神戸・兵庫の新築分譲マンション掲示板「芦屋市、西宮市でのお勧めの地区は何所ですか?」についてご紹介しています。
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購入検討中さん [更新日時] 2010-07-06 18:06:54
【地域スレ】芦屋市、西宮市の住環境| 全画像 最新の検討スレ 関連スレ まとめ RSS

芦屋市西宮市の2市内でのお勧めの地区は何所でしょう? 
コスト、住み安さ、閑静さ、学区や交通の便等、色々ありますがご意見を。。。。
なお、神戸市宝塚市、尼崎等はそれぞれの地域厨乱入防止のためスレ対象外です。

[スレ作成日時]2008-01-19 15:20:00

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芦屋市、西宮市でのお勧めの地区は何所ですか?

  1. 601 匿名さん

    >>599←はこのコピペを元にマルハン邸まで妄想を膨らましてしまったのかw

  2. 602 匿名はん

    >>598
    2年前に建った有名な跳ね馬御殿知らないの?
    あんだけ目立ってるから、本当の周辺住民なら
    大抵知ってると思うけど。
    それと、一族の金で建築後に家屋に当面住んでるのは、
    一族のファミリーだけど会長でも息子でもないよ。

  3. 603 匿名はん

    66層にマルハンの別邸があるのは事実。
    ただし会長本人が、居住しているわけではない。

    ちなみに言うまでもないが、池田○作の
    自宅扱いの私邸別邸(岩○平バス停の戸○平○会館)
    があったのも周知の事実。現在はその部分は
    取り壊されて駐車場になり隠蔽されているが。

  4. 604 マンコミュファンさん

    日本は上澄みの富豪の約半数が、いわゆる賤業
    (パチンコ、サラ金、芸能、風俗ラブホ水商売、開発&不動産関係、
     ブローカー・ピンハネ、食肉、産廃、特殊利権関係)
    という国ですからねぇ。
    これは富豪までいかなくても、金持ちレベルの話でも全く同じわけで、
    だから結果として金持ちが集まる地域というのは、そういう人種が
    多くなるのは避けられない当然の事あり、例外は無いという事。

  5. 605 匿名さん

    >>602
    何度も執念深いね、跳馬邸はパチンコ業界とは全く別業種の方が住んでいます。
    そしてその人はマルハンに建ててもらわなくても自分で建てれるだけの収入がある。
    否定したいのならもっと具体的に書いてみろ、ただし本当なら問題はないが、
    デマなな起訴も覚悟しろよw
    >>603
    具体的に書かないのは嘘だと指摘されたので当馬に差し支えの無いのを書いたねw、
    べつにそれは隠す必要なんて全く無しだが間違いを補正する。
    その家は元戸田伯爵邸ですね、これは私財の寄付により会館化されたが、
    家があまりにも立派だったので迎賓館となり、馬屋痕が本館となった。
    池田大作もこの家に泊まったかもしれないが別邸とは言いがたいし、
    取り壊したのではなく震災で倒壊したのが真相。

  6. 606 匿名さん

    ↑ 何自慢やねん(笑)

  7. 608 匿名さん

    何年間にもわたるコピペ収集ご苦労様

  8. 609 匿名さん

    >>607
    >悪徳教材販売会社社長で暴力団関係者の社長が詐欺で逮捕

    古い記事だらけで元記事の特定は難しいが、
    2ちゃん等を回ってる間に作り変えられたコピペも多く派生している。
    例えば上記も元記事には暴力団関係者の記載は無し。

  9. 610 匿名さん

    芦屋はいいよ。山手も浜手も。すんでみないと分かんない。流れる空気がちがいますね。
    ちなみに拙は平田・松浜・伊勢・呉川の古き良き時代を彷彿とするクラシカル芦屋な雰囲気が一番好きです。

  10. 611 匿名さん

    高額教材販売でヤ○ザがからんでない所なんて一切無いwww

  11. 612 匿名さん

    ちなみにエンセン井上のタニマチでエンセンに沖縄の川辺社長を暴行させた
    京都の***も教材販売で有名なところ。

  12. 613 匿名さん

    >>611612

    もういいよ。あなた方は。

  13. 614 匿名さん

    >>610
    今でも良いが震災前ならもっと浜手も良かったと思うよ、
    ただ山手の方が震災の影響が少なかったのでクラシック度は山手の方が上だと思う。

  14. 615 周辺住民さん

    山手は胡散臭い職種の新興成金が多く格落ちです。
    特に新興住宅地である奥池、岩園・朝日ヶ丘、苦楽園の北部一帯(柏堂・剣谷・鷲林寺)、
    甲陽園の西山町・目神山町なんて最悪。

  15. 616 匿名さん

    コピペ君が必死過ぎてなんか悲しいスレですね。

    こんなかわいそうな人が救われる世の中になりますように・・・。

  16. 617 匿名さん

    日本人はなにかと情弱が多いので、阪急の数十年かけた情弱向けプロパガンダ(阪急商法)
    の影響をもろにうけて山手至上主義が蔓延していますが、浜手や平地の昔からの由緒ある
    屋敷の阪神間住民は、山手を正直軽蔑していますよ。
    日本人で出自のしっかりした良家の人間で山の斜面地に代々住んでるなどという例は皆無。
    山手(払い下げの山林開発地)は、怪しげな稼業や出自の怪しい成金が主流派なので。

  17. 618 匿名さん

    日本人はなにかと情弱が多いので、阪急の数十年かけた情弱向けプロパガンダ(阪急商法)
    の影響をもろにうけて山手至上主義が蔓延していますが、浜手や平地の昔からの由緒ある
    屋敷の阪神間住民は、山手を正直軽蔑していますよ。
    日本人で出自のしっかりした良家の人間で山の斜面地に代々住んでるなどという例は皆無。
    山手(山林開発地)は、怪しげな稼業や出自の怪しい成金が主流派なので。

  18. 619 匿名さん

    >>618
    そのプロパガンダの影響をもっとも受けたのは貴方みたいな荒しさん。
    マイナス思考にしか考えれず毎日の山手叩きは哀れに思う。

  19. 620 匿名さん

    江戸時代の都市なら仕事に行くのは多くが徒歩圏内、
    それが明治大正の電鉄開発で沿線に広がり、
    昭和初期には各沿線の目ぼしい地区は開発が進む。
    そして富豪層は車も移動手段に組み込み
    より広い土地を求め山手地区に移住。
    これを阪急の責任だとちっぽけな発想しか出来ない
    ここの荒らしはその時点で***み。
    この流れは全世界的な流れでまったく起伏部の無い
    都市でも高級住宅街の多くは郊外に広がる。

  20. 621 匿名さん

    西宮でも由緒あるまともな家柄や古くから住んでる良家は、平地や標高30~80m程度までの
    丘陵地か緩やかな麓、大正、昭和初期までに分譲された由緒あるエリアに住んでいますね。

