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最近老けたなぁと思う人や老いについて思う事などありましたら語り合いましょう。
老いって言うのは個人差が大きいと思います。
実際にそういう実験や科学データもあり老いる遺伝子が強い人はそうでない人より同じ歳で見た目が全然違います。
[スレ作成日時]2006-05-30 00:34:00
最近老けたなぁと思う人や老いについて思う事などありましたら語り合いましょう。
老いって言うのは個人差が大きいと思います。
実際にそういう実験や科学データもあり老いる遺伝子が強い人はそうでない人より同じ歳で見た目が全然違います。
[スレ作成日時]2006-05-30 00:34:00
でも、一生懸命に生きても、必ずしもむくわれないよ。
人間追いつめられれば、反撃もするし、人も傷つける。
そうなる前に、安楽死を選択するんです。
政府が施設と共同墓地を作ってくれれば、少しは高齢化に協力できる。
生きたい人の権利を奪うのであなく、色んな理由がある人、一人になってしまった人。
そういう人を救うのです。孤独死や介護疲れによる無理心中など痛いさびしい思いはかわいそうでしょ。生きたい人が生き、そうでない人は自由に安楽死できることこそ幸せなのでは。
↑これ賛成の人〜(^O^)/
↑これ賛成の人〜
私も(^O^)/
ただ、姥捨て山にならない配慮は必要でしょうね。
本人はまだまだ生きて居たいのに、周りにプレッシャーかけられて…
っていうんじゃあんまりだもの
あれ、案外賛同得られないね。
まわりにプレッシャーかけられてだとかわいそうね。
本人の意思が最優先ですね。
以外とみんな長生きしたいのかな?
生きたい人が周りのプレッシャーに負けて死ななきゃいけなくなるのは残酷。
もう生きたくない人が周りのプレッシャーに負けて**なくなるのも残酷。
老いを痛感させられるスレだと思って素通りしていましたが、
こんな展開になってたんですか…
死ぬまで生きよう! さしすせそ >^_^<
与えられた生、例えそれが自分の生であっても
抹殺する権利はないと思います。
自分の死は、自分で決めたい
>安楽死を選択するんです。
ですから決めれますよ。これを法制度で成立させましょう。
死ぬまで生きよう 当たり前!
みんな死ぬまでしか生きられないw
死ぬまで生きよう! →生をまっとうしよう。
アルツハイマーになった本人が死を選択することできないし、
死んだ方がマシ!って思うことは辛いとき苦しいときあると思います。
いちいち安楽死してたら生まれてきた意味ないのではないでしょうか。
どういう死様をおくるか、人生の総決算を途中で投げてしまうのはフェアじゃない。
>フェアじゃない。
この世にそんなもん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無い!
お金持ちの人も貧乏な人も
優しい人もそうでない人もみんなに死は訪れます。
最初はみんな裸んぼで産まれて、最後はみんな死んでいきます。
最初と最後はフェアなんじゃないでしょうか。
人間の最後は自然が決めること。
人はそこに向けて精一杯生きることこそが、
この世に生をうけた使命だと思います。
意識があるときは違うんじゃない、同じになるのは意識が無くなってからだよ。
意識があるうちに平等であってほしいわな。
お金が切れたから安楽死とか選択できないと、
お金のある人はいいが、そうでない人にしてみれば、
生かされることが、いじめであり残忍な仕打ちです。
生きたい人は生きればいいのです。
誰も助けててくれなくなれば、世間の冷たさにもきずくはず。
お金があればたいがいはすむ話なんですが
>人間の最後は自然が決めること。
人間の思考だって「自然の一部」なわけだが。
人間≠自然という考え方は人間のエゴだと思う。
何を持ってフェアといっているのかあいまいすぎるのだが。
親が金持ち、遺産が入るなどのことでもない限り、
金銭的にキツイ。そこそこリッチな方はいいが、
働けど、働けどの人は最後は自分のタイミングで
楽にいける権利くらいなんとかして、政治家さん。
どうせ、他人には厳しんだかららさ。
おっ安楽死選択制度やっぱ、あり?
