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匿名さん [更新日時] 2017-05-01 14:21:29

まあよく次から次へとくだらない思いつきで。
日韓断絶の為にがんばる頭の足りない奴にエールを。

[スレ作成日時]2014-06-04 19:20:24

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くだらない事をマルチ投稿する反日マルチャンにエールを送ろう

  1. 601 匿名さん

    おぶつ君とかマルちゃんとかヤフーID4つ使い分けとか さすが通名の使い分けには慣れてるな

  2. 604 匿名さん

    マルちゃん=おぶつ君の
    違反通告にご協力お願いします。
    http://tv.yahoo.co.jp/review/391/
    他に、たかじんやひるおびでもオナってます。
    マルちゃんのYahooID
    発言内容ですぐ見分けつきます
    dai
    obt
    idh
    kyo
    さすがの通名使い分け

  3. 606 匿名さん

    マルちゃんの嫌がる事を19時以降に書き込んで晒し上げしておきましょう。

  4. 607 匿名さん

    マルちゃん=おぶつ君の
    違反通告にご協力お願いします。
    http://tv.yahoo.co.jp/review/391/
    他に、たかじんやひるおびでもオナってます。
    マルちゃんのYahooID
    発言内容ですぐ見分けつきます
    dai
    obt
    idh
    kyo
    さすがの通名使い分け

  5. 608 匿名さん

    マルちゃん=おぶつ君の
    違反通告にご協力お願いします。
    http://tv.yahoo.co.jp/review/391/
    他に、たかじんやひるおびでもオナってます。
    マルちゃんのYahooID
    発言内容ですぐ見分けつきます
    dai
    obt
    idh
    kyo
    さすがの通名使い分け
    さらに
    yyo追加

  6. 609 匿名さん

    マルちゃん=おぶつ君の
    違反通告にご協力お願いします。
    http://tv.yahoo.co.jp/review/391/
    他に、たかじんやひるおびでもオナってます。
    マルちゃんのYahooID
    発言内容ですぐ見分けつきます
    dai
    obt
    idh
    kyo
    さすがの通名使い分け
    さらに
    yyo
    sss
    追加

  7. 610 匿名さん

    違反通告にご協力お願いします。
    http://tv.yahoo.co.jp/review/391/


    tom tai  fwc tha

  8. 611 匿名さん

    あんたらも暇だねえ

  9. 612 匿名さん

    日曜日だからね

  10. 613 匿名さん

    610は今すぐ安楽死してくれたらいいよ 汚物なんだからコックを大の方にひねるだけで終わり

  11. 614 匿名


    まーたチョンか
    いい加減、民団に責任とらせろよ。

  12. 615 匿名さん

    虐殺大好き安倍晋三

  13. 616 匿名さん

    通名くん、安倍ちゃんは北京じゃよ。

    中国「朝鮮半島は、あなた方で面倒を・・・・・・・」
    日本「いんにゃ、朝鮮半島はあなたの御随意に・・・・」

    ・・「要らん言うとるじゃろー・・・・」
    ・・「こっちも要らんわい・・・・・・」

  14. 617 匿名

    とうとう、中国も韓国も日本ナシでは生きられないから降伏だね。

  15. 618 匿名さん

    616

    テレビで見たら、安倍も習も不機嫌な面してたが
    そんなやり取りがあったのか

  16. 619 働く女子さん

    ん?

  17. 620 協賛

    第41回赤旗まつりの不破哲三社会科学研究所所長の「科学の目」講座(3日)には、第1会場、第2会場ともいっぱいの人がつめかけ、不破さんの話に真剣な表情で聞き入りました。今回のテーマは「『科学の目』で日本の戦争を考える」。紙上で再現すると――。

    戦争をどうつかむかは日本の前途を左右する問題

    写真
    (写真)講演する不破哲三社会科学研究所所長=3日、東京・夢の島公園
     不破さんは冒頭、なぜ今回のテーマを選んだのかを語りました。

     来年は第2次世界大戦の終結70周年です。連合諸国と世界の反ファシズム・民族解放の立場に立つ諸国人民が、日本・ドイツ・イタリアの侵略国家・枢軸陣営を打ち破って、戦後世界の平和秩序に道を開いた記念の日です。不破さんは「この日を、日本国民がどういう立場で迎えるか。世界中から注目されています」と述べました。

