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最近、とみに「収入格差」やそれによって生じてくる「下流社会」について
言及されていますが、日本もアメリカのような弱肉強食的社会になって
いくことが果たして良いことなのでしょうか?
[スレ作成日時]2006-04-03 23:08:00
最近、とみに「収入格差」やそれによって生じてくる「下流社会」について
言及されていますが、日本もアメリカのような弱肉強食的社会になって
いくことが果たして良いことなのでしょうか?
[スレ作成日時]2006-04-03 23:08:00
スポーツや芸術は才能がなくちゃ話にならないけど
逆にいえば、才能があれば、世に出て行くチャンスもありそう。
スポーツ選手なんて特にそう思うけど。
家は貧しかったけど一代で富を築いたとか珍しくなさそう。違うのかな。
>>196
あなたがクラシックの巨匠な訳でもないのにずいぶん偉そうなんですね。
195さんの方が実体験として参考になります。少なくとも成功しているのですし、
自身でクリエイティブな活動をなさっているのですから。
クラシックの巨匠さんがあなたのような単なるとりまきに本音を語るとも思えないですし。
195さんの成功って
食べていけるレベルなら成功というほどのものでもないのでは?
自称音楽家ってそりゃ色々な人がいるでしょう。
良く知らないけど日本の音大なんてもともと趣味レベルも多いだそうし。
思い込みで書く人がいるけど(自分だけ成功してるとか)、恥ずかしいだけ。
巨匠レベルでなくても少なくとも195よりは音楽家といえるレベルじゃないって
決め付けられるところが思い込み強い自作自演かな。
どうでもいいけど、本物の才能も知らずに本音がどうとかって良く言えるね。
才能ない人しか知らないから、みんなそうだと思ってるとか?
上には上があるんだよ。これがわかるかわからないかだけでも大きな違い。
ささ、サラリーマンの話に戻そうよ。
というより才能のないアーティストなんて詐欺みたい。
そんなのに騙される一般人がたくさんいるっていうなら確かに才能なんてどうでも良いけど。
やだなあ。
そんなのにお金払って音楽会に行きたくないけど。
テレビなどのバックグラウンドミュージックくらいのことだよね?
ここは才能という言葉を崇拝している小市民たちのスレなんですね。
>あなた、ある程度の社会的成功をおさめた人とあまり交流なさそうですね。
でも交流ある人もだめなのね。
自分だけが正しいという自信も確かに「ある程度の成功」する人にはあることもあるかもね。
>崇拝
というところが素人らしい。
才能があるということをどうしても認めたくないらしい。変わった人。
何か不都合でもあるの?
あんたは才能ないねってずっと言われて育ったトラウマがあるとか?
本物も知らないのに今度は小市民ときた。
小市民は自分でしょ。(苦笑)
ばかだなぁ。才能があるってみんなに言われるから、才能なんかじゃない、って心の中で思ってるんだよ。
たまーに努力しなくても出来る人に、出来るだけで
すごい努力をしてるんですね、と決めるけるのがいて不愉快だったけど
別に妬みというわけでもなかったのかな。
ところで、才能才能ってうるさい人、ひとりでたくさん書き込み過ぎですよ。
>212
それは殊勝なことで。
でもだからって他の人もみんなそうだと思うのもどうなの?
それに才能があるっていうのはあくまでも才能の話であって、影の努力がどんなものか
って大抵はちゃんと想像してるよ。
才能+努力でしょ。結局。
あなたがどんな大物か知らないけど。
才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能
才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能
才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能
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才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能
才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能 才能
さ、今日はこのくらいにしておこう。
もう仕事の時間ですよ〜w
ところで話それてスマンが上の方でクラッシク〜アーティストとあるのが
ちょっとひっかかる。
クラッシクやってるひとってどんなにビックネームでも単なる演奏家じゃないのか?
またはアレンジ屋。(作曲している人は別ね。)
職人という範疇ではないのか?