姑を介護する嫁がいました。
お医者さんが定期的にその姑の様子を診に来るのですが、
その姑を見たときに、お尻にいくつものあざがありました。
お医者さんは嫁にそっと
「あんたもこれまで色々苦労があったんだねぇ。
お尻よりふともものうちっ側の方が痛いんだよ」
と言うと、
「ごめんなさい。もうしません」
と嫁が言ったそうな…
それまでに嫁と姑の間に何があったのか…
嫁は姑が動けなくなったときに復讐をしていたのでした。
お医者さんは一方的に「やめなさい!」と言うのでなく
介護する嫁に寄り添う気持ちで接したおかげで、
嫁もそれまでの姑を許す気持ちが芽生えたのでしょう。
歳をとればあらゆる能力は衰え、介護を必要とすることもあるでしょう。
そんな時、周りにどう支えてもらえるかは、
これまで生きてきた生き方、周りとの接し方によるのではないでしょうか。
最後の最後まで生き抜くことで、これまで生きてきたおとしまえをつける。
その時の自分の有り様を受け入れる。
そうしてやっと完結するのだと思います。
そしてそれを見届ける周りも逝く者への想いを清算し、
自分の生と死を改めて見つめ直すことができるのではないでしょうか。
死ぬまで生きる 全ての生き物がそうであるように
人間もまた、それに逆らってはいけないと思います。
現世は地獄だからね、また生まれさせられたらたまらんものね。
与えられた人生だから、自ら途中で放棄するつもりはないけど、
持ち家(マンション)の将来が心配。
今はローンを返している最中。
いずれローンは完済するだろうけど、老後に大規模修繕費用の持ち出しや、
老朽化してリフォームが必要となった時のことを考えると不安。
まして、建て替えという事にでもなったら、そんなお金はないだろうなぁ。
年金もいくらもらえるか分からないし。
取り越し苦労と言われるかもしれないけど、
マンションの将来に不安を抱えている人は少なくないんですよね〜。
かと言って、賃貸暮らしが絶対とも言えないし…
184さんは何がそんなに辛いの?
うっとうしいこともいっぱいあるけど、楽しいこともいっぱいあるじゃん。
地獄も天国もこの世だよ。(#^.^#)
185さん、不安は思い出したら次から次へと出てきますよね。
不安を回避する方法
①不安は分らないから不安なので、
予想される費用とその時の資金を具体的にシュミレーションしてみる。
②その時はその時と開き直る覚悟をつける。
③自分にとって何が一番大切かを考える。
私にとって一番大事なのは家族ですから、
家族が居れば今の住居がなくなってもまっ、いいかと思える覚悟はあります。
どうであれ、生きてはいけるでしょう(#^.^#)
歳とると、楽しみが1つ1つとなくなって、最後は自分でとどめをさしたい気分になりそうな?
家族がいない、家族とわかれてしまった場合などは、なにもないのですよ。
地獄のわりにはこんなもんか、と思えるからなんとかって感じです。
>おっ安楽死選択制度やっぱ、あり?
賛成です。
安楽死は高齢化、地球資源、などの問題にも貢献できる。
きれいごとを言っても、誰も他人の面倒なんてみたくないのですから。
ただ、強制的はまずい、生きたい人はいきればいい。
一定年齢に達するか。経済的や身体的事情により許可されるべき。
安楽死許可、安楽死施設、墓地の法改正が必要だと思う。
では60歳以上で選択性がいいね。
やっぱり60歳超えかな、選択できるようになるには。ホワイトカラーとブルーカラーじゃ年金支給年齢を変えないと体がもたないね。決めるのはテーブル仕事の人だからわからんかなー言ってることが?。
60になって年金貰って生きるか安楽死を選ぶかってとこでないと高齢化の減少のためにならんかもね。
強制的ではまずいとおもうので、60過ぎた方はいつでも自分のタイミングで安楽死施設にいけるような感じがいいですね。
賛成
通勤電車に乗っている時にたまに思うんですが、一緒に乗っている人たち、
みんな死んじゃうんだなって。
人間いつかは、いまのところ死んでしまいますね。
で、問題はあの世があるか?ないか?だと思う。
ある場合はこの世のおこないを精査され、判決みたいなことを言われ、天国や地獄、地獄の後に輪廻転生させられたりして、あまりお金のためにひどい生き方ができない。
ない場合はこの世がすべて、楽しんだほうがいい。他人を蹴落としてまでは個人差があるし、それがいいともいわないが、結局、お金がないといい暮らしできないので、ということか。
ないければ、墓参りの先祖供養自体が意味ないと思いますが。
大半はあの世があったら困る的いき方なのかなー?