    逆に新興の怪しい連中は、軒並み山の斜面に集まってる。

  21. 622 住まいに詳しい人

    主用な有名分譲地の開発造成時期

    ★西岡本7丁目 1970年~(昭和45年~)
    ★芦屋:岩園~朝日ヶ丘 1950年~(昭和25年~)
    ★芦屋六麓荘 1930年(昭和5年)
    ※ただし実際に町が現在の体裁になり家がまともに建ちだしたのは1945年以降~(昭和20年~)
    吹田:千里山 1920年(大正9年)
    豊中:曽根東町 1915年(大正4年)
    豊中:東豊中 1933年(昭和8年)
    http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=en&type=pdf&id=...
    豊中:豊中本町 1914年(大正3年)
    尼崎:武庫之荘 1937年(昭和12年)
    箕面:桜井 1910年(明治43年)
    池田:室町 1910年(明治43年)
    ★西宮:目神山町 1959年~(昭和34年~)
    http://www.machinami.or.jp/contents/publication/pdf/machinami/machinam...
    ★西宮:鷲林寺南町 1973年~(昭和48年~)
    ★西宮:苦楽園番町上部~ 1960年~(昭和35年~)
    ★西宮:柏堂町・柏堂西町・剣谷町 1965年~(昭和40年~)
    ★芦屋:芦屋市奥池・奥池南町 1965年~(昭和40年~)
    宝塚:仁川 1924年(大正13年)
    宝塚:雲雀丘 1915年(大正4年)
    宝塚:御殿山 1930年(昭和5年)
    川西:花屋敷 1915年(大正4年)

    ★あり 下品な賤業成金向けロンダ需要専用の「新興住宅街」

    ★なし 戦前から住んでいる由緒ある家が多く賤業成金が少ない落ち着いた住宅街

  22. 623 匿名さん

    >>622またインチキ書いてるんだねw

    芦屋市内  着工~町並の7割以上が完成した時期

    明治38年~大正末期
    川西町平田北町平田町松浜町浜芦屋町伊勢町打出春日町打出小槌町西蔵町
    大正2年~大正末期
    松ノ内町船戸町大原町親王塚町業平町
    大正9~昭和初期
    三条町三条南町西芦屋町西山町山手町山芦屋町東芦屋町東山町月若町

    特殊地区・・・六麓荘
    戦前にはすでに50%に達していたがその後入居者規制によりほとんど家は増えず。
    しかしバブル期に規制が機能しなくなり細分化が進み現在に至る。

    宅地化が遅れた地域(昭和20年時で50%未満)・・・・朝日ヶ丘町岩園町大東町
    宅地規制によりこれ以上の開発が見込めない地域・・・剣谷町奥山町奥池町奥池南町

    注、旧市街地及び埋立地は上記に含まない。

  23. 624 匿名さん

    >>621
    プチバブルの時からやた香枦園浜のマンションに住み着き香枦園贔屓する人が張り付いてるが、
    自分の住んでいる地域自慢だけにすればよいのに、いつも山手を非難をするから嫌われる。
    ちなみに西宮山手で古くから開けた住宅地としては、夙川ー苦楽園ー甲陽園の阪急沿線に拓けた住宅街が有名。

  24. 625 匿名はん

    白州次郎は芦屋生まれとあり、山手の方だと思っていたが、
    浜芦屋町だったそうだ。浜芦屋町のどのあたりだったのか興味あります。

  25. 626 匿名さん

    >>625
    浜芦屋町ではなく平田町ですね、川沿いの一番大きな洋館北側。
    現在はは4分割され当時の屋敷の面影は残っていない。

  26. 627 匿名はん

    625さん詳しいですね。情報ありがとうがざいます。
    一番大きな洋館は、ボロボロですが、芦屋らしくて大好きです。
    昔、テレビの「犬神家の一族」のロケに使われていました。
    平田町も昔からのお屋敷が随分減りましたが、あの洋館は、いつまでも残ってほしいです。



  27. 628 匿名はん


    すみません625さんでなく626さんでした。

  28. 629 匿名さん

    >>623の一部修正     
    ・西山町は旧市街地なので上記より除外、
    ・剣谷町奥山町奥池町奥池南町は、宅地化が遅れなおかつによりこれ以上の開発が見込めない地域。

  29. 630 匿名さん

    >>627
    芦屋の洋館は震災までは山浜どちらにもいくつも存在しましたが多くが倒壊して残念です。
    平田町の洋館が生き残ったのは奇跡的、今後長く残ってもらいたいです

  30. 631 近所をよく知る人

    芦屋の古くからの人(平田町が分譲された頃から住んでいる家系)は、
    上(六麓荘や奥池や岩園町などの山側)は成金、下品とは思っても格が上だとかは感じてないよ。
    格というのはお金が生むものではないからね。
    変な宗教で儲けた人や、詐欺で逮捕された人やら、いっぱい新興成金も住んでて
    殆どの住民が、居住50年未満の品の無い成り上がりの家だもんね。
    最近逮捕された東芦屋町のフェラーリ狂い社長も、サラ金上がりの下品な人種だったね。

  31. 632 匿名はん

    六麓荘の戦後の空中写真1947年
    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&co...

    そして1948年
    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...

    (国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムhttp://archive.gsi.go.jp/airphoto/search.htmlより)

    まだ殆ど住宅が建っていないことがわかる(数えられる程度)。
    デタラメなインチキ野郎>>623の嘘はあっけなくばれるという事。

    もともと六麓荘は途中で頓挫して、現在の体裁になったのは戦後ずっとたってから。
    当初は分譲しても殆ど売れず、資金繰りに困って現在の例の学校に売却して資金を工面。
    その後、どうにか土地所有者が決まっても家なんて殆どたたず、家がそこそこのペースで
    建ちだしたのは1950年頃から。

  32. 633 匿名さん

    >>631
    芦屋で50年以上の在住者数は山手も浜手もさほど差は無し。
    格が上だの下だの思ってる連中の多くは市外在住者。
    但し一部の勘違い住民が居る事は否定しない。

  33. 634 匿名はん

    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...

    戦後既に3年も経過している時点でも、日出橋のバス通りより北側の住宅数は、
    現在の1割にも満たないことが、サルでもわかる。

    >戦前にはすでに50%に達していたがその後入居者規制によりほとんど家は増えず。

    嘘吐きは泥棒のはじまりw 
    実際は正反対で、戦前は殆ど家は建っておらず、家が増えたのは戦後かなり経過してから。

    >宅地化が遅れた地域(昭和20年時で50%未満)・・・・朝日ヶ丘町岩園町大東町
    >宅地規制によりこれ以上の開発が見込めない地域・・・剣谷町奥山町奥池町奥池南町

    紛らわしい表現で誤魔化すのはいけませんな。
    朝日ヶ丘や岩園町は昭和20年をとっくにすぎている時点でも

    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...

