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上記でマンションを探しています。現在は夫婦二人ですが、将来は子どもをつくる予定。夫の実家は阪急六甲徒歩圏内で、夫婦二人の職場は大阪市内です。阪神高速湾岸線の便利がよくて、教育環境もよいところを探しています。おすすめの地域ありましたら教えてください。
[スレ作成日時]2004-10-06 20:26:00
上記でマンションを探しています。現在は夫婦二人ですが、将来は子どもをつくる予定。夫の実家は阪急六甲徒歩圏内で、夫婦二人の職場は大阪市内です。阪神高速湾岸線の便利がよくて、教育環境もよいところを探しています。おすすめの地域ありましたら教えてください。
[スレ作成日時]2004-10-06 20:26:00
客観的に見るひとつの指標が「地価」でないでしょうか?
地価(もちろん俗に言う住宅地)にはその土地のあらゆる面を
他と比較しながら決められる。
もちろん、「由緒」も含まれる。
これこそ客観的なその土地(地域)の
総合判断の基準となるのでは・・・と思っています。。。
地価=格 とは思いませんが
地価≒格 で指標になるのではないでしょうか。
芦屋ブランドでいう由緒とは「阪神モダンニズム」の時代あたりでないでしょうか?
平田町あたりなど阪神芦屋近辺に残っているような気がします。
参考
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/661/res/341-341
↑訂正:参考はリンク違いでした。
>>236 地価≒格 で指標にはなっても、これもまた難しい。
もしほとんど同格の土地が道を隔てて在ったとして、片方は容積率100%、もう片方は容積率200%
おそらく200%の方が売価は、150%〜200%は高くなる。
サラリと無視して石垣の高級住宅街・赤松町のハーバービュー六甲に注目。
明治時代後期、日清戦争(1894年 - 1895年)を経て、大阪は日本最大の経済都市となり、神戸は東洋最大の港湾都市へと発展したが、この両都市の産業拡大により、既成市街地の住環境は悪化した。
相前後して関西では、アメリカでの例に倣ったインターアーバン(都市間電車)路線の建設が盛んとなった。阪神電気鉄道(1905年開業)を嚆矢とし、続く阪急宝塚線(1910年開業)、阪急神戸線(1920年開業)ほかの各線の開通は、神戸・北摂の未開拓な後背地であった近郊農村地帯への着目のきっかけとなり、快適な住環境創造を目的とする郊外住宅地の開発が、鉄道沿線である風光明媚な六甲山南斜面、所謂阪神間において進められた。この地区の都市的、そして文化的な発達と、私鉄資本は切っても切れない関係にある。
明治期にまずは大阪の町衆=豪商階級の別荘地として開かれた当地は、大正期になると実業家を以外にも、当時の新興階級であった大卒のインテリサラリーマン層、つまり無産中流階級のための住宅地として発展していった。文化的、経済的な環境が整ったことから芸術家や文化人などが多く移り住み、別荘地であった六甲山山上および緑豊な市街地となった山麓に、彼ら富裕層を対象とした様々な文化・教育・社交場としてのホテル・娯楽施設が造られ、一大リゾート地が形成された。そしてこれら西洋文化の影響を受けた生活を楽しむ独自の生活様式が育まれたのである。それらは現在に至る日本の芸術、文化、教育、娯楽、生活に多大な影響を与えた。
日本において近現代に建設された軽井沢などにみられる洋風リゾート施設・高級別荘地、および田園調布など東京の近郊住宅地にも、阪神間モダニズムの影響を見ることができる。
当時建設された主な施設等
宝塚歌劇
ヨドコウ迎賓館 (山邑太左衛門邸、フランク・ロイド・ライト設計)
甲子園会館 (甲子園ホテル、ライトの愛弟子である遠藤新設計)
香雪美術館 (朝日新聞創立者・村山龍平の邸宅)
白鶴美術館 (白鶴酒造・嘉納治兵衛の邸宅)
逸翁美術館 (阪急東宝グループ創業者・小林一三の邸宅)
滴翠美術館 (山口銀行(現UFJ銀行)創業者・山口吉郎兵衛の邸宅)
芦屋市谷崎潤一郎記念館 (富田砕花、および谷崎潤一郎の邸宅)
倚松庵 (谷崎潤一郎の旧居)
二楽荘 (浄土真宗本願寺派門主大谷光瑞伯爵の邸宅)
旧制灘中学校(現灘中学校・灘高等学校)
旧制甲陽学院(現甲陽学院中学校・甲陽学院高等学校)
関西学院上ケ原キャンパス (ウィリアム・メレル・ヴォーリズの全体設計)
神戸女学院岡田山キャンパス (ウィリアム・メレル・ヴォーリズの全体設計)
甲子園球場
西宮球場
カトリック夙川教会聖テレジア大聖堂
神戸タワー (1924年竣工)
トアホテル
宝塚ホテル
六甲山ホテル
御影公会堂
神戸ゴルフ倶楽部
広野ゴルフ倶楽部
再度公園
阪急百貨店
深江文化村(冨永家住宅主屋、古澤家住宅、ベーカー邸)
苦楽園ラジウム温泉 (1914年開湯)
香櫨園 (庭園、ホテル、奏楽堂、遊園地)
東亜キネマ (映画製作会社)
帝国キネマ演芸株式会社(帝キネ)芦屋撮影所(映画製作会社の撮影所・芦屋市)
六麓荘(芦屋市六麓荘町)
松風山荘 (芦屋市山手町・東芦屋町)
西宮七園
六甲ケーブル
六甲有馬ロープウェー
摩耶ケーブル
>>242です
付加価値が付いて結構良い線になった感じに思います。242での訂正ですが、最後の売価はXで地価が○です。
震災前は、芦屋市内の各所にも東灘界隈にも点在してた阪神モダニズムを感じさせる様な洋館も少なくなり、跡地にマンション等が建ち街の雰囲気もずいぶん変わりましたね。
建築家の安藤忠雄さんも阪神間をトータルイメージで幾つか設計されてますが、地元出身企業の竹中工務店にももっと頑張って頂きたい、阪神間では竹中工務店に私邸を作ってもらうにがステータスですが、私邸もマンションも特に共通するテーマは感じられない。
竹中工務店辺りがイメージリーダーに成れば、”新”阪神モダニズムが生まれるかもしれない。
もう阪神モダニズムは過去の物ですから・・・
まああのバブルの時は、他ゼネコンも小規模マンションには見向きもしなかったし、仕事も雑なマンションが多かったですね。景気も程々のが長期続くのが、理想かな。
篠原台に、そんな遺跡の数々を見ることができます。建物はとても立派なんですけどね .....