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世の中には未知な事や不可思議な事が色々ありますが信じる?信じない?について語りましょう。
[スレ作成日時]2011-03-01 07:48:03
世の中には未知な事や不可思議な事が色々ありますが信じる?信じない?について語りましょう。
[スレ作成日時]2011-03-01 07:48:03
大宇宙という圧倒的な存在の中では何物もその存在を誇る事は出来ない。
超越者が何物かを詮索する事は、今の我々には出来る事では無い。
精神世界どころか物質世界の幾許かも理解出来ていない今は。
我々の中にある生命が何処から来て何処へ行くのかさえも想像の
外である今は。
超越者を神と称しても良いのかさえ解らない我々は、
ただ、その想像すらできない事象に畏怖を覚え、心を凍らせるだけだよ。
死んだ時点で脳の機能も停止するから、そもそも死後の世界とか感じることすらないのでは?
死後の世界なんて、所詮生きてる人間の想像の産物に過ぎないんですよ。
神を創造したのは人間です。
神は人間の‘都合’ででっちあげられたことを
悟りなさい。
実質有料で神霊治療を行うなら、その効力を証明しなくては駄目だと思います。
神を人間が利用しているのは事実。
また、人間以外に神を認識する事が出来る命が居ないのも事実かもしれない。
なぜなら、人間の知識は微々たるものだから。
何が真であるかも認識出来ない人間同士が、想像を超える事象に畏怖を覚え
超越者を見いだした。これも事実かも知れない。確認の術はない。
知識が深まれば深まるほど、謎が増える。
なぜ物質が有るのか。意識は何か。命は何処にあるのか。
人間が生じる前から世界は有った。命もあった。誰が意図したのか。
人間の知識は答を知らない。
肯定の理由、否定の理由は何?
>2306
>なぜ物質が有るのか。意識は何か。命は何処にあるのか。
意識は、脳内の神経ネットワークによって構成されてます。というのが最も現実的。意識が脳以外の所にあるって、なんで思うのか甚だ疑問です。
命だってそう。細胞レベルで生命活動が停止した時点で、それが「死」であります。生命活動をしているうちが命ですね。なんでそれ意外に命の場所を求めるのか甚だ疑問です。
↑残念23:23:23惜しい。
兄さん:兄さん:さんゼロ
死後肯定派の者たちは、現実から想定するという能力がない。
どう考えれば矛盾なく説明できるかを知らない。
だから、神の存在とか極端・無理な話を持ち出したりしてごまかそうとする。
要するに、頭がよくない。
「肉体だけが存在」との位置からこの現象世界を観れば、
現象世界を認識する主体の肉体器官(脳髄)が消滅すれば全て消滅する。
肉体から観れば肉体自身の消滅が人間本体の消滅と考えるのは自然な話です。
「肉体消滅後この世界を認識する器官も消えるから人間自我のすべては消滅する」は
あくまで肉体器官からこの現実世界を解釈したものであって、真実ではありません。
肉体器官は人間本体が地上世界で自由に生命活動を行うため自ら創造した謂わば人造機関です。
(すでにそのプロセスについては旧約聖書の創世記第2章を用いて説明をいたしました)
脳髄は「人間本体のために」外界から受信する感覚的刺激を人間本体に翻訳して伝えます。
脳髄は人間本体の指令を受け、地上生活に必要なあらゆる情報処理を全て一括して受けています。
脳髄機構は驚くほど複雑かつ巧みに造られているために、
脳髄意識はあたかも人間自身の主体的意識の本体のように振舞ってはいますが
あくまで人間本体が主体になって扱う情報処理装置を動かすプログラムであるに過ぎません。
これを私は「本能的自我」であると説明しました。
本能的自我はあくまで肉体機構を動かすためのプログラムです。
ですから、実際には、肉体人間の「意識」そのものには、何も「固定的実体がありません」。
摩訶般若波羅密で「五蘊皆空」と説明しているものです。
五蘊=色・受・想・行・識の五つ。
「色」は物質(肉体人間)、「受」は感受(外界の印象の受信)、「想」は表象作用(イメージ)、
「行」は意志、「識」は認識(情報ストック)。
肉体人間の心の作用を「外界よりの刺激を感じ、イメージし、意志を加え、認識する」と分析したわけです。
「空」とは「それ自身には主体性がない、固定的実体が何もない」という意味です。
あなた自身が支配する肉体は、何ら主体性も固定的実体もない、単なる仮相人間です。
そして、あなたの肉体を構成するすべての「物質」というものもまた、すでに証明したように
「虚空に突如浮かび群雲のように湧き起こったかと思えば次の瞬間には無に帰する」ような
実に頼りない、空疎で、儚く、脆い、空々漠々たる仮の存在でしかありません。
「物質というもの」は「仮の存在」であって「実在ではない」のです。
物質はない!肉体はない!