    大部分が田畑や山林で家なんてポツリポツリで殆ど建っていないわけだがw
    戦後の時点で50%未満なんて大嘘で、正しくは「岩園や朝日ヶ丘は戦後に入ってから開発された新興の住宅団地」だ。

  34. 635 匿名さん

    >>632
    またずいぶんと解り難い写真を出してきたね~
    この解像度とコントラストでは今の六麓荘でも50%未満にされちまいそうだね。
    因みに当初の六麓荘区画は300~600坪程度で木を出来るだけ伐採しないさせない、
    旧い軽井沢みたいな別荘地として開発されたのでこの写真で判別するのは厳しい。
    また例の学校より北側の多くが売残ったのも事実だが学校を除いた総合では、
    過半数の宅地に家が建っていた。

  35. 636 住まいに詳しい人

    朝日ヶ丘、岩園、六麓荘:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の5%以下

    奥池、奥池南:50年以上住んでいる家はゼロ

    それ以外の山手の街区:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の20~25%前後

    山手以外の街区:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の30~40%前後

  36. 637 匿名さん

    これは米軍が家屋の状態を確認する為に撮影した写真なので、家屋が判別できないなどという馬鹿げたことはありません(笑) 家や屋根が見えないなんてありえない。もともと六麓荘のテニスガーデンから日出橋の通りより北側(新地)の区画は、9割以上が戦後以降に、はじめて家が建築されている土地です。テニスガーデンから日出橋の通りより南側が、戦前に既に開発されており昭和20年代に現在の街区の体裁が既にできあがって家が建っていた本来の六麓荘。

  37. 638 匿名さん

    芦屋の世帯数は戦前で約7500世帯、人口は約39000人。

    そして昭和30年代半ばで15000世帯、人口は約60000人。
    まだ殆どマンション、集合住宅が建っておらず、埋立地や奥池も当然無く、土地の分筆も未だ少ない時代。

    ようするに芦屋は、戦後に入ってから過半数以上の宅地が開発されたという事だ。
    その大部分が山手だったのは言うまでもない。

  38. 639 匿名はん

    山手の高級住宅地というと、阪急芦屋川から芦屋の天神さんのあたりのイメージがある。
    岩園や朝日ケ丘は、ずいぶん新しいのでは・・・。
    朝日ケ丘の市民プールの当たり、昭和40年代でも寂しかったような気がする。
    まして奥池なんて、ピクニックや遠足によく行ったところで、住宅なんて皆無だった
    ような。保養所はあったのだろうか?

  39. 640 匿名さん

    香枦園浜が出たとたん猛攻撃、やっぱり芦屋叩きはwww

  40. 641 周辺住民さん

    >>633
    >芦屋で50年以上の在住者数は山手も浜手もさほど差は無し。
    またいい加減な姑息で曖昧な表現で大ボラを。
    殆ど差は無いって5%未満程度のことか? ありえないぞ。
    芦屋で50年以上住んでる世帯(2代目3代目も含む)、市全体で見れば
    現在世帯の15%前後だが、山手はそれを大きく下回る。

    >>636
    まぁだいたいそんな所だろうな。
    細かく町丁別で見ていくと、もう少し多い所や少ない所はあるだろうが。
    あと、埋立地も奥池エリアと同じで50年以上は0世帯だな。

  41. 642 匿名さん

    >>636 無責任なありえないレスが続くが・・・
    芦屋の土地は山手も浜手もかなり細分化されたのにその論理だとこの50年間で浜手が全く人口が増えず、
    増えた人口の全て山手だったとしても④の76,8%にはなりえません。


    芦屋市の年代別人口と⑥を除く地区の現在人口比
    ①、昭和 5年(80年前)28404人      38,2%
    ②、昭和15年(70年前)39138人      52,7%
    ③、昭和25年(60年前)42951人      57,8%
    ④、昭和35年(50年前)57050人      76,8%
    ⑤、平成22年      93631人 

    ⑥、50年前には存在しなかった住宅地の現在合計人口19339人
    山手・・・奥山409奥池566奥池南782
    埋立地・・新浜町1558浜風1362高浜4341若葉3275緑1804潮見1197陽光2428海洋491南浜1067涼風59

    ⑦、50年以上前から存在する住宅地の現在人口(一部しか開発されてない地域も含む)⑤-⑥=74292人

  42. 643 匿名さん

    >>634
    その写真じゃ人口密集地と田畑の違いしか解らない、広大な敷地で樹木も多ければ山との判別は難しい。
    >>641
    貴方が主張する3地区の平均をありえないが現人口の一割とすればさらに642よりも厳しい結果になる。

    70年前なら、②39138÷[(⑦74292-六麓荘617+朝日ヶ丘7213+岩園3155)×0,9]=0,61
    50年前なら、④57050÷[(⑦74292-六麓荘617+朝日ヶ丘7213+岩園3155)×0,9]=o,89

    すなわち70年前50年前からの人口伸び率が39%と11%だ、他都市よりも街並の崩れが少ない芦屋でもこの数値はありえないし、その他の山手も貴方と主調だと浜手人口を80年前よりも減らさなければ不可能。
    現実にそんな事はありえないのは一目瞭然、もういい加減な事を書くな!

  43. 644 匿名はん

    市制になった1940年の芦屋の世帯数は7890、2010年現在の世帯数は40116

    戦後に糞イナカモンがなだれこんで今の芦屋がある

  44. 645 匿名さん

    >>644をもう一度読み直せば?

    芦屋市は埋立地と奥池界隈意外を除けば70年前からたった47%しか人口が増えていない。
    大都市の衛星都市としては全国で最も人口伸び率が低い街だと思うぞ。

  45. 646 匿名はん

    人口だけではなく、世帯も見なければ本質は見えてこない。

    戦前の世帯数は8000弱、これが戦後僅か15年で17000に倍増(以上)している。

    もちろんこれはもともと住んでいた人々が僅か15年の間に大量に死んで土地を分割したなんて事ではなく(まだ土地は馬鹿みたいに安く相続で切り売りなどの問題は無かった時代、土地の値段が上がりだしたのは1972年頃から)、主に阪急の線路以北に存在していた田畑や山林の開発による宅地の倍増というのはいうまでもない。

    人口については重要なのは、昭和40年頃までとは違い昭和40年代以降の芦屋市の人口の急増は土地の細分化によって増えたのではなく、集合住宅の増加によってもたらされたということだ。昭和40年頃までは、開発によって宅地が増えて人口が増加していたが、昭和40~50年代(既にインフラが敷設されているエリアでは大規模に開発できる土地がが無くなり発展が頭打ちとなり、それゆえに奥池や埋立地が開発された)以降の人口増加は、主に集合住宅の増加によるものだという事。

    そして最重要なのは、50年前に芦屋に住んでいた世帯で1970年代からバブル・現代にかけて世帯主が死んだ案件(つまり50年前に住んでいた世帯で70年代までに引っ越さなかった世帯の殆ど)では、大半の家が相続発生時に売りに出されて、土地の持ち主が入れ替わっているという事。つまり戦前に芦屋市に8000世帯弱(ほぼ当時の宅地数とイコール)が住んでいたといっても、今の40000世帯強のうち2割弱が、戦前からの芦屋の住民の家系という事では断じてない。言うまでも無く戦前から住んでいる世帯は、その半数どころかそれを遥かに下回る。

  46. 647 匿名さん

    >>645 人口だけ見てもわからんってのがなんでわからんのだ? 幼○園児か?