あの世が有るか無いかで生き方が変わるんでしょうか?
それって、「バレなければ何してもいい」に近い考え方の様な気がします。
先祖供養も、墓参りも来世から先祖が見張ってて、自分たちが来世に行ったときに
苛められないように供養してる訳じゃなく、
自分たちが今在るのは、先祖が居てくれたから、という自然の繋がりに対する
感謝の気持ちからなのではないでしょうか?
ちなみに安楽死施設には賛成一票。
自殺者が多いのは事実だから、きつい世の中ですね。
では賛成ですね!
生命は譲り受けられた(仮託された)もので、自分の意志はより良く生きる為
に使うべきだと思う。
身体の仕組みを知るに従い、自分の力で生きている(自分の意志で生死も選
択できる)と考えることは不遜だと思うようになりました。
もう25年以上も年金保険料納めてきたから、もらわずに死にたくはない。
でも、小泉さんの構造改革で預貯金もそんなにない、年金だけが頼りの
富裕層でない老人が住み難い政策ばかりが増え、生き辛い世の中になりそうだ。
ある大学の教授が言ってた「貧乏老人は**」と言ってるような政策だと。
高齢化を喰い止めなくちゃ。賛成!
あの世が有るか無いかで生き方が変わるんでしょうか?
というか、あの世の存在を認めずに生きるのはおろかだといわれたことがある。
でも、ほんとにいい人は、あるかないかではなく、生きてる人なのかな?
わからんな?
誰か宇宙とかあの世の存在を証明して。
証明してほしいならまず信じることでしょう。
それができなければ何も証明にならなくなってしまう。
それほど証明するのは難しく、できないということです。
完全に信じてる人。
否定も肯定もしない人。
死んだら終わり、信じない人。
どうしてもこうわかれてしまい、神を意識するかしないかで、生き方がかわるということはあると思うよ、みんなじゃなくても。
死が近づいても、信仰のあるなしで、個人差はあると思うが、思いも違うと思う。
日本は神を信じてる人は外国の人より少ないような気がする。
この世はツライ、修行の場。と思えるのと、不平等だと思うのでは違うと思う。
しかし、証明は不可能です。
「神」って凄い発明だと思うよ。
不完全な人間が創り出した、完全無欠で絶対の存在。
そして創った人間自らがそれにすがり救いを求める。
信じれる人は幸せだね、それで心の平穏が得られるのなら。
この展開にどれだけの人間が理解できるのであろうか?
>207さん
宗教に関して議論すべきではないとは思っているのですが…
作られた神は、支配者にとっての最高発明だと思いますよ。
人民が「神の試練」と「来世」を信じてくれたら、どんな圧制にも搾取にも
耐えてくれる訳ですから。
人が自分の限界を知り、謙虚な気持ちで、生命や自然や宇宙等々、
ヒトの力を超えた何かに対して畏怖の念を持ったり、祈りをささげる気持ちになるのは
自然な事だと思うし、一心に祈る気持ちと言うのはヒトとして必要な姿勢だと思います。
だから自然発生の神にけちをつける気は更々ないけど、
一神教はなんだか不純なものを感じてしまいますね。
政治家の策略で作ったんでなければ、心根の弱い者の逃避に思えてしまいます。
老い、そして人間が死ぬ。
神を心から信じられれば、この世は修行の場所。
老いて死ぬことがこわくなくなる。
信じれる人は、得だと思う。
信じない人は日々、何のために生き、資源を浪費して、老いることをおそれ、
そして、死への恐怖とたたかう、つらい。