芸術ってのはゼロからなにかを生み出すものだと勝手に思ってるからそう感じる。
だからホロビッツさんよりサザンの桑田のほうがよっぽどアーティスト(芸術家)だ
というのがオレのスタンス。
>219さん
私はクラシック音楽が好きで、いろんなCDを聴いたり、時々コンサートにも
足を運びますが、
同じ曲でも、演奏家が違うとまるで違う音楽に聴こえるときがあるの。
それは、たとえばピアニストが自分の世界を構築して表現しているからだと思います。
そういう点において、立派な芸術家だと思います。
職人という範疇での感動を越えた感動もありますよ。
別に喧嘩を売ってるわけでもなんでもないので気を悪くさせてしまったらすみません。
ゼロからなにかを生み出す才能ってのは本当に素晴らしいという点、勿論同感です。
ただ〜
同じ曲、作曲家が演奏するより他の演奏家のほうがよく聴こえた経験あり・・・です。(^_^;)
グレン・グールドというピアニストにとてつもなく惹かれているなあ。
バッハの旋律を弾いていながらも彼自身の独自の世界を構築している。
彼こそ真の芸術家だよ。
他の人が作った曲を自分なりに解釈して演奏するだけでしょ?。
たとえばパロディーも芸術家なの?
少なくとも、ゼロから生み出した人よりも格下の芸術家ということでOK?
うーん、こういう意見が出るのは私としては残念なことです。
私的にはOKには同意できません。(気を悪くしないで欲しいとだけ・・・)
パロディは、元のものがつまらなくても、面白くさせる事のできる創造力だと考えます。
創造は、ゼロからでなくとも全然問題ないと思います。勿論ゼロからの価値はすごいものですけど。
一見ゼロからのようにみえて、いろいろな影響を受けている芸術家もいますし。
格が上とか下とか考えるのは個人の自由ということで、不変の事実でもなんでもないと
私は思います。
ひとそれぞれでいいのだと。ただ多くのひとが感動するかどうかです。
いえ、たった一人の人間を感動させるだけでも、感動したひとにとってはそれは芸術なのでしょう。
どちらが楽かということを考えたことありますか?
土台があるものと、ゼロからと。
ビジネスの世界だと創業者と2世では創業者が尊敬されるのだが・・
いろんな世界にいろんなケースが存在すると思います。
創業者を軽んじてなどいませんよ。
楽であるかないかの判断など簡単にできるものではないとも思います。
>勿論ゼロからの価値はすごいものです
これも私の考えです。
お互いの意見の違いは、それはそれでいいでしょう。
相手の考えをねじ伏せたり、無理に変えることは、私にとっては雑談の目的ではありません。
あえてsageにしているのも、押しつける気がないし、つぶやきみたいなものだからです。
スレタイからそれてしまってすみませんでした。
横ズレすみませんでした。
ただ創造(クリエイティブ=アーティスト?)と言う言葉を
土台があってそれを基盤にするものにまで使うのはちょっと?と感じるもので。
言葉に定義はこういう掲示板では大事かな?と。
楽譜は演奏家にとって、画家のモチーフと同じ程度の意味合いではないかなと。
年月が経っても廃れずに、人を感動させ続けられるものが芸術ではないかなと。
グルード、カザルス、カラス、マイルス、ビートルズ、ストーンズ・・・
そこにあるのは音楽の中でのジャンルの違いだけで、私にとっては皆芸術家だと
個人的に思うのです。
222のような考えってちょっと不思議。
「魂を揺さぶられる演奏」というものに出会ったことがない
人の発言なのかな?
曲を作る人が偉くて、演奏するだけの人は偉くないという
発想の人とは相容れないものを感じてしまうな。
(尤も、優れた演奏家でありながら作曲もするという音楽家も
いくらでもいるわけだが。ただし、作曲ができるということだけ
で優れた芸術家というわけではない。その曲が他人の心をとらえるか、否か。
演奏もまたしかり。)
サザンの桑田を好きなのは勝手だけど、クラシック界の演奏家の巨匠たちを
比較の対象にする感覚がわからない。
突然割り込みます。
言い方をかえてみればどうでしょう?
「それ」がないとその人は何もできない人(土台を発展させる人)と、
「それ」を作る人(ゼロから作る人)は同列の芸術家なのか?
演奏家は楽譜がないと何もできませんよね。
>サザンの桑田を好きなのは勝手だけど、クラシック界の演奏家の巨匠たちを比較の対象にする感覚がわからない。
クリエイティブ、オリジナル という視点からの比較じゃない?
そのかたにとって好きなものは芸術、でよいのではないでしょうか。
楽譜がなければたしかに演奏家は演奏できませんが、演奏するひとのいない作曲家の作品は
どんな価値があるのでしょうか。
互いに高めあってよいものになっていくと考えます。
「下手な演奏家」や「つまらない曲を書く作曲家(だれも演奏してくれない)」の話を
だすのは変だと思いませんか?