    戦前の芦屋は、1世帯あたり人口が約5人(昭和10年で5.1人)いて、現在は55%減少して半分以下の
    1世帯あたり2.3人だぞ。

    日本で集合住宅や団地やマンションが本格的に建ちだした昭和40年代以前の世帯数の増加は、開発が行われて
    土地・家屋が増えたことを明確に物語るものだが、人口の増減は世帯あたり人口に大きく影響されるので
    開発の度合いは分からない。

    大規模な開発により土地・家屋(世帯数)が3倍に増えても、一世帯あたりの人数が55%減少していれば、
    人口は35%しか増加しないんだよ。

  47. 648 匿名さん

    豊中市の人口
    昭和15年45,013
    昭和25年86,203
    昭和35年199,065
    平成10年389,534

  48. 649 匿名さん

    訂正  平成20年389,534

  49. 650 匿名さん

    >>647
    当たり前だろ、642でも>芦屋の土地は山手も浜手もかなり細分化された、と書いてる。
    でも芦屋に似た豊中を例に上げたが芦屋と比較してみろよw

  50. 651 匿名さん

    >>646 土地の細分化の中に集合住宅も含んだつもりで書いたが、説明不足だったのは認める。

  51. 652 匿名はん

    重要なのは、分筆によって宅地の増加が目立ちだしたのは1970年代末以降の話であり、
    戦後20年の間の世帯数の激増(2.42倍増、7000世帯→17000世帯、142%増加)は、
    ほぼ新規の宅地開発によって増えたものだという事。

    戦後既に現在の70%以上が宅地化されていたなどというのは、狂言、嘘、デタラメ。

    >その写真じゃ人口密集地と田畑の違いしか解らない、広大な敷地で樹木も多ければ山との判別は難しい。

    いいえ、

    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...

    この写真なら、明確に宅地・家屋はわかります。
    これ(戦後の画像)みたら、まともな常識人なら、岩園、朝日ヶ丘(現在の市街化区域部分)以北の
    全体面積の9割以上は未だ宅地化されておらず、家の数は今の1割以下である事がわかるはずだがw

    あまりにも必死な苦しい言い訳はやめて、そろそろ観念したら? この写真買えるから(モニタ上より
    大幅に解像度が高いから家の数と宅地化されている土地は一目瞭然でわかる)、確認すればいい。

  52. 653 匿名さん

    >>652
    浜手の住宅は切れていて見えないし木が多い豪邸の境目の判別は厳しいが、
    やっぱり奥池界隈+埋立地を除けば現在の住宅地に対して7割だね。
    現在の住宅地に対してとは、学校、病院、墓地等の公共施設を除いた宅地。
    グーグル地図と見比べればより解りやすいと思う。

  53. 654 匿名はん

    1961年(昭和36年)
    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=MKK611&am...

    13年前の戦後3年後と比較すると、岩園町の田畑、山林で猛烈に宅地開発が進み家が増加していることがわかる。
    六麓荘のテニスガーデン~日出橋の通り以北でも、戦後と比較して住宅が著しく増加し宅地開発が進行形であることが一目瞭然でわかる。

    1971年(昭和46年)
    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=MKK712X&a...

    更に田畑、山林の宅地化が山間部の全域で加速し、ほぼ開発されつくし現在と同じ宅地の体裁になっている事がわかる。戦後に大幅に増加した世帯数は、山間部の開発による影響が著しく大きい事が見て取れる。

  54. 655 匿名さん

    >>654
    だから当初の米軍機撮影と比較して見ろよ、六麓荘のはげてるのか家の屋根かどちらか解らなかったのが、解像度やコントラストがより明細になったので解りやすくなり家だったと判別出来てるし、岩園と朝日ヶ丘は当初より開発が遅れた地区としてあげてる。
    また樹木に覆われた森みたいな広い屋敷も細分化されれば宅地として解りやすくなる、この意味解る?
    要するに宅地としてすでに利用されていても敷地に対して家が小さければ解像度の悪い写真では森か家かの判別がし難く樹木の多い家は特に山手地区に多かった。ただしこの様な巨大邸も戦後の没落でかなりの家が細分化されている。

  55. 656 匿名はん

    戦後の僅か15年の間に世帯数が増加しているのに(宅地の分筆や集合住宅が未だほとんど無い時代)、
    今の宅地の70&以上が戦前既に宅地化されて家が建っていたんですか?www
    僅か15年の間に、全世帯の数割が死んだり切り売りして土地を数分割したのでしょうか?www
    まだいくらでも開発できる田畑、山林があったのにwww

    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...

    これ(1948年)のどこをどう見たら、六麓荘が戦前の団塊で現在の50%以上が既に宅地化(=家屋が今の半数)
    されていたのでしょうか? どう見ても家は今の1割以下ですが。
    また、どこをどう見たら市の阪急以北の大部分が戦前で既に宅地化されていたのですか?

  56. 657 匿名はん

    訂正

    戦後の僅か15年の間に世帯数が倍以上に増加しているのに

  57. 658 匿名さん

    戦後3年経過時点で学校の通り以北は数軒以下(しかもその殆どは戦後建ったもの)。
    現在のバス通り以北、学校の通り以南は15~20軒(しかもその半数以上は戦後に入ってから建ったもの)。
    そもそも現在のバス通り以北は、ごく一部を除くと戦後に入ってから開発・分譲された「新地」。
    戦後直後の時点で、現在の六麓荘の全体街区の実に9割以上が未だ宅地化されていない山林だったんだよ。
    岩園や朝日ヶ丘も、現在の総面積の9割以上が、宅地造成されていない山林、田畑だった。

  58. 659 匿名さん

    >>656
    またその写真を、それ解像度が悪くコントラストが付き過ぎていて解りにくすぎw
    それじゃその中で特定出来る戦前の家だけどテニススクールの平野邸と例のミュージシャン邸の南 、
    当時はその一角を全て所有していた大倉芦屋邸(本宅は住吉のオーキッドコート)
    どちらも戦前から確実にあった大豪邸だけどその写真なら山とそのハゲにしか見えない、
    何度も書くが軒数比較じゃなく宅地として利用された土地の有効面積率だからね。

