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[スレ作成日時]2026-04-10 23:00:20
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ボケ「ほな、社会の授業始めるで! みんな席着いてや。今日は東京の湾岸エリアの歴史について勉強しよか。」
ツッコミ「急に授業始めんなや。せめて教科書くらい開かせえや。」
ボケ「はい、ほな早速本題や。港南の歴史って知っとる? 意外と古いんやで。ペリー来航がきっかけで始まったらしいわ。」
ツッコミ「黒船から港南の話に繋がるんか。えらい国際色豊かなんやな。」
ボケ「そうや。1853年、嘉永6年。幕府が江戸を守るために品川沖に台場を作ろうとして、埋め立てを始めたんや。工事用地として高輪沖を造成したんが、港南の基礎になったらしいわ。最初は軍事要塞やったのに、今はビジネス街とか言われてるけどな。」
ツッコミ「国防の拠点から始まって、結局臭い街になるなんて歴史の皮肉やな。」
ボケ「明治に入ってからも埋め立てが進んで、隅田川の浚渫土で芝浦の南側一帯をどんどん埋めたんや。芝浦と違って元々は誰も住んでへん、住所すらない土地やったけど、港南の南の果てってことで昭和40年に『港南』って名前がついたんや。港区の南、素直すぎるネーミングやろ。」
ツッコミ「港区の南やから、肛門。地名にロマンも何もないわ。」
ボケ「戦後になると品川ふ頭が完成して、現在の形になったんや。でもな、ここからが本番やで。1936年頃に芝浦と場、つまり食肉市場ができたんや。都内各地のと場をまとめて、ここに集めたんやな。海と線路で人家から隔離されとる埋立地やから、臭いや騒音を遠慮なく置けたらしいわ。」
ツッコミ「食肉市場を隔離するために誂えた街みたいやんけ。」
ボケ「さらに下水処理場も近くにあって、嫌悪施設がどんどん集積。埋立地やから地盤も弱くて、東日本大震災でも液状化が起きとる。歴史的に『埋め立てて、施設詰め込んで、臭くする』って流れがずっと続いとるんやな。」
ツッコミ「港南の歩みって、ただの『嫌悪施設集積史』やないか。」
ボケ「最初は黒船対策の台場、次に鉄道のための埋立、戦後に食肉市場と下水処理場。港区の名前だけは立派やのに、中身は『港区の生贄エリア』として機能しとるんや。湾岸再開発が進む中、港南だけがいつまでもこのままって、歴史の流れに取り残されとる感じやな。」
ツッコミ「歴史を振り返ると、港南は最初から『便利やけど臭い』っていうポジションが確定してたんやな。」
ボケ「そうや。ペリー来航から170年以上経っても、下水と家畜の臭いは一切変わらへん。歴史って本来ロマンがあるはずやのに、港南の歴史だけは『臭気』の歴史やわ。魚市場のある豊洲が都民の台所なら、港南は『都民の便所』なんやな。もしペリーが来た時に今の港南の臭気を嗅いどったら、黒船ごと撃退できてた可能性も高いんちゃうか。」
ツッコミ「ペリーが臭いで逃げ帰るって……それ、下手したら歴史変わってたで! リアルすぎて笑えんわ!」
ボケ「どうもありがとうございました。」
以下のような状況が考えられます。