神戸・兵庫の新築分譲マンション掲示板「芦屋市、西宮市でのお勧めの地区は何所ですか?」についてご紹介しています。
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購入検討中さん [更新日時] 2010-07-06 18:06:54
【地域スレ】芦屋市、西宮市の住環境| 全画像 最新の検討スレ 関連スレ まとめ RSS

芦屋市西宮市の2市内でのお勧めの地区は何所でしょう? 
コスト、住み安さ、閑静さ、学区や交通の便等、色々ありますがご意見を。。。。
なお、神戸市宝塚市、尼崎等はそれぞれの地域厨乱入防止のためスレ対象外です。

[スレ作成日時]2008-01-19 15:20:00

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芦屋市、西宮市でのお勧めの地区は何所ですか?

  1. 645 匿名さん

    >>644をもう一度読み直せば?

    芦屋市は埋立地と奥池界隈意外を除けば70年前からたった47%しか人口が増えていない。
    大都市の衛星都市としては全国で最も人口伸び率が低い街だと思うぞ。

  2. 646 匿名はん

    人口だけではなく、世帯も見なければ本質は見えてこない。

    戦前の世帯数は8000弱、これが戦後僅か15年で17000に倍増(以上)している。

    もちろんこれはもともと住んでいた人々が僅か15年の間に大量に死んで土地を分割したなんて事ではなく(まだ土地は馬鹿みたいに安く相続で切り売りなどの問題は無かった時代、土地の値段が上がりだしたのは1972年頃から)、主に阪急の線路以北に存在していた田畑や山林の開発による宅地の倍増というのはいうまでもない。

    人口については重要なのは、昭和40年頃までとは違い昭和40年代以降の芦屋市の人口の急増は土地の細分化によって増えたのではなく、集合住宅の増加によってもたらされたということだ。昭和40年頃までは、開発によって宅地が増えて人口が増加していたが、昭和40~50年代(既にインフラが敷設されているエリアでは大規模に開発できる土地がが無くなり発展が頭打ちとなり、それゆえに奥池や埋立地が開発された)以降の人口増加は、主に集合住宅の増加によるものだという事。

    そして最重要なのは、50年前に芦屋に住んでいた世帯で1970年代からバブル・現代にかけて世帯主が死んだ案件(つまり50年前に住んでいた世帯で70年代までに引っ越さなかった世帯の殆ど)では、大半の家が相続発生時に売りに出されて、土地の持ち主が入れ替わっているという事。つまり戦前に芦屋市に8000世帯弱(ほぼ当時の宅地数とイコール)が住んでいたといっても、今の40000世帯強のうち2割弱が、戦前からの芦屋の住民の家系という事では断じてない。言うまでも無く戦前から住んでいる世帯は、その半数どころかそれを遥かに下回る。

  3. 647 匿名さん

    >>645 人口だけ見てもわからんってのがなんでわからんのだ? 幼○園児か?

    戦前の芦屋は、1世帯あたり人口が約5人(昭和10年で5.1人)いて、現在は55%減少して半分以下の
    1世帯あたり2.3人だぞ。

    日本で集合住宅や団地やマンションが本格的に建ちだした昭和40年代以前の世帯数の増加は、開発が行われて
    土地・家屋が増えたことを明確に物語るものだが、人口の増減は世帯あたり人口に大きく影響されるので
    開発の度合いは分からない。

    大規模な開発により土地・家屋(世帯数)が3倍に増えても、一世帯あたりの人数が55%減少していれば、
    人口は35%しか増加しないんだよ。

  4. 648 匿名さん

    豊中市の人口
    昭和15年45,013
    昭和25年86,203
    昭和35年199,065
    平成10年389,534

  5. 649 匿名さん

    訂正  平成20年389,534

  6. 650 匿名さん

    >>647
    当たり前だろ、642でも>芦屋の土地は山手も浜手もかなり細分化された、と書いてる。
    でも芦屋に似た豊中を例に上げたが芦屋と比較してみろよw

  7. 651 匿名さん

    >>646 土地の細分化の中に集合住宅も含んだつもりで書いたが、説明不足だったのは認める。

  8. 652 匿名はん

    重要なのは、分筆によって宅地の増加が目立ちだしたのは1970年代末以降の話であり、
    戦後20年の間の世帯数の激増(2.42倍増、7000世帯→17000世帯、142%増加)は、
    ほぼ新規の宅地開発によって増えたものだという事。

    戦後既に現在の70%以上が宅地化されていたなどというのは、狂言、嘘、デタラメ。

    >その写真じゃ人口密集地と田畑の違いしか解らない、広大な敷地で樹木も多ければ山との判別は難しい。

    いいえ、

    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...