肉体はないから肉体が感する感覚もない!肉体より生じる意識もない!意思もない!心もない!
肉体には何もない。むなしい存在です。
肉体から観れば、「空」よりして一切は生じ、またふたたび「空」へと帰る。
変転常なき無常の世界。これが般若の思想です。
では、仮存在ではないものが、なぜ存在するかのごとく見えるのか?
本物の存在とは何であるのか?
それが究極の命題なのです。
「五蘊皆空」とは、肉体の感覚はそのすべてが仮相のものであり、
それは人間自身の本体がみずから作り出したものであり、
「永遠に存在する不変の実体」ではないという意味で「空」ということになります。
永遠に存在しない仮相の存在を証拠にこの現象世界を感覚している人間が**ばなくなります。
このように解釈すると
「五蘊皆空」の本当の意味が抽象的な概念などではなく、
具体的かつ現代の科学的知識と何ら矛盾なく納得されることになるのではないでしょうか。
この「空」なる存在であるはずの肉体人間が
永遠でない有限の仮の世界に住みながらも、それでもなお「空」であると知るところの智恵は
いったいどこから生じるのであるか?
肉体は肉体それ自身の能力を超えて実在を認識することはできないはず。
「空」なる存在である肉体の内奥に、
「空」ではない「実」なる存在としての「実有の相」の人間があるのです。
これが本当の人間であり、本能的自我(仮相存在)を支配する本質的自我(実相存在)です。
これこそが、創世記第1章に描かれたところの
神が神自身を素材として神自身の姿に似せて創り給うた神性人間の本当の姿です。
我々は皆、個々別々に切り離された個性ある肉体を持ちながら完全に独立して存在し
それぞれ自分の意思だけで生きているかのように感じているが、
実際には、それらはみな一時的な仮存在であり、
よって、すべての肉体人間はそ自体が「空」なる存在である。
「空」であるから、「それ自身は本質的かつ実質的存在ではない」のであって
それ自身の存在価値は肉体自身が「われは生きている」と感じている間だけに存在する。
肉体が与えられた生存機能を停止し人間本体から離れるとき、
再び物質原子となって宇宙の構成要素に復帰してしまえば
「われは生きている」という記憶すら消滅して終わる。
つまり肉体人間ははじめから死すべきものであって、死後の世界など存在する理由が無い。
さらに逆説的にいえば、
人間の肉体を構成する細胞の中の物質そのもの自体が原子レベルで
肉体人間が活動している今このときでも常に生滅を繰り返しているのだから
「確たる存在としてあるのではなく明滅を繰り返しながら夢幻のように漂っている」のが
「空」なる存在としての肉体人間の真実の姿なのです。
是の身は霓(にじ)の如し
霓(にじ)は久しく立つ能わず
須臾(しゅゆ)にして消ゆ
是の身は泡の如し
泡は久しく立つ能わず
須臾にして消ゆ
是の身は幻の如し
幻は久しく立つ能わず
須臾にして消ゆ
是の身は響(ひびき)の如し
響は久しく立つ能わず
須臾にして消ゆ
是の身は稲妻の如し
稲妻は久しく立つ能わず
須臾にして消ゆ
是の身は浮雲の如し
浮雲は久しく立つ能わず
須臾にして消ゆ
是の身は水流の如し
水流は久しく立つ能わず
念々に流れ去る
是の身は芭蕉(ばしょう)の如し
実ありと見ゆれども
中空(なかくう)にして実あらず
是の身は炎の如し
温かく見ゆれども
一切を焼き尽して空し
是の身は夢の如し
実(じつ)ありと見ゆれども
虚(きょ)にして空し
是の身は迷より出ず
実(じつ)ありと見ゆれども
妄(もう)にして空し
この身は主(しゅ)なし
主ありと見ゆれども
主なくして空し
この身は心性(こころ)なし
心性ありと見ゆれども
瓦礫(がれき)の如く心性なし
この身は生命(いのち)なし
旋風(せんぷう)に舞う樹の葉の如く
唯業力(ただごうりき)に転ぜらる
是の身は不浄なり
美しく見ゆれども
内(うち)に醜(みにく)きもの充満す
是の身は無常なり
堅固(けんご)なりと見ゆれども
必ずや当(まさ)に死すべき時臨(きた)らん
泡の如く、霓(にじ)の如く
幻(まぼろし)の如く、響(ひびき)の如く
過ぎ去るものは実在に非ず
汝ら実在に非ざるものを
「我」なりと云うべからず
当(まさ)にこれを「我」と云うべからず
空(むな)しきものは「我」に非ず
死するものは「我」に非ず
無常なるものは「我」に非ず
法身こそ応(まさ)に「我」なり
仏身こそ応(まさ)に「我」なり
金剛身こそ応(まさ)に「我」なり
不壊(ふえ)なるものこそ応(まさ)に「我」なり
死せざるものこそ応(まさ)に「我」なり
尽(じん)十方(じっぽう)に満つるものこそ応(まさ)に「我」なり
>2311
>死後肯定派の者たちは、現実から想定するという能力がない。
>神の存在とか極端・無理な話を持ち出したりしてごまかそうとする。
>要するに、頭がよくない。
そういう自分だって、家族が**ば葬式をやるんだろ?