     そして、自身が、生まれた翌年に「満州事変」、小学校2年生で日中戦争、6年生で太平洋戦争、中学3年から東京・品川の電機工場に動員され、4年生で敗戦を迎えた世代だと語り、「戦争の実体験を持たない世代の観念的な戦争美化論が政界で横行し、いわゆる『靖国史観』の信奉者が政権を乗っ取っている今日、日本の戦争の実態を事実に基づいて科学的につかむことは、日本の前途を左右する根本問題です。その意味で、自分の体験も含めて、日本の戦争とは何だったかを、いくつかの角度から考えたい」と語りました。

    戦争の性格はなんだったのか

    判断できない政府は国際政治に参加する資格なし

     歴代の自民党政権は「戦争の性格は歴史家が決める」で逃げてきました。不破さんはこのことを自らの国会質問の経験を交えて語りました。

     田中内閣は1972年、中国と国交を回復する日中共同声明を発表しました。翌73年の予算委員会で不破さんは田中角栄首相に、中国に対する戦争から太平洋戦争まで、日本の戦争に対する考えをただしました。田中首相の答えは「侵略戦争であったかなかったかという端的なお答えは、後世、歴史家が評価するものであるという以外はお答えできません」というものでした。

     その16年後、竹下登首相が同じ答弁を繰り返すので、「日本の戦争を侵略戦争と認めないあなたは、ヒトラーが起こした戦争をどう思うのか」と追及すると、答えに窮したあげく、竹下首相から返ってきたのは「この問題は学問的にはまだ整理されておりません」という答弁でした。すぐにAP通信が「日本の首相、ヒトラーの戦争を肯定」と世界に打電し、アメリカ太平洋軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」(星条旗)も大々的に報道しました。過去の戦争に対する日本政府の態度が国際問題となった最初のケースでした。


    (地図)〔1〕
     「侵略戦争かどうかの判定ができない政府は国際政治に参加する資格がない」と述べた不破さんは「日本の戦争の性格の判定は簡単明瞭です。武力で領土拡大、外国の支配をはかるのが侵略戦争です。その尺度で見たらどうでしょうか」と述べ、1931年から45年までの十五年戦争がどう始まったのかを語りました。

    「侵略戦争」の事実、公文書で明らか

     十五年戦争には3段階がありました。

     (1)「満州事変」(31年9月)

     これは、「満蒙」(中国東北部と内モンゴル)を日本の領土にするのが使命だと豪語していた関東軍(日露戦争で獲得した「権益」擁護のために派遣された日本軍)が自分で鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業だとして中国軍を攻撃して開始した謀略的な戦争でした。

     政府は、現地・奉天(現・瀋陽)の日本領事の報告で鉄道爆破事件が日本軍の計画的行動だと知りましたが、そのまま戦争を追認。関東軍は数カ月で「満州」全土を占領し、翌年にはかいらい国家「満州国」をつくって、全域を自分のものにしてしまいました(地図〔1〕)。だれが見ても明らかな侵略戦争でした。

     この戦争の目的も、事変前から、軍部とマスコミで、“「満蒙」は「日本の生命線」”という領土要求をむきだしにした主張がしきりにふりまかれていました。

     (2)日中戦争(37年7月)


    (地図)〔2〕
     「満州」をわがものにしただけでは満足しない日本が、支配領域を中国の中心部にまで拡大しようとして始めた戦争です。きっかけは、北京近郊の盧溝橋での日中両軍の小規模な衝突事件(7月7日)でした。現地では中国側が妥協して、日中両軍が停戦協定を結びました。しかし、近衛内閣と軍部は事件を中国に攻め込むチャンスと見て、停戦協定に調印したその日(7月11日)に大軍の派遣を決定し、日中戦争が始まりました。

     この戦争の理由づけについては、政府は8月15日、「もはや隠忍その極に達し、支那(中国)軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す」とする声明を発表しました。「膺懲」とは「こらしめる」という意味です。

     不破さんは、外務省が発行した『日本外交年表並主要文書 1840~1945』を手に、そこに収められた「講和交渉条件」(37年12月、38年1月決定)を紹介しました(地図〔2〕)。これは日本政府が中国側に示したもので、「満州国を正式承認すること」、「北支及内蒙」と「中支占拠地域」(上海、南京など)に「非武装地帯を設定」することなどの要求が並んでいます。「非武装地帯」といっても、日本軍は「駐屯」するというのですから、日本の占領地帯ということです。このように、領土拡大と中国支配の要求が公然と掲げられていました。不破さんは「中国政府からは相手にされませんでしたが、侵略目的は公式の歴史に記録されている」と語りました。