    >どこをどう見たら市の阪急以北の大部分が戦前で既に宅地化されていたのですか?
    そんなの何処にも書いてないぞ、

    >着工~町並の7割以上が完成した時期
    >大正9~昭和初期
    >三条町三条南町西芦屋町西山町山手町山芦屋町東芦屋町東山町月若町
    >特殊地区・・・六麓荘
    >戦前にはすでに50%に達していたがその後入居者規制によりほとんど家は増えず。
    >しかしバブル期に規制が機能しなくなり細分化が進み現在に至る。
    >宅地化が遅れた地域(昭和20年時で50%未満)・・・・朝日ヶ丘町岩園町大東町
    >宅地規制によりこれ以上の開発が見込めない地域・・・剣谷町奥山町奥池町奥池南町

    ↑は一気に書き上げたので多少不都合な点が有るのは認める。
    例えば東山町は(昭和20年時で50%未満)に入れるべきなのと、山手町は川沿いの急傾斜地のマンション群地帯を頭に入れてなかったので7割は厳しく6割程度だろう。
    それと六麓荘は、居者規制によりほとんど家は増えず、と書くよりも、居者規制により少しずつしか増えず、と書くべきだった。

    >>658
    そんな子供騙しみたいな数字トリックを使うと貴方の書き込み自体の信用性がなくなるぞw
    昭和20年なんて終戦直後で少なくなって当たり前、比較するなら昭和15年39,137 昭和35年57,050
    20年間でも31%の伸び、
    >宅地の分筆や集合住宅が未だほとんど無い時代
    そんな事無いってw終戦で没落した豪邸は片っ端から分筆細分化されるか社宅化されるかだった。
    芦屋ではそれ以外にも震災で急激な細分化、マンションかが進んだ。

  59. 660 住まいに詳しい人

    奥池エリアを除く山手(阪急以北)の世帯数 8806世帯(平成17年)※現在は更に多い
    戦前の山手の世帯数 約900~1000世帯(昭和15年)

    まぁざっと9倍には増えてますな。
    戦前から住んでいた世帯は、必ず70年代以降から昭和末期・平成初期にかけて相続が
    発生しているけど、当時の区画は巨大ゆえに少なく見積もっても三分の二以上は
    売却されて分割されてるから、おそらく戦前から住んでいてる住人(当時から数えて2~3代目)
    は300以下でしょう。
    まぁ売ってまた近所に住んでいるという幾らかのケースを含めても、現在世帯数の5%以下でしょうね。

  60. 661 匿名さん

    開発されていたかどうかってのは、今の街並みと変わらない体裁の街があったかどうかでしょう。

    例えば、山林や広大な農地を持っている地主や豪農や一族の家がある**が戦後に売却されて
    大規模宅地開発されたケースにおいて、戦前から宅地化(地主などの家があったから確かに
    宅地は存在したw)されていたとは、常識的には言わない。

    かつて数万坪(数十ヘクタール)の土地を個人が所有していて、それが現在数百区画の住宅街に
    なっている場合、この住宅街の開発時期は?となると、言うまでも無く数百区画の住宅街が
    つくられた時期の事でしょう。

    西岡本7丁目の住宅街が開発されたのは誰がどう見ても昭和40年代後半(戦前からの住民など
    1人もいない)だが、以前に山にヘルマン屋敷があったからといって、大正からの住宅街だ!
    なんて屁理屈は通用するわけがない。

  61. 662 匿名さん

    大正~昭和初期の日本の裕福な家庭は子供が多く(5人以上が当たり前)、さらに住み込みが何人かいたので大きい家では10人以上住んでいるのが普通だった。

    だから、人口だけ追っても、本質は見えてこないんだな。今は大きい家が多いエリアは当時とは逆で、一世帯あたりの人数は平均(2.57人)より更に少ない。

  62. 663 匿名さん

    >>660>>661>>662
    実状を知らない妬み君が持論を吐いてますねw>>660の数値の元となった資料のソースよろしく。
    まず660の数値を信用したとして現状を書きます。
    私の家は芦屋に住み付いて3代目で年齢は40歳前後、芦屋では他地域よりも小学校の同窓会が活発です。
    なぜかと申せば地元在住者がとにかく多い、父親の代で死亡者も含めれば約5割、私で約3割が芦屋在住。
    私の代では転勤族が3割は居たので残りの半数はそのまま芦屋に居座ってる計算です。
    当然男性の方が多いのですが女性も結婚後芦屋に引越し戻ってきた人も多く居ます。
    >売ってまた近所に住んでいるという幾らかのケース
    相続での売却も色んなスタイルがあるが、多くは住み慣れた地元を離れない。
    最も多いのが近くのマンション等に住む、次で多いのは土地の切り売りで相続を済ませ現地に残る。
    相続後も数人の相続人が分割所有し住む、相続が発生する前に生前贈与をし敷地を分割所有する、
    >例えば、山林や広大な農地を持っている地主や豪農や一族の家がある**が戦後に売却されて
    >大規模宅地開発されたケースにおいて、戦前から宅地化(地主などの家があったから確かに
    >宅地は存在したw)されていたとは、常識的には言わない。
    なにを一人で勘違いしてるんだ、そんなの当たり前だろw
    >かつて数万坪(数十ヘクタール)の土地を個人が所有していて、それが現在数百区画の住宅街に
    >なっている場合、この住宅街の開発時期は?となると、言うまでも無く数百区画の住宅街が
    >つくられた時期の事でしょう。
    これも上記に同じw

  63. 664 匿名さん

    >>662
    それを基準にし、初代の子供が6人2代目の子供が4人3代目の子供が2人と仮定すれば、
    初代の子供が3人芦屋残り2代目の子供が3x2人が芦屋残りその子供が2名として、
    初代がすでに他界していたとしても芦屋在住の一族は9家族36人となる。

  64. 665 マンコミュファンさん

    嘘を書き連ねても苦しいだけwww

    戦前の芦屋はピーク(戦中で減少していた時期ではない)で7000~8000世帯、現在は4万強世帯。
    どう見ても戦後から高度成長期にかける爆発的な流入によって世帯が増えたのは明白。

    山手、浜手、平地を一切ぬきにしても(現実は阪急以北より浜手のほうが戦前からの家が
    多いのは明らかだが)、世帯の増加分は戦前からの家の後継ぎ以外(後継ぎの分は
    世帯数は増加しない)の子供世帯の後継ぎ以外が(長男以外の息子だけではなく娘も)、
    芦屋に住みついた分などという馬鹿げた妄想が通用するわけがない。
    15~20年程度で世帯が倍増するのは、住宅開発による流入以外にはありえない。