それで、手とか合わせちゃうんだろ?
あと、初詣とか行ったことあるんじゃない?
〉2315
お前の考え方は理を伴っていない。
飛躍と言うよりは、墜落中だね。
いつまでもそんなこと言ってると、病院に
連れてゆくよ。(^^)
私達が棲む星のうつくしさ
Moonlight and Milky way rising at Daigenta Canyon .
http://www.youtube.com/watch?v=nwPQdcGTRQo
あるがままに受け入れること
天の川が流れる月ヶ浜の夜 - 西表島[TIME LAPSE PHOTOGRAPHY] 1080P - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9ne_1xiytp4
私達はこの壮大な世界のどこへ向かうのか
The helical model - our Galaxy is a vortex
この宇宙の実相は人知をはるかに超えた世界である。
物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。
真の人間は「神の子」であって物質ではなく、肉体ではない。
肉体ではないから物質の世界に出入する事もない。
物質の世界に出入することがないから物質の世界より見れば人間は不生である。
不生であるから滅することも亦ないのである。
物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、
従ってまた滅すれども「人間」は本来物質界に生ぜざるを以って又滅すると言う事もない。
人間は本来「生」である。
「滅」に対する「生」ではなく、本来「生」であるから、
老なく、病なく、死なく、破壊が無いのである。
老とは「生」の衰耄を言えども、人間は本来「生」であるから衰耄せず老朽しないのである。
衰耄は「生」にあらず、人間に非ず。
衰耄なきを「人間」と言い、老朽せざるを「人間」と言う。
病なきを「人間」と言い、「死」なきを「人間」と言う。
釈迦は「人間」の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、
釈迦はそのときまだ「人間」を見ていたのではない。
念の影を見て「人間」と思い違いしていたに過ぎない。
釈迦が此の世を見て無常と観じたのも「真の人間」の世を観たのではない。
それは無明の投影の世を観て無常としたのである。
真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、
人間は永遠不死、金剛身、如来身、実相身、清浄身である。
人間は神の子なるが故に本来「浄」にして不浄ではない。
人間を指して不生不滅不垢不浄というのは真相ではない。
般若の思想は無常想から実有想に到る過渡的思想であるから、
不生不滅不垢不浄を説きたれどもこれは物質に比喩しての方便説である。
人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。
また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢がその実相である。
本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき
汝らは歓びに満たされて手の舞ひ足の踏む所をしらないであらう。
実質有料で行う神霊治療は効能を証明する義務があると思います。
輪廻転生。
カルマ。
死後の世界、宗教、神を信じないことと、冠婚葬祭を関連づける人がまだいるが、
いい加減に関連が薄れていることを理解しなさい。
分かり易い例では、クリスマス。
宗教的に言ったら、日本では大多数の人は無関係。
死後の世界があるのなら、死んだときに解るから楽しみにしとけよ。
もしなくても損はせんだろ。 と言うか~ 気付かんだろ。
もしあったら楽しそうやねぇ~
>2324
おいおいクリスマスを宗教と誰が関連付けた?
日本においてクリスマスツリーと宗教が関係ないのは裁判でも明らかになっている。
あなたは死後の世界や宗教を否定しているのに、
結局、葬式や墓参りなどきわめて宗教色の強いことをヤルんだろ?