     (3)太平洋戦争(41年12月)

     この戦争の領土拡大の目的は、開戦前年の40年9月に締結された日独伊三国軍事同盟に明記されていました。この条約がまずうたったのは、日本はドイツ・イタリアの「欧州新秩序」建設(ヨーロッパの征服)に協力し、ドイツ・イタリアは日本の「大東亜新秩序」建設(大東亜の征服)に協力するということです。つまり、3国による世界再分割条約で、日本の政府と軍部は、その年の9月の政府・大本営連絡会議で、日本の勢力範囲とする「生存圏」の範囲を決定しました(地図〔3〕)。それを実行に移したのが太平洋戦争だったのです。

     不破さんは「このように、政府・軍部の決定した公文書そのものが侵略戦争の実態をあからさまに示しています。弁明の余地はありません。それをごまかしてきたのが歴代の自民党の政府でした」と強調しました。

    どんな仕組みで戦争をやったのか――世界に例ない体制

    戦争方針は天皇と軍首脳部がすべてを決める


    (地図)〔3〕
     日本の戦争指導は、世界に例のない異常な体制によって行われました。それは、開戦の決定には首相が参加するものの、戦争の方針は天皇と軍首脳部がすべてを決めるというものでした(これが、軍の統帥権は天皇に属するという明治憲法の仕組みでした)。

     不破さんは、首相と政府の無力さを示す二つの例を紹介しました。

     日中戦争が始まってしばらくたった37年7月下旬、閣議で閣僚が「だいたいどの辺で軍事行動をとめるのか」と質問したのです。海相がこの辺だと答えると、陸相が「こんなところ(閣議)でそう言っていいのか」と海相を怒鳴りつけました。弱った近衛文麿首相が、天皇に、「将来の計画を立てる上でぜひとも必要なものはお知らせ願いたい」と求めたところ、天皇はしばらくして“軍部は政党出身大臣の同席する閣議では報告できないと言っている。必要なことは、天皇自身が首相と外相だけに伝える”と回答したのでした。政府は戦争にノータッチということが、当たり前の体制だったのです。

     もう一つは、太平洋戦争の冒頭、12月8日に行われた真珠湾攻撃です。これは、極東国際軍事裁判(東京裁判)での東条英機(太平洋戦争開戦時の首相・陸相)自身が証言していることですが、東条は、いつ真珠湾攻撃について知ったのかと問われ、「作戦計画を聞いたのは12月2日ごろ」、それも「(首相としてではなく)陸軍大臣の資格で参謀総長から聞いた」と答えたのです。真珠湾攻撃の作戦命令は11月5日に発せられ、連合艦隊は11月23日に千島の基地を出発していたのですが、東条のような軍人首相でさえ、作戦計画にはまったく関与しなかったのです。これが旧憲法下の政府と首相の実態でした。

    全局に責任負う指導者が不在、展望ないまま戦争

     この体制で戦争指導の実態はどんなものだったのか。

     法制上は天皇が絶対権限をもっていましたが、作戦を立てるのは軍首脳部で、軍は天皇に計画を「上奏」して許可を求めます。天皇はそのときに「それで勝てるか」「外国を刺激しないか」などの質問や意見を言いますが、こういうやりとりで戦争が進むのです。

     では、作戦を立てる軍そのものはどうかというと、陸軍と海軍は互いに仲の悪いことで有名でした。しかも、日中戦争からの8年間を数えても、参謀総長(陸軍の最高幹部)は4人、軍令部総長(海軍の最高幹部)は5人と次々に交代します。結局、十五年戦争の全期間を通じて戦争指導部にいたのは天皇だけでした。さらに、天皇と軍首脳部とのやりとりで大まかな方針が決まっても、実際の作戦計画の立案と実行は、大本営に陣取る作戦参謀たちが勝手に行いました。

     不破さんは『前衛』連載中の「スターリン秘史」執筆の過程で痛感したこととして、アメリカではルーズベルト、イギリスではチャーチル、ソ連ではスターリン、ドイツではヒトラーが全局をにぎって戦争を指導したのに対し、日本では戦争全局に戦略的責任を負った指導者が誰もいなかったことを強調しました。「第2次世界大戦をたたかった主要国家でこんな国は日本だけ。戦争指導部の弱体さと不統一さは、主要国の中で際立っていました」