    単純に、戦後から現在に至る世帯の激増は、戦後の宅の開発と、高度成長期の集合住宅、
    マンション、団地、社宅の増加による流入がもらしたもの。

  65. 666 マンコミュファンさん

    芦屋市でも、戦後は戦前にも増してきわめて流入が活発で宅地・住宅が増加した事を認めていますw

  66. 667 匿名さん

    平成17年で(現在は更に3500世帯以上増加、因みに5年でこの増加は流入主体以外ありえない)

    東山町、山手町、朝日ヶ丘、岩園、六麓荘の合計世帯数が5700世帯

    そして

    阪急以北の合計 9000世帯(うち奥池南奥池奥山が650世帯)
    阪急以南の合計 27500世帯(うち埋立地が6200世帯)

    戦前は市全体で7900世帯(航空写真を見れば一目瞭然だが、当時の住宅総数の約9割は阪急より南側)。
    埋立地や奥池を除外しても、阪急より南で3倍増加、山手で8~9倍以上に世帯数は増加しているが、
    山手の世帯数激増に関してはその多くが、戦後の宅地開発と団地・マンションの増加によって行われた事が明白である。

  67. 668 匿名さん

    >>665
    書いてる事が支離滅裂だw
    貴方が書いた>>662>大正~昭和初期の日本の裕福な家庭は子供が多く(5人以上が当たり前)
    その通りだと思う、だから仮に初代の子供が6人中3人芦屋に残ったと仮定し>>664で計算すれば9家族36人となる。
    富豪層は子供も多いが定住性も高く一族で近所に住む傾向も強い。
    >現実は阪急以北より浜手のほうが戦前からの家が 多いのは明らかだが
    だからそれがどうした当たり前だろ?
    阪神やJRよりも阪急は遅れたからその分山手の開発も遅れたのは誰でも知ってる事実。

  68. 669 匿名さん

    もう一つ認識の違いも有りそうなので付け加えるが
    バブル以前の住民は、阪神より南が浜手でJR北が山手
    バブル以降の住民は43号線より南が浜で阪急より北が山手と思い込んでる人が多い。

  69. 670 匿名さん

    >>667インチキばっかり書かないで下記をもう一度読み直せ、
    下記は芦屋市のHPから抜粋した人口だから確かです。


    No.642 by 匿名さん 2010-01-19 12:46
    >>636 無責任なありえないレスが続くが・・・
    芦屋の土地は山手も浜手もかなり細分化されたのにその論理だとこの50年間で浜手が全く人口が増えず、
    増えた人口の全て山手だったとしても④の76,8%にはなりえません。


    芦屋市の年代別人口と⑥を除く地区の現在人口比
    ①、昭和 5年(80年前)28404人      38,2%
    ②、昭和15年(70年前)39138人      52,7%
    ③、昭和25年(60年前)42951人      57,8%
    ④、昭和35年(50年前)57050人      76,8%
    ⑤、平成22年      93631人 

    ⑥、50年前には存在しなかった住宅地の現在合計人口19339人
    山手・・・奥山409奥池566奥池南782
    埋立地・・新浜町1558浜風1362高浜4341若葉3275緑1804潮見1197陽光2428海洋491南浜1067涼風59

    ⑦、50年以上前から存在する住宅地の現在人口(一部しか開発されてない地域も含む)⑤-⑥=74292人

  70. 671 匿名さん

    要するに70年前には存在しなかった埋立地と奥池界隈を除く現在の宅地人口は
    70年前にはすでに現在の52,7% に達していた訳で、
    ここで持論をぶちまけてる荒らしさんの情報は全くのでたらめ。

  71. 672 匿名さん

    特に産業を持たない大都市依存型衛星都市は戦後に人口が急増したのは一般的だが、
    芦屋の特殊性は下記の比較ででも一目瞭然

    豊中市
    昭和15年 45,013人
    昭和25年 86,203人
    昭和35年 199,065人
    平成20年 389,534人
    芦屋市   
    昭和15年 39,138人 
    昭和25年 42,951人     
    昭和35年 57,050人     
    平成22年 93,631人 

  72. 673 匿名さん

    芦屋市 国勢調査データ(H17)DID人口密度 11,176(人/km2)

    かなり人口密度が高い事がわかる。

    他の地域のDID人口密度

    札幌市 7,966
    横浜市 10,036
    さいたま市 9,345
    川崎市 9,974
    大阪市 11,857
    大阪市 10,355
    堺市 7,558
    尼崎市 9,295
    西宮市 10,849
    神戸市 9,536

    政令指定都市(平均) 8,089

  73. 674 匿名はん

    世帯数が激増加したのは、戦前から住んでいた家(昭和5~15年の芦屋市の世帯あたり構成人員が
    4.9~5人なので、祖父母と同居が多かった事も考慮すると、平均すれば当時の子供の数は2人台で
    一部の裕福な家は確かに子が多かったが、その多くが他の地域と比較して優位に地元に残ったなど
    という馬鹿げた話はない)の娘や息子が、殆ど芦屋に住んだからだという都合の良いインチキ妄想ですね。

    わかりますw

  74. 675 匿名はん

    世帯が戦前7900から現在40000に増えたのは、戦後猛烈に宅地開発によって
    住宅が増えて著しく「流入世帯>流出世帯」の傾向が続いたから。

    それ以外に理由などない。
    そして世帯あたりの構成人員が55%減少しているから、世帯数の著しい増加(流入世帯>流出世帯)の割には
    人口がそれほど増えていないように見えるのは当たり前。

    現在の4万世帯のうち埋め立て地と奥池・奥池南・奥山は7000弱だ。除外すると33000世帯。
    つまり戦前7900が現在33000に激増している(世帯数300%増加)。

    裏が山のうえに一般的な大都市近郊の市町村と比べて市域面積も可住地面積も極端に狭いので、増加の度合いが
    少ない(=戦後、宅地開発の限界に達するのが早かった)のは当たり前だが、芦屋市が流入層が少ない、
    元から住んでいる住人が多いなどというデマ、インチキ、大ボラの喧伝は失笑もの。




  75. 676 匿名さん

    どうでもいいけど、人口増加率の定義と計算方法なんて基本中の基本ぐらい理解しとけよw

    1960年の人口5.7万が2010年9.35万人に増えている場合、人口増加率は64%、人口の伸びは64%です。
    これを39%の人口の伸びなどという人は、小学校の算数からやり直したほうが良いでしょう。

    ちなみに芦屋市の人口増加率は、昭和40年代以降も一貫して高く、1980年以降は年にもよるが全国で10~30位以内に入る。ちなみに兵庫県内でここ数年ずっと1~2位に入る。つまり流入世帯が常に多いのが、戦後の芦屋の実情だ。