    この写真なら、明確に宅地・家屋はわかります。
    これ(戦後の画像)みたら、まともな常識人なら、岩園、朝日ヶ丘(現在の市街化区域部分)以北の
    全体面積の9割以上は未だ宅地化されておらず、家の数は今の1割以下である事がわかるはずだがw

    あまりにも必死な苦しい言い訳はやめて、そろそろ観念したら? この写真買えるから(モニタ上より
    大幅に解像度が高いから家の数と宅地化されている土地は一目瞭然でわかる)、確認すればいい。

  9. 653 匿名さん

    >>652
    浜手の住宅は切れていて見えないし木が多い豪邸の境目の判別は厳しいが、
    やっぱり奥池界隈+埋立地を除けば現在の住宅地に対して7割だね。
    現在の住宅地に対してとは、学校、病院、墓地等の公共施設を除いた宅地。
    グーグル地図と見比べればより解りやすいと思う。

  10. 654 匿名はん

    1961年(昭和36年)
    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=MKK611&am...

    13年前の戦後3年後と比較すると、岩園町の田畑、山林で猛烈に宅地開発が進み家が増加していることがわかる。
    六麓荘のテニスガーデン~日出橋の通り以北でも、戦後と比較して住宅が著しく増加し宅地開発が進行形であることが一目瞭然でわかる。

    1971年(昭和46年)
    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=MKK712X&a...

    更に田畑、山林の宅地化が山間部の全域で加速し、ほぼ開発されつくし現在と同じ宅地の体裁になっている事がわかる。戦後に大幅に増加した世帯数は、山間部の開発による影響が著しく大きい事が見て取れる。

  11. 655 匿名さん

    >>654
    だから当初の米軍機撮影と比較して見ろよ、六麓荘のはげてるのか家の屋根かどちらか解らなかったのが、解像度やコントラストがより明細になったので解りやすくなり家だったと判別出来てるし、岩園と朝日ヶ丘は当初より開発が遅れた地区としてあげてる。
    また樹木に覆われた森みたいな広い屋敷も細分化されれば宅地として解りやすくなる、この意味解る?
    要するに宅地としてすでに利用されていても敷地に対して家が小さければ解像度の悪い写真では森か家かの判別がし難く樹木の多い家は特に山手地区に多かった。ただしこの様な巨大邸も戦後の没落でかなりの家が細分化されている。

  12. 656 匿名はん

    戦後の僅か15年の間に世帯数が増加しているのに(宅地の分筆や集合住宅が未だほとんど無い時代)、
    今の宅地の70&以上が戦前既に宅地化されて家が建っていたんですか?www
    僅か15年の間に、全世帯の数割が死んだり切り売りして土地を数分割したのでしょうか?www
    まだいくらでも開発できる田畑、山林があったのにwww

    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...

    これ(1948年)のどこをどう見たら、六麓荘が戦前の団塊で現在の50%以上が既に宅地化(=家屋が今の半数)
    されていたのでしょうか? どう見ても家は今の1割以下ですが。
    また、どこをどう見たら市の阪急以北の大部分が戦前で既に宅地化されていたのですか?

  13. 657 匿名はん

    訂正

    戦後の僅か15年の間に世帯数が倍以上に増加しているのに

  14. 658 匿名さん

    戦後3年経過時点で学校の通り以北は数軒以下(しかもその殆どは戦後建ったもの)。
    現在のバス通り以北、学校の通り以南は15~20軒(しかもその半数以上は戦後に入ってから建ったもの)。
    そもそも現在のバス通り以北は、ごく一部を除くと戦後に入ってから開発・分譲された「新地」。
    戦後直後の時点で、現在の六麓荘の全体街区の実に9割以上が未だ宅地化されていない山林だったんだよ。
    岩園や朝日ヶ丘も、現在の総面積の9割以上が、宅地造成されていない山林、田畑だった。

  15. 659 匿名さん

    >>656
    またその写真を、それ解像度が悪くコントラストが付き過ぎていて解りにくすぎw
    それじゃその中で特定出来る戦前の家だけどテニススクールの平野邸と例のミュージシャン邸の南 、
    当時はその一角を全て所有していた大倉芦屋邸(本宅は住吉のオーキッドコート)
    どちらも戦前から確実にあった大豪邸だけどその写真なら山とそのハゲにしか見えない、
    何度も書くが軒数比較じゃなく宅地として利用された土地の有効面積率だからね。

    >どこをどう見たら市の阪急以北の大部分が戦前で既に宅地化されていたのですか?
    そんなの何処にも書いてないぞ、

    >着工~町並の7割以上が完成した時期
    >大正9~昭和初期
    >三条町三条南町西芦屋町西山町山手町山芦屋町東芦屋町東山町月若町
    >特殊地区・・・六麓荘
    >戦前にはすでに50%に達していたがその後入居者規制によりほとんど家は増えず。
    >しかしバブル期に規制が機能しなくなり細分化が進み現在に至る。
    >宅地化が遅れた地域(昭和20年時で50%未満)・・・・朝日ヶ丘町岩園町大東町
    >宅地規制によりこれ以上の開発が見込めない地域・・・剣谷町奥山町奥池町奥池南町

