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「何が何でも文京区」という人が結構いらっしゃいますが、どこがいいのか教えてください。さまざまな学校があり子どもの教育環境にはいいというのはわかりますが、それ以外の良さ、そこまでこだわる理由がわからないのです。
[スレ作成日時]2009-01-26 00:52:00
「何が何でも文京区」という人が結構いらっしゃいますが、どこがいいのか教えてください。さまざまな学校があり子どもの教育環境にはいいというのはわかりますが、それ以外の良さ、そこまでこだわる理由がわからないのです。
[スレ作成日時]2009-01-26 00:52:00
>>7728 匿名さん
ところがねえ、文京区の高齢化率は平成27年(2015年)から令和7年にかけて減少に傾くと予想されているんだよね。
人口も令和22年(2040年)までは増加することになっている。
https://www.city.bunkyo.lg.jp/var/rev0/0213/3428/dai3shou.pdf
マンションの供給が今後も増えるようだとさらに人口は増加するだろうね
暴露本まで出版された文京区の小学校不足問題だけど、校庭などに仮設校舎を作るような対応になるみたいだ。
https://noguchikentaro.com/2022/07/25/1124/
35人学級を求める声もあり、もっと抜本的な対策が望まれる。
税金だけを原資にする公助ではなく、民間活力を導入した共助の仕組みを文京区も取り入れるべきだろうと思う。
中央区のように柔軟な対応ができるかが鍵だろう↓
https://toyokeizai.net/articles/-/394476
小学校の将来も気になりますが、そういや桜蔭vs宝生は相変わらずなんですかねえ
>>7722 匿名さん
今の宝くじにあたる江戸時代の富くじも、湯島天神は幕府から認められていたんですよね。風俗や賭け事があったからこそ、街が発展して、美味しいお店が増えたんですね。
>>7736 匿名さん
その後の動きは聞いていないけれど、無関係な外野の人たちが人をバカにしたような笑みを浮かべているかのような口調で語るのはなんとも...当事者は本当にいたたまれないだろうね。私も外野の一人ではあるが、ご近所さんとしては胸が痛む。
>>7736 匿名さん
「(仮称)宝生ハイツ建替え計画」に関する公聴会の開催について
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kenchiku/kijun/kotyokai_housh...
>>7723 匿名さん
シンスケの両関は確か、戦後の大変な時代に酒を供給してくれたのが両関だったとか。どこかの記事で読みました。
居酒屋好きなのに最近行ってないなあ。初心に戻ろう。
>>7727 周辺住民さん
戦前まで東京の中心部は浅草から上野にかけてのエリアでした。もちろん、そこに近接する湯島・本郷もにぎわい、多くの文人や芸術家が居を構えていました。幸い、湯島や本郷は関東大震災や太平洋戦争の空襲でも難を逃れたエリアが多くあり、それが古い街並みが残っている一因でもあります。本郷三丁目のサッカー協会ビルの跡地にはタワマンを建てるそうですが、こうしたケースは稀で、今後も小さな土地に規模の小さいマンションが増えるのでしょうね。江知勝跡地にできたルジェンテ文京湯島は、入口のデザインに江知勝のDNAを受け継いだそうです。伝統を取り入れながら新陳代謝するまちづくりに期待したいです。
↑有人じゃなく友人です。
>>7747 周辺住民さん
渋谷区や港区など、いわゆる「キラキラした都心」とされる山手線南側エリアは、1964年の東京五輪に向けた東京の街並みの大改造で出来上がった街であり、首都高の高架や高層ビルが林立し、空の狭い人工的な光景が広がってしまいました。一方、山手線北側、とりわけ上野・浅草エリアは戦前の建物が比較的多く残っています。これらは防災上、頑丈なビルに建て替えるべきだと思いますが、港区や渋谷区のような金太郎飴的な無個性の高層ビルを建てるのではなく、その街の良さを継承したまちづくりが必要と考えます。
こうしたまちづくりを考える上で、自らが住む街の生い立ちをなぞることは、温故知新という言葉のとおり、新たな価値を見つけ出す重要な知的作業と考えます。この作業過程を「老人感」と切り捨てるのはもったいない気がします。
>>7749 マンコミュファンさん
>新たな価値を見つけ出す重要な知的作業
私もその意見には同感だね。
江戸時代までは人家も稀な寂しい場所で追い剥ぎに襲われた犠牲者を弔う慰霊碑があるような街とかだったら、やりたい放題未来志向でやったらいいと思うんだけど、やはり歴史的な文脈のある、縄文時代から人が住んでいて近世には既に街があって歴史が刻まれているような場所ではもう少し歴史的文脈に立脚したまちづくりがあっていい。
なんでもかんでもぶち壊して歴史的な文脈を断ち切ってしまうと、私たちは根無し草になってしまって、どこから来てどこに行くかという概念も失われて価値や思考の方向性を失ってしまい、刹那にしか生きられない幽霊のような存在になってしまう気がするんだよな。