    芦屋市の資料「芦屋市の現況」より

    > 本市の人口は,昭和45 年から60 年にかけてかなりの勢いで増加し,

  76. 677 匿名さん

    正確に言うと、芦屋市は市域の狭さゆえに大規模な田畑や山林の総面積が少なく、戦後の開発において限界(開発余地のある山林、田畑)に行き当たるのが一般平均よりも早く、巨大規模の住宅開発(計画人口数万人規模の住宅地の複数開発)が行えなかったので、見かけ上の人口の増加はそれほど高くはないが、戦前からの可住地については、猛烈に世帯数が増加し、たえず世帯の流入が活発に続いたというのが真実だ。

  77. 678 匿名さん

    芦屋市の戦前から住宅が存在したエリアが、他の大都市近郊の市町村の既に住宅が存在していた
    エリアよりも、開発・流入・世帯数増加率が少なかった時代など存在しない。
    それどころか常に開発圧力が高く開発され、猛烈な勢いで流入し続けたのが芦屋。

    単に、巨大規模の開発が地勢的に行えなかったので、人口のトータルで見ると
    「開発圧力が少なく開発が緩やかだった」と事実とは正反対の錯覚をしやすく、
    「現在住人の多くがもともと住んでいた世帯」というトンデモ勘違いをするおっちょこちょいの
    大馬鹿さんが出てくるだけ。現実は、埋立地や奥池を除くエリアで世帯数が戦前から300%増加だ。
    これは一般的な大都市近郊の他の都市の戦前住宅地よりも露骨に高い数字。
    猛烈な流入超過が続いたからこそ起こる数字。

  78. 679 匿名さん

    >>672吹田市も似た感じw
    昭和15年63,181 昭和25年66,094 昭和35年120,203 現在348,170

  79. 680 匿名さん

    >>673また嘘かw
    芦屋市 国勢調査データ(H17)DID人口密度 11,176(人/km2)
    真実は↓
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6%E5%B1%8B%E5%B8%82
    芦屋市の人口密度5,060人/km²

  80. 681 匿名さん

    普通は都心から20km圏にある郊外都市というのは、戦前の市制施行時で30~100k㎡はあるのが普通だった。

    それに対して芦屋は極端に小さく18k㎡しかなく、可住地に至っては7k㎡しかない。

    だから芦屋は戦後に猛烈に開発されはしたが、(戦前の町の発展度合いが同規模の周辺都市に対しても、
    勝るとも劣らない開発圧力で開発された)、土地不足という物理的限界に行き当たるのが早く、
    安定成長期以降の巨大規模のニュータウン開発は行えなかった。

    ようは市の人が住む事が可能な面積あたりで、戦後から現在に至るまで限界レベルに近い所まで開発が
    行われ世帯数も増加しているが(DID人口密度は大阪市より高いので、限界近い開発が行われたのは明白)、
    市域の狭さ・可住地不足ゆえに、大規模な人口の増加をもたらす巨大開発は行えなかった(埋め立てや奥池
    エリアの開発が精一杯だった)というのが史実。

    総合的に判断せず、人口だけを見ても何も分からない。

    S10年の世帯数(≒住戸数)  7890
    S40年の世帯数(≒住戸数) 17046
    H10年の世帯数(≒住戸数) 30808
    H22年の世帯数(≒住戸数) 40000(埋立地・奥池・奥山を除くと33000)

    これを見て(埋立地・奥池・奥山を除外した戦前から人が住めた町丁で世帯数が300%以上増加)、開発が
    緩やかだとか、戦前から家はそんなに増えてないとか言い張るのは頭が湧いてるとしか言えない。

  81. 682 匿名さん

    >>680
    単純人口密度とDID人口密度や可住地人口密度の違いもわからんようなド素人は一から勉強して出直してこい。
    都市の開発や発展の度合いを推し量るのに使われるのがDID。
    http://s-seireishi.jp/kaigisho200712.htm

    芦屋市のDID面積はほぼ市街化区域面積とイコール。

    H17年国勢調査値 芦屋市DIDs
    DID面積:7.65k㎡ DID人口:85,497(+6,008) DID人口密度 11,173(人/k㎡)

  82. 683 匿名さん

    芦屋市の世帯数増加は、戦後、開発により市外からの転入超過がずっと続いたからです。

    市内で育った子供の多くが、核家族で市内に移住したからではないです。

    こんな基本的な事すら今まで理解していなかったのは、人口だけ見てたからだろうね。
    まぁ都市学の常識であるDIDすら知らず、人口増加率の計算方法すら
    理解してなかったんだから当然かw オバカさんが出てくるんわけだw

  83. 684 匿名さん

    2005年の統計GISデータ(国勢)

    芦屋市

    一戸建て           11216世帯(30.5%)
    集合住宅(長屋建・共同住宅) 25422世帯(69.5%)

    つまり7割が団地・マンション・社宅・アパート等の住民だ。
    これらが戦後に建ったのは1960年代以降が殆どで、集合住宅居住者の殆どが流入者なのは言うまでもない。
    一戸建て居住者も過半数以上が、開発された場所や分割された土地に住んでいる流入者だ。

    これだけわかりやすいデータがあるのに「芦屋は昔から住んでいる家が多い」ってwwww

  84. 685 匿名さん

    2005年の統計GISデータ(国勢)

    芦屋市

    一戸建て           11216世帯(30.5%)
    集合住宅(長屋建・共同住宅) 25422世帯(69.5%)

    つまり7割が団地・マンション・社宅・アパート等の住民だ。
    これらが建ったのは戦後どころか1960年代以降が殆どで、集合住宅居住者の殆どが流入者なのは言うまでもない。
    一戸建て居住者も過半数以上が、開発された場所や分割された土地に住んでいる流入者だ。

    これだけわかりやすいデータがあるのに「芦屋は昔から住んでいる家が多い」ってw

  85. 686 匿名さん

    戦後~1960年代半ば

    主に山手の宅地開発と団地開発により世帯数激増(7890→17000)

    昭和35年~現在

    大型宅地や遊休地のマンション化・社宅化、相続による分筆による宅地増加で世帯数激増(17000→33000)
    奥池、奥池南、埋立地等の開発による世帯数7000程度の増加(+7000で40000)

  86. 687 匿名さん

    >>684
    荒し君のインチキデーターが国勢調査とは驚きだ、人口密度なんて人口と市面積で簡単に出るw
    真実は↓
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6%E5%B1%8B%E5%B8%82

            吹田市  豊中市  芦屋市   
    昭和15年 63,181  45,013人 39,138人
    昭和25年 66,094  86,203人 42,951人
    昭和35年 120,203  199,065人 57,050人