    ↑は一気に書き上げたので多少不都合な点が有るのは認める。
    例えば東山町は(昭和20年時で50%未満)に入れるべきなのと、山手町は川沿いの急傾斜地のマンション群地帯を頭に入れてなかったので7割は厳しく6割程度だろう。
    それと六麓荘は、居者規制によりほとんど家は増えず、と書くよりも、居者規制により少しずつしか増えず、と書くべきだった。

    >>658
    そんな子供騙しみたいな数字トリックを使うと貴方の書き込み自体の信用性がなくなるぞw
    昭和20年なんて終戦直後で少なくなって当たり前、比較するなら昭和15年39,137 昭和35年57,050
    20年間でも31%の伸び、
    >宅地の分筆や集合住宅が未だほとんど無い時代
    そんな事無いってw終戦で没落した豪邸は片っ端から分筆細分化されるか社宅化されるかだった。
    芦屋ではそれ以外にも震災で急激な細分化、マンションかが進んだ。

  16. 660 住まいに詳しい人

    奥池エリアを除く山手(阪急以北)の世帯数 8806世帯(平成17年)※現在は更に多い
    戦前の山手の世帯数 約900~1000世帯(昭和15年)

    まぁざっと9倍には増えてますな。
    戦前から住んでいた世帯は、必ず70年代以降から昭和末期・平成初期にかけて相続が
    発生しているけど、当時の区画は巨大ゆえに少なく見積もっても三分の二以上は
    売却されて分割されてるから、おそらく戦前から住んでいてる住人(当時から数えて2~3代目)
    は300以下でしょう。
    まぁ売ってまた近所に住んでいるという幾らかのケースを含めても、現在世帯数の5%以下でしょうね。

  17. 661 匿名さん

    開発されていたかどうかってのは、今の街並みと変わらない体裁の街があったかどうかでしょう。

    例えば、山林や広大な農地を持っている地主や豪農や一族の家がある**が戦後に売却されて
    大規模宅地開発されたケースにおいて、戦前から宅地化(地主などの家があったから確かに
    宅地は存在したw)されていたとは、常識的には言わない。

    かつて数万坪(数十ヘクタール)の土地を個人が所有していて、それが現在数百区画の住宅街に
    なっている場合、この住宅街の開発時期は?となると、言うまでも無く数百区画の住宅街が
    つくられた時期の事でしょう。

    西岡本7丁目の住宅街が開発されたのは誰がどう見ても昭和40年代後半(戦前からの住民など
    1人もいない)だが、以前に山にヘルマン屋敷があったからといって、大正からの住宅街だ!
    なんて屁理屈は通用するわけがない。

  18. 662 匿名さん

    大正~昭和初期の日本の裕福な家庭は子供が多く(5人以上が当たり前)、さらに住み込みが何人かいたので大きい家では10人以上住んでいるのが普通だった。

    だから、人口だけ追っても、本質は見えてこないんだな。今は大きい家が多いエリアは当時とは逆で、一世帯あたりの人数は平均(2.57人)より更に少ない。

  19. 663 匿名さん

    >>660>>661>>662
    実状を知らない妬み君が持論を吐いてますねw>>660の数値の元となった資料のソースよろしく。
    まず660の数値を信用したとして現状を書きます。
    私の家は芦屋に住み付いて3代目で年齢は40歳前後、芦屋では他地域よりも小学校の同窓会が活発です。
    なぜかと申せば地元在住者がとにかく多い、父親の代で死亡者も含めれば約5割、私で約3割が芦屋在住。
    私の代では転勤族が3割は居たので残りの半数はそのまま芦屋に居座ってる計算です。
    当然男性の方が多いのですが女性も結婚後芦屋に引越し戻ってきた人も多く居ます。
    >売ってまた近所に住んでいるという幾らかのケース
    相続での売却も色んなスタイルがあるが、多くは住み慣れた地元を離れない。
    最も多いのが近くのマンション等に住む、次で多いのは土地の切り売りで相続を済ませ現地に残る。
    相続後も数人の相続人が分割所有し住む、相続が発生する前に生前贈与をし敷地を分割所有する、
    >例えば、山林や広大な農地を持っている地主や豪農や一族の家がある**が戦後に売却されて
    >大規模宅地開発されたケースにおいて、戦前から宅地化(地主などの家があったから確かに
    >宅地は存在したw)されていたとは、常識的には言わない。
    なにを一人で勘違いしてるんだ、そんなの当たり前だろw
    >かつて数万坪(数十ヘクタール)の土地を個人が所有していて、それが現在数百区画の住宅街に
    >なっている場合、この住宅街の開発時期は?となると、言うまでも無く数百区画の住宅街が
    >つくられた時期の事でしょう。
    これも上記に同じw

  20. 664 匿名さん

    >>662
    それを基準にし、初代の子供が6人2代目の子供が4人3代目の子供が2人と仮定すれば、
    初代の子供が3人芦屋残り2代目の子供が3x2人が芦屋残りその子供が2名として、
    初代がすでに他界していたとしても芦屋在住の一族は9家族36人となる。

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