     ですから、十五年戦争の3段階をとっても、まともな展望をもって始めた戦争は一つもなかったのです。

     「満州事変」では日本は、中国共産党との国内戦を優先させた蒋介石が東北部の中国軍に無抵抗主義の指示を出したため、短期間での満州全土占領に成功しました。

     しかし、日中戦争では、同じように「中国を一撃で屈服させて華北は奪取できる」と考えた日本の政府・軍部の思惑は、完全なあて外れに終わりました。37年初めに中国で国民党と共産党との抗日統一戦線の結成が進み、情勢が根本的に変化していました。中国全土に抗日戦の機運が高まり、華北を攻めても、上海・南京を落としても、中国政府は屈服せず、戦争は長期戦となりました。予想外の事態に直面して、日本軍は勝算を失ってしまったのです。

     太平洋戦争では、緒戦は真珠湾への不意打ちの奇襲攻撃などで大戦果を挙げましたが、アメリカは42年早々には反攻の態勢を整えました。しかし、日本の戦争指導部は米国の反攻は43年以降になると楽観し、42年6月、ミッドウェー海戦を仕掛けて空母部隊全滅という大敗を喫し、太平洋での制空権を失いました。これが決定的な転換点となり、これ以後は戦争らしい戦争は一つもできず、敗戦への道を一歩一歩たどり続けることになりました。

    兵士たちはどんな戦争をさせられたか――半数以上が餓死者

     この戦争での兵士たちの運命に話を移した不破さんは、歴史学者の故・藤原彰氏の『餓死(うえじに)した英霊たち』を紹介しました。同書によると、日本軍人の戦没者230万のうち少なくとも半数以上が餓死者だったのでした。(地図〔4〕)


    補給無視。ガダルカナルの場合

     このようなことが起きたのは、軍首脳部が補給無視の戦争を行ったからです。

     ガダルカナル島の戦闘(42年8月~43年2月)では、大本営は、制海権・制空権もない中、この島へわずかな食糧だけを持たせた兵士を次々と3万人も送り込みました。その結果、兵火による戦死者5千人に対し餓死者は1万5千人に上ったのでした。

     補給無視は「陸軍の弊風」でした。不破さんは、戦国時代でさえ補給は重視されていたのに、近代の日本軍では昭和の初めまで輸送に携わる兵は「卒」と呼ばれ、「輜重(しちょう=輸送)輸卒も兵隊ならば電信柱にも花が咲く」と言われていたことを紹介し、「こんな軍隊は日本の歴史にも世界にも例がない」と強調しました。

    「軍人勅諭」と「戦陣訓」 捕虜になるより「死を選べ」

      不破さんは「もう一つ、『餓死した英霊』を大量に生んだ重要な背景に、日本軍隊の規律の問題があった」と述べました。

     日本軍の規律は「軍人勅諭」(1882年)と「戦陣訓」(1941年)に示されていました。「軍人勅諭」は「朕(ちん=天皇の自称)は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「義は山岳よりも重く、死は鴻毛(こうもう=鳥の毛)よりも軽しと覚悟せよ」「下級のものは上官の命を承ること、実は直に朕が命を承る義なりと心得よ」と命じ、「戦陣訓」は「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」としました。

     この二つの規律は絶対でした。どんな無謀な、成算のない作戦計画でも、上級の命令だと従わざるを得ませんでした。さらに、武器も食糧もなくなった状況でも、“捕虜になるより死を選べ”と教えられ、「餓死」か「玉砕」(全滅)以外にとる道はありませんでした。

     ニューギニアでは、大本営の参謀たちが地図だけを見てつくった、標高4000メートル級の山岳を越えてポートモレスビーを攻略するという無謀な作戦に大軍が投入され、それが全滅した後も次々と軍を送りこんで、十数万人もの餓死者をだしました。

     ビルマからインドのインパールを目指したインパール作戦は、現地軍の司令官の功名心から計画されたもので、補給の条件なしの無謀な作戦が、反対する参謀長や師団長を次々と首切りながら強行されました。8万6千人のうち帰還はわずか1万2千人。退却する日本軍の通った道は死屍累累(ししるいるい)で「白骨街道」「靖国街道」と呼ばれました。

     爆弾を抱えた飛行機で艦船に体当たりする特攻作戦も、日本軍の非合理性と非人間性をあらわしたものでした。

    国際法無視、旧ドイツ軍「戦陣訓」と比べても

     不破さんはまた、日本の行った戦争が「国際法無視の戦争」だったことを強調しました。

     日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦では「宣戦の詔書」で一応は国際法の順守をうたっていました。しかし、日中戦争では、開戦早々、中国への派遣軍に“全面戦争をしているわけではないから、戦時国際法の具体的な条項のことごとくをまもる必要はない”といった陸軍次官の通牒(つうちょう)を出すことまでしました。さらに、中国・朝鮮などアジア諸民族を蔑視する教育も行われました。これが、南京事件や「慰安婦」問題などの多くの戦争犯罪を引き起こす大きな背景となったのです。