    現在   348,170  389,534人 93,631人
    人口密度9,840/km² 10,680/km² 5,060/km²

  87. 688 近所をよく知る人

    ここ数年でも世帯数が3000以上増加しているが、言うまでも市外からの流入(マンションがメイン)
    による増加が主体。
    芦屋市西宮市の不動産屋や大手の不動産業者支店の営業が抱えている買い顧客の8~9割は
    市外在住者。これは土地や中古の仲介だけではなく、新築分譲の顧客についても同じ傾向。
    これは最近の傾向ではなく、戦後から高度成長期にかけてもずっと続いていた不変の傾向。
    もともと地域に住んでいた層が、所帯を持つにあたって家を出て市内に住むケースが世帯増の
    主因だなんて珍説は、不動産屋に笑われる。

  88. 689 匿名さん

    >>.688また荒し君は一人で妄想の世界に入ってしまったねw
    市内の移動よりも市外からの流入が多いのは当たり前、そして街の規模が小さくなるほどその傾向は高い。
    当たり前だろそれがどうかしたのか?
    ただ芦屋は転勤族を除けば街の規模に対して地元での定住性は高い。
    理由としては各種アンケートによる満足度が非常に高い、そして富豪層の定住性は一般人より高い。

    >ここ数年でも世帯数が3000以上増加しているが
    その主因は震災である事は明白、平成6年に86,630人居た人口が平成7年には75,032人、
    震災で人口の13,4%実に11598人の人が家の倒壊等で流出。
    そして平成20年には人口93036人、この間に新たな埋立宅地が生まれ現在4045人が住んでいるにで
    それを除けば平成6年から14年間で2361人しか増えてない。










  89. 690 匿名さん

    >>689
    芦屋に富豪層なんていったい何人居るのかおまけに現実はぜんぜん人気無し、

    大阪の方が断然住みやすく定住性も高い。

  90. 692 住まいに詳しい人

    芦屋は転入も多いですが、転出も多いです。

    一言で言えば、戦後は一貫して住民の入れ替わりが激しい町です。

    ちなみに転出率は、全国でもかなり上位(全国順位で50位/806位)です。

    戦後から高度成長期、安定成長期の末期にかけても一貫して、8000~10000人/年の転出がありましたし、
    現在も毎年人口の5%強の転出者があります。

  91. 693 匿名さん

    また、DID人口密度すら知らなかった恥晒しド素人が恥の上塗りしているのかw

    芦屋市は戦前のDID及び可住地についてはその面積に対して限界近くまで戦後に開発され世帯数が増加したが、
    昭和40年代以降に旧住造法の認可を得て各都市で幾つも開発された100~数100ヘクタール級の住宅開発を
    行えなかったので(市域の極端な狭さ及び開発に適した緩やかな地勢の大規模山林が存在しなかった為)、
    DID自体が拡大しなかったというのが、他の地域のような60~70年代の爆発的人口増加が起こらなかった要因。
    戦前の芦屋の市街地・住宅街の風景や街並みは様変わりし、もはや当時の原型を留めていない(所々に面影を
    残す建物が残っている程度で、街並み自体は別物)というのは、誰もが知っている事実。

    そもそも「奥池や埋立地を除外すると、戦前から人口は云々」といった表現も全くもって意味不明。
    通常の大都市近郊の都市は、奥池や芦屋の埋立地とは比較にならない規模の可住地拡大が見られて、
    それに伴う人口増加が、全体の人口増加の大部分を占めているんだから、他の都市の人口増加と
    比較するにあたって「奥池や埋立地を除くと云々」といった前提をする事がそもそもアホ丸出しw

    現実として、芦屋の世帯数は戦前(昭和15年で7890世帯)から5倍(現在4万世帯超)に増えているし、
    人口も2.4倍(140%増加)に増えている。

  92. 694 匿名さん

    >>687
    いい加減に少しは勉強しろよ。
    人口密度には、総人口を市域面積で割った単純人口密度、DID人口をDID面積で割った
    DID人口密度、可住地面積で割った可住地人口密度がある。
    単純人口密度は、急勾配の山間部や宅地開発が不可能な(転用できない)地域なども
    含まれるので、実質の開発や発展の目安には適さない。
    ゆえにDID人口密度が用いられる。

    芦屋市のDID面積は、
    http://www.city.ashiya.hyogo.jp/machidukuri/toshimasu/image/genkyo.pdf
    これを見ればわかるように全体面積より狭く7.65k㎡にすぎない。

    H17年 DID面積:7.65k㎡ DID人口:85,497人なので
    芦屋市のDID人口密度 11,173(人/k㎡)

    他の地域は、

    札幌市 7,966
    横浜市 10,036
    さいたま市 9,345
    川崎市 9,974
    大阪市 11,857
    大阪市 10,355
    堺市 7,558
    尼崎市 9,295
    西宮市 10,849
    神戸市 9,536

    政令指定都市(平均) 8,089

  93. 695 匿名さん

    >>692
    このスレに粘着してる荒らし君は何度書いてもほとぼりが冷めた頃に振り出しに戻しますが、
    芦屋の転居率が高いのは転勤族の多さによるものです。
    関西で最も知名度が高い住宅街ならではの現象で、定住志向のある方とは別に考えるべきです。
    そして何度も書くのは面倒ですが、芦屋では小学校の同窓会が盛んです。
    私は40台前半ですが転勤族が多いのにもかかわらず3割程度が現在も芦屋に在住しています。

  94. 696 匿名さん

         吹田市   豊中市   芦屋市   
    昭和15年 63,181  45,013人 39,138人
    昭和25年 66,094  86,203人 42,951人
    昭和35年 120,203  199,065人 57,050人
    現在   348,170  389,534人 93,631人

    人口密度9,840/km² 10,680/km² 5,060/km²

  95. 697 匿名さん

    世帯数の推移が最も重要で、実際には人口だけ追っても意味がないけど、奥池や埋立地を含まない(この前提は他の地域との比較においては意味がないけど)市域でも、戦前からの比較で人口は94%増加(39000→76000)していますし、世帯数は300%以上増加(7890→33000)しています。

  96. 698 匿名さん

    都市経済学の基本で、今時中学生でも知っている人口集中地区(DID:Densely Inhabited District)、DID面積、DID人口密度すら知らなかった恥晒し君がついにファビョりだした模様。

  97. 699 匿名さん

    ちなみに芦屋も含め、日本の大部分の地域ではDID面積≒市街化区域面積だ。

    だからDID人口密度は、市街化区域人口を市街化区域面積で割った数値とほぼ等しい。

  98. 700 芦屋マンション住民

    少し拝見しましたが、私の頭が悪いのか、

    結局何が言いたいのかさっぱり理解できません。

    古いのにさかのぼってまで読む気も起こらんし。

    もっと簡潔に、言いたいことだけ書いた方が

    より活発な意見交換になると思うよ。

  99. by 管理担当

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