ヶ丘批判をされている方へ
ひばりヶ丘が宅地開発されたのは田園、学園都市構想の機運が高まった大正後期から昭和初期ですから東京郊外の開発分譲住宅地として最も歴史があります(いわゆる第3山の手世代にあたる)。
旧ひばりが丘団地は日本の住宅の最先端モデルとしてフラッグシップであり続けましたし自由学園の分譲した土地は一区画250坪で購入者も大学教授、財閥企業社員、高級将校でした(近代日本の郊外住宅地 : 鹿島出版会 より抜粋)からバブル期のなんちゃって田園都市の新興住宅地とは格もスケールも違います。
同沿線では石神井公園の石神井町6丁目、大泉学園の将校住宅、豊島園の城南住宅も同時期に分譲されたで高級住宅地として今なお良質な住環境が保たれています。
批判するなら正しい知識を身につけてからにしないとすぐにひっぺがされますよ。