意図的な誘導を感じます。
「すばらしい演奏家」と「すばらしい曲を書く作曲家」
しかし、「すばらしい演奏家」は曲がないと演奏できない。
>互いに高めあってよいものになっていくと考えます。
大昔の作曲家と今のクラッシク界の巨匠がどうやって?
なんかだんだん ちぐはぐ になってきてるような。
無理に主張しなくてもいいじゃん。
>しかし、「すばらしい演奏家」は曲がないと演奏できない。
ちょっと表現をかえて
「しかし、「すばらしい演奏家」は他人が作った曲(土台)がないと 自分の解釈をいれた芸術表現ができない」
「名曲」と「名演奏家」がコラボレートして聴き手を感動させる。
それでいいんじゃないですか?
どちらが上とか下とかそういう発想がおかしいんですよ。
そもそも同列に論じられるものじゃないんですから。
だからどうやって昔の作曲家とコラボレートするんだーー
>同列に論じられるものじゃないんですから。
だから
「すばらしい演奏家」は他人が作った曲(土台)がないと 自分の解釈をいれた芸術表現
ができないから同列じゃないと言ってるんじゃんwwwww
無理に主張はしません。
私にとっての格の上下は私が決めます。^^
>>236
231さんではありませんが、、
フルトヴェングラーはバイロイトでの演奏でベートーベン第9の芸術的価値を高めた、
とは言えないでしょうか。
ベートーベンは第9の楽譜を遺すことによってフルトヴェングラーに影響を与えた。
ビバルディが評価されるようになったのはステレオ録音が始まってから。
マーラーが評価されるようになったのはCD時代になってから。
どんなに優れた演奏家でも良い楽器と良いホールが無ければ聴き手に感動を与え
られるでしょうか。
サザンの桑田も楽器や電気が無ければ自己の芸術的表現は可能だったでしょうか。
建築家も楽器製作者も作曲家も演奏家も、役割分担をしているだけでしょう。
役割分担をした結果としてのコラボレートではないかなと。
クラッシック演奏家ってちょいと高貴な感じでしたが、
>「しかし、「すばらしい演奏家」は他人が作った曲(土台)がないと 自分の解釈をいれた芸術表現ができない」
これには、新鮮な見方と思ってしまった。
クリエイティブ(創造性)の点から見ると確かに。
横レスごめん
でもそろそろもーいいんじゃない?
私は作曲家が、過去の偉大な教師から教わったことなしにみんな作曲しているのかと
勘違いしてしまうところでした。
ゼロというものについてよく考えてみようかな、と思いました。
いろんな意見がきけてよかったです。
>>239
>サザンの桑田も楽器や電気が無ければ自己の芸術的表現は可能だったでしょうか。
建築家も楽器製作者も作曲家も演奏家も、役割分担をしているだけでしょう。
バットやボールやグローブがないと野球はできない
道具メーカーとのコラボレートがどうのうこうの。
と言ってるのと同じ
そんなことをずーと言い合ってたの?
なんかずれてるような・・・
昨今はやりのカバー
人の曲を自分の解釈をいれてアレンジして表現する
(もちろんオリジナルをリスペクトして)
これと同じだろ 今のクラッシック演奏家は。
いや、239さんの文章がずれてるような・・・と言いたかったんです。
「それ」がないと成り立たない人と、「それ」自体を生む人
一目瞭然なのでは?
何かズレまくっていますね。
「曲を作る人」と「演奏をする人」を同列に論じても意味ないでしょ。
それに、ここは「下流社会」について論じるスレなのでそろそろ本題に戻りませんか?
小泉内閣になってから「格差」が目立ってきたのは確かだ。
国民もだんだんそのことを認識しつつあるね。
行き過ぎた「弱肉強食」にノーを突きつけたのが昨日の千葉の
補選だ。
今後は小沢民主党に頑張ってもらいたい。
下流に帰ろうぜ 裸で
>>248
上をちゃんと読んだ?
>「格差」が目立ってきたのは確かだ。
これをちゃんと数字で示してみ。
4/19付けのの日経新聞の一面でことごとく論破されてるが、できるならどうぞ。
でもオレ小泉信者じゃないからねー
そういうレスはいらないよー。