その点、ココに登場するカズキングは実に行動も伴っている。
葬式もやらないし、墓参りも行かない。
そりゃそうだ、神や死後の世界が無い者にとって何に意味もない。
それは寂しい考え方だわ、死語の世界、あったらいいなくらいは思っときなよ。
死ぬ時もワクワク出来るだろ。
↑死の恐怖は和らぐかもな
死んだ後も自己が残っていると考える方がよっぽどムリがあると思いますが。
精神は消滅すると考えるのがごく自然ですよね。
「自分が消え去る」という現実に耐えられない人間たちが、物語を作って自分を慰めているだけ。
弱虫なんだね。怖いんだね。なにがそんなに怖いの?? 笑笑
↑ おたく試しに一回死んでみたら? 恐くないでしょ 何処で死ぬ? 教えて?
2330の言う通り、怖くないんでしょマテリアルさん、やってみなよ。
2329さん、
弱虫なんだね。怖いんだね。なにがそんなに怖いの??
死後の世界があるとすると、それを現世の人に証明するにはどうすればできるのかね?
まだ一度も、誰もが納得できる証明はされてない。
死後の世界を信じる人たちは、信じるくらいだから、そこがどんな世界か想定はあるんでしょ?
その想定はどんなもの?
そして、誰もが納得できる証明には、どうすればいいと思う?
>>2326
あなたは宗教を信じる信者なのですね?
信者なら他人を罵倒してはいけませんね。
クリスマスが宗教行事でないなら、冠婚葬祭ももはや宗教との関係は薄いですね。現実に世の中を見渡すとそうなってますからね。
世の中は違いますか?
死ぬのが怖いとか言うやつは、厳密には死ぬときの痛みとか、苦しみが怖いだけやで。そんなもん死後の世界を信じてようが信じてなかろうが、みんな怖い。
精神とか魂とか心とか自我とか、いろんな言い方あるけど、結局それは何かと言えば、脳内の神経ネットワークのことなので、脳が腐ったらおしまいです。こんな簡単なこと早く理解してください。
弱虫がいっぱい沸いてきたね!!
死ぬ時の痛みや苦しさが恐い原因ってか?
おれは全身麻酔したとしても死ぬのは嫌だし恐いわ。 普通そうだろ、おれだけか?
死後の世界も有ったら楽しそうだわな、無いと思うよりはなんとなく嬉しいわな。
深く考えても死なないと誰にも解らんのや、楽しみにしときな。
全身麻酔してても、死ぬときは苦しいのかも。全身麻酔をする時点で、相当苦しい状況だからね。そんなことになりたくないわな。
脳の研究が進んで、心とか精神と呼ばれるものが、脳の働きによるものだと100%証明された時点で、死後の世界は、ただのおとぎ話になると思うんです。どうでしょうか。現時点で50%以上、証明できてるんじゃないですかね。
おたくねぇ~ インチキ言わないの。
全身麻酔の何処が苦しいの? 病気前提でだれが書いてるの?
おたくのそんな屁理屈はどうでもいいのよ、どうせ解らないんだから。
死後の世が有るとは言えないが、無いと言う証明も科学的に出来ないよな。
死なないと解らないからな。 ファンタジーでごわす! 笑~
実際のシュチュエーションで、病気でも何でもないのに全身麻酔しないっしょ。屁理屈ではなくて理屈ね。
そのうち脳の研究が進めば、死後の世界とか考える必要なくなるから、安心しなさい。
夢見てなさい 笑~
輪廻とかカルマとか何の為にあるの?どうしても無理で出来ない事だってあるしそれをさせる為にもう一度人生やり直したって…神って意地悪だね
カルマ輪廻転生は前世の記憶を消して現世で罪を消化させ霊格を高めるためと聞いた事があります。
産まれた時の記憶、ずっと昔の記憶有りますよ。コルセットを初めて見たとき感じました。
家庭環境が悪くて(虐待等)学校でも行き場が無く頑張っても幸せに恵まれないのは前世のせいですか?
前世の記憶を残したまま輪廻転生しては意味ないんじゃね
>2333
冠婚葬祭の話じゃないですよ。
成人式に宗教的な物は感じないし、、
私の言っているのは葬式の話。
神・死後の世界を否定している人が葬式やるというけど、、、神父さん呼ぶの?坊さん?
で、手を合わせるの?だとしたら何の為に?
え!!( ̄□ ̄;)!!意味無いのん?!
証明しないと死後の世界がないことを納得
できない奴って相当のバカだよね。
そだね!
丹波哲郎の大霊界死んだらどうなるレンタルして霊界について勉強した方が良いでしょうね。