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自民党総裁選で主要派閥に推され、その戦いを有利に進めている菅義偉氏。ここにきて、「叩き上げ」「苦労人」「庶民派」「集団就職」という人物評が闊歩し、中には「田中角栄にも通じる庶民派」などという評価が出ている。しかしこのイメージは本当なのだろうか?確かに「苦労人」の解釈は人それぞれであるが、稲作を妻に任せて博打に明け暮れ、借金苦であった田中角栄の実家と、菅義偉氏のそれは明らかに違っている。
菅義偉氏の父・菅和三郎は秋田県雄勝町(現・湯沢市)の町議会議員を菅氏の中学校卒業頃から連続で4期務め、同時にいちご栽培で成功し、1959年(菅氏が10歳のころ)には地元組合の長となって以後51年間、独自のいちごブランドを育てる。2010年に死去すると、旭日単光章を叙勲されたほど成功した地元の名士である。明らかに貧農で、進学さえままならなかった角栄とは根本的に異なっている。
菅義偉氏を支持する人々は、「安倍路線を継承する」と明言した菅氏を安倍総理の正統な後継者としてみなして、いささかイデオロギー的観点を加味して菅氏のこのような来歴を好評価する。ネットでの保守系、右派系からの受けも、安倍政権を支えたという意味ですこぶる評判が良い。確かに「叩き上げ」「苦労人」「庶民派」「集団就職」という人物評はいかにも私たちにとって菅義偉という政治家の人となりを評価するときに、確かにプラスのイメージとはなるだろう。しかしそれはどこまで本当なのだろうか?
・集団就職の経験はなかった?
ノンフィクションライターの森功氏は、その著書『総理の影 菅義偉の正体』(小学館)の中で、2015年8月に菅氏自身に直接、集団就職の有無を問いただしている。菅氏は1948年に秋田県雄勝町に生まれ、小学校・中学校をへて秋田県立湯沢高校を卒業。高度経済成長期の真っただ中、中卒で集団就職する級友たちをしり目に、高校に進学する進路をとった。「いわゆる集団就職は中学校卒業後に上京して就職するケースを指すのではないか」という森氏の質問に対し、菅氏はこう答えている。
菅はまるで集団就職を売り物にしているかのように、訂正しないのはそのほうが都合がいいからだ、とまで言われる。私は、高校でちゃんと就職を紹介してもらってこっち(東京)へ出てきています。それが(板橋の)段ボール会社で、そこで働き始めたんです
出典:森功『総理の影~菅義偉の正体~』*カッコ内筆者
このように、集団就職は中卒後に上京するパターンをさすが、菅氏によれば高卒で上京しても「広義の集団就職である」と解釈している。しかし森氏は、この応答で「いちご農家を継ぐことを長男である菅氏に期待した父・和三郎への反発や東京へのあこがれ」があったとして、
さしたる目的もなく、問題意識も抱かずに東京暮らしを始めたというのは、正直なところなのだろう。集団就職と言いながら、地方出身者が職を求めて都会にやってくるケースとは明らかに異なる。あるいは歌手や俳優などの有名人になろうとして上京する野心とも違う。つまるところ、農業を生業とする地味な東北の暮らしぶりから逃げたかったに過ぎないのである。
出典:前掲書(森)*強調筆者
と結論付けている。一方、ジャーナリストの松田賢弥氏による『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』(講談社)にも、いちご農家の長男として生まれた菅義偉氏に、父・和三郎は家業を継ぐことを期待しており、高卒後に上京する菅氏の意思に対して父は激怒し、以後確執があったと解説している。
のちに菅氏は法政大学に進学するが、ここの学費は自分で工面した。しかしそれは実家が貧しかったからではなく、実家の方針に反して上京してきた手前、仕送りを頼めなかったという都合があったのではないか。ともあれ菅氏の東京へのあこがれは少年時代から強いもので、就職を目的とした集団就職組とは明らかに異なっている。
松田氏によれば、「上京した菅はいったん、地元の高校の紹介で東京・板橋区の段ボール工場に住み込みで就職する」が、同じ郷里から中卒で上京した集団就職の一群と出会った。
東京で働くようになってからも、田舎の仲間にはたまに会った。そこで菅は、中卒で働く彼ら下積みの苦労を聞かされる。彼らは織物・洋服・鉄工・製パンなどの中小の工場や、クリーニング屋・パン屋・米屋・美容院など小零細の個人商店でその家族に召し抱えられたような状態で働く者が多く、一方でそれらの業種は慢性的な求人難でもあった。(中略)ひたすら東京に憧れ、高卒で単身東京に出てきた菅にとっては少なからぬショックだった。
出典:松田賢弥『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』(講談社)*強調筆者
どうやら「金の卵」ともてはやされ、生活のために上京してきた当時の集団就職と、菅氏のそれは明らかに異なっているようだ。さらに前掲書の中で松田氏は2013年11月に菅氏に対し森氏と同様のインタビューを行っている。松田氏から、「菅さんの生まれ故郷は秋田でも指折りの豪雪地帯ですね。中学を卒業して東京へ集団就職する同級生も多かった。菅さんは高校までそこで過ごされた。集団就職で上京したという話もありますが、これは間違いですね」と聞かれるとこう答えている。
ええ。中学が一二〇人くらいで、その半分が中学を卒業すると東京に行きました。私は高校に進みましたから
出典:前掲書(松田)
と、あっけらかんと自分が集団就職組ではない、と認めている。「集団就職」を経験した苦労人のイメージが補強されているが、菅氏自身の自己認識は時期によって一定していない。13年の松田インタビューでは集団就職を否定し、15年の森インタビューでは肯定している。いずれにせよ、菅氏が「集団就職」を経験したわけではないと解釈しても間違いではなさそうだ。
古谷経衡 | 作家/文筆家/評論家
9/9(水) 7:03
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200909-00197325/
[スレ作成日時]2020-09-10 17:14:46