     不破さんは、シベリアに抑留された斎藤六郎さん(全国抑留者協会長)の著書で読んだこととして、収容所で出会ったドイツの将兵が歌っていたドイツ流「戦陣訓」の歌を紹介しました。全部で10項目、「不必要な野蛮行為を避け騎士道を守って戦うこと」や「降伏した敵兵の命はこれを奪わぬこと」「捕虜を人道的に待遇すること」「非戦闘員を迫害せず、略奪をしないこと」などなどです。ヒトラーは国際法無視の侵略戦争やユダヤ人虐殺をやりましたが、そのもとでも、ドイツの国防軍は将兵に戦時国際法を教えていたのです。

     「ヒトラーの軍隊さえこのような『戦陣訓』を持っていました。ところが、日本軍は将兵に国際法などいっさい知らせなかった。『靖国派』は日本軍を、『住民虐殺』とも『慰安婦制度』とも無縁な、整然とした秩序正しい軍隊だったと主張していますが、これは日本の軍隊の実態を全く知らない者の言い分です」

    国民はどんな扱いを受けたか――国民の命より「国体護持」

    国民が好戦派の首相を選んだことはなかった

     ここで不破さんは、6月に訪問を受けたアメリカの研究者からドイツと日本の国民の戦争責任の違いについて問われたのに対して、ドイツ人がヒトラーの党を2度の総選挙で第1党に選んだのに対し、専制体制下の日本では、国民が好戦派の首相を選んだことは一度もなかったことを指摘し、そこがドイツとの一番の違いだと話したことを紹介しました。

     日本は、世界でファシズムが問題になる以前から、民主主義と平和の言論と行動を徹底的に抑圧した国でした。日本共産党は1922年、その体制下で生まれ、侵略戦争反対、専制政治・軍国主義反対でたたかいぬきました。世界の主要国で、共産党が最初から戦争終結の日まで非合法だったという国は日本以外にありませんでした。こうして平和と民主主義の声を強権で排除した上で、天皇絶対、戦争美化の考え方を国民に徹底してたたきこんだのでした。

    最後の1年間、「もう一度勝ってから」と「一億玉砕」へ

     では、その国民は戦争指導部によってどういう扱いを受けたか。不破さんは、戦争の最後の時期の状況を語りました。

     日本は44年半ばには、戦争の見通しが完全になくなっていました。サイパン島の陥落で東条内閣から小磯国昭内閣に代わり(44年7月)、その背景には戦争終結への転機をつかもうという動きもありましたが、「もう一度は勝ってから」という天皇以下、軍部から重臣たちに至る全戦争指導部の共通の思惑がこの願望を空回りさせました。

     44年10月、フィリピン上陸作戦に先立って台湾~沖縄方面に接近したアメリカの機動部隊を日本の航空部隊が迎撃しました(台湾沖航空戦)。そのとき、日本軍は1隻も米艦を沈めていないのに、未熟な搭乗員の誤認によって「空母19隻、戦艦4隻を撃沈・撃破」という架空の「大戦果」を大々的に発表しました。大本営自体もこれに舞い上がってしまい、フィリピンでのルソン決戦の計画を変更し、米軍は機動部隊が壊滅して裸でレイテ島に来るのだからその水際で撃滅せよと作戦変更を指令しました。ところが米軍は大艦隊の援護のもと上陸作戦を強行、日本軍はジャングルに逃げ込むしかない惨状になりました。戦争の実情も把握できない日本の戦争指導部の無能さが再び世界にさらけだされました。

     このフィリピン戦敗北の時点で戦争終結への決断があったら、その後の本土空襲も、沖縄戦も、広島・長崎への原爆投下も、「満州」へのソ連の侵攻と引き揚げの悲劇もありませんでした。

     しかし、日本の戦争指導部は、戦争終結への決断をせず、日本に降伏を求める連合国のポツダム宣言(45年7月26日)が発表されても「黙殺」「戦争邁進(まいしん)」の発表です。

