳氏は手続きを誤解していたとして、無許可での取り壊しについて謝罪し、今後は当局の指導を受け入れて青雲閣の復旧と保存に全力で協力するとしている。
台北市文化局などによれば、青雲閣は日本が台湾から撤退した後、娼館として利用され、1997年に公娼制度が廃止された後は廃墟となっていた。詳しい成立時期は分かっていないが、1907(明治40)年の文献に記載があるという。
(台南 5日 中央社)国立成功大学・光復キャンパス(台南市)の中には、ひときわ目を引く大きなガジュマルの老木がある。この木は1923(大正12)年に、当時皇太子だった昭和天皇が植えたとされており、現在では市民らの憩いの場になっている。
このガジュマルの老木は、1995年に生命保険大手の「国泰人寿」の商標に選ばれ、「下に向かってしっかり根を張り、上に向かって成長する」という“大樹の経営哲学”とともに、台湾全土のメディアに登場してすっかり有名になった。
それ以来、20年近く経った今でもこの木を訪れる人は絶えることがなく、木の周りの緑地は大学の屋外イベント会場として利用されているほか、散歩などを楽しむ人たちでいつもにぎわっている。また、結婚記念写真の背景としても人気が高く、一生の思い出を残そうと撮影をしている姿がよく見られる。
このガジュマルの老木は、傘のように張り出したその大きな枝と葉で、夏には照りつける日差しから、冬には吹きつける風から守ってくれる、いつでも大きな安心感を与えてくれる木として人々から親しまれている。
(台南 6日 中央社)台湾自来水公司(水道会社)が日本統治時代の旧「台南水道」の建物を台南市政府に無償で譲渡することになり、このほど寄贈式が行われた。大正時代に完成した「台南水道」は当時、飲み水の供給とともに台湾の人々の衛生状況を大幅に改善したとして現在でも高い評価を受けている。
4日地元で行われた寄贈式には頼清徳・台南市長、台湾水道会社の胡南沢総経理をはじめ、地方の関係者が多数列席した。
「台南水道」は日本の台湾総督府の委託で英国人衛生顧問、ウィリアム・バートンの下、浜野弥四郎により設計されたもの。1911(明治44)年から計画が始まり1922(大正11)年に竣工した。戦後は水道会社が引き継いだが1982年にその役目を終えた。
「水源地」と「浄水区」に分かれ、日本統治時代から残されている建築物には「水源地」の濾過室・水道事務室、加圧室、「浄水区」の浄水池、量水器室の各施設があり、これらは2002年に台南県(当時)の指定古跡、2005年には国の指定古跡となった。
頼市長は浜野弥四郎(千葉県佐倉市出身)の「台南水道」と八田與一(石川県金沢市出身)の「烏山頭ダム」は、当時台湾の衛生環境改善と農業の発展に貢献したばかりでなく、今日においても台湾と日本の絆を強める役割を果たしており、毎年台南を訪れる日本人観光客は18万人にも上るとし、今後は周辺の蘭花植物園や大内南瀛天文台などと結びつけて観光促進に力を入れたいと述べた。
台南市文化局では浄水池の修復工事終了後の12月初めにも一般開放し、文化観光と生態保護を同時に進めていきたいと話している。