     日本の戦争指導部の頭にあったのは「国体(天皇絶対の体制)護持」だけで、国民全部が死んでも国体は譲るなと「本土決戦」「一億玉砕」を叫んだのでした。不破さんは「国民の受ける苦難への思いはまったくなかったのです」と語りました。

    「国体」とはなにか。天皇よりも「三種の神器」

     その「国体」とは何だったか。不破さんはここで、終戦直前の「国体」をめぐる宮中エピソードを紹介しました。

  18. 621 匿名

    陸軍と海軍では随分見解が違う。
    終戦工作を始めたのは海軍なんだから。
    米国との開戦に引きずり込んだのは米国自身であることはウェデマイヤーが
    大統領自身の告白として明らかにしている。
    日本は明らかに生存の為の戦いだ。だから統治した国ついては最大限のインフラ設備等の
    貢献をした。中国でさえ、高齢者は「日本の統治下の方が平和であった」と供述している。
    アジアの各国も親日度が際立って高いのはその証拠だ。
    他のアジアの国は中韓のように日本を食い物にしようとする悪意が無く素直に正直に
    発展を続けている。
    どうも中韓の場合は国民性が悪質と断定するしか説明のしようがない。

  19. 622 とくめー

    621またファシストのデマか

  20. 623 とくめー

    広島土砂災害では、74人死亡。
    死者が出たという一報を聞いた安倍首相は
    「浅田真央ディスリ」の森善朗らとゴルフへ行っていた。

  21. 624 とくめー

    ファシスト安倍晋三 黒田総裁

    今日もせっせと不正な株価操作に

    インサイダー取引か?

    安倍は消費税増税で苦しむ国民を見るのが何よりの楽しみだという。

  22. 625 匿名

    パククネのために韓国国民の方が困ってるようだよ。

  23. 626 匿名さん

    ファシスト安倍晋三 黒田総裁

    今日もせっせと不正な株価操作に

    インサイダー取引か?

  24. 627 匿名さん

    マルちゃんは日本のアウトサイダー。

  25. 628 匿名さん

    日本共産党は公安調査庁の監視対象です。どんな耳触りの良い事を言っても絶対に信用してはなりません。

  26. 629 匿名さん

    >尖閣「盗んだものは返すのが当然」=鳩山元首相、中国でも発言
    時事通信 6月27日(木)18時8分配信

     【北京時事】鳩山由紀夫元首相は27日、北京市内で開かれた清華大学主催のフォーラムに出席し、沖縄県・尖閣諸島について「ポツダム宣言の中で日本が守ることを約束したカイロ宣言は『盗んだものは返さなければならない』としており、中国側が(返還すべき領土の中に尖閣諸島が)入ると考えるのも当然だ」と述べた。
     鳩山氏は訪中前、香港のフェニックステレビのインタビューで同様の発言をし、菅義偉官房長官が25日に「絶句した。開いた口がふさがらない」と批判。この日の発言は、講演後の質疑応答の中で、傅瑩・全国人民代表大会外事委員会主任委員(前外務次官)と同席した公開の場で飛び出した。中国でも日本政府と異なる見解を改めて強調したことで、波紋が広がる可能性が高い。
     1943年のカイロ宣言は「満州、台湾、澎湖諸島のように日本が清国から窃取した一切の地域を中華民国に返還する」としており、中国はその中に尖閣諸島が含まれると主張。鳩山氏は「カイロ宣言の中には(返還されるべき領土として)台湾、澎湖諸島以外の島もあると中国側が考えるのは当然だ」と指摘。
     さらに「(日清戦争終了直後の1895年の)下関条約ができる3カ月ほど前に(尖閣諸島は)日本領として閣議決定した事実がある。中国側として中華民国に返せという中に当然入るのではないかという理解は成り立ち、それを否定するものではない」と語った。

  27. 630 匿名さん

    鳩山由紀夫か
    こんなのとか
    民主党とかに試しだとやらせちまったオレたちにも、悪いところはあるよなあ

  28. 631 匿名さん

    ファシスト安倍晋三 黒田総裁

    今日もせっせと不正な株価操作に

    インサイダー取引か?

  29. 632 匿名さん

    ホンダ議員、当選、おめでとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!

    >慰安婦決議のホンダ氏「勝利宣言」=開票作業続く―米下院選
    時事通信 11月8日(土)9時27分配信
    【シリコンバレー時事】4日投票された米中間選挙の下院選(カリフォルニア州)で、従軍慰安婦問題をめぐる対日非難決議を主導した民主党の日系有力議員マイク・ホンダ氏(73)は7日記者会見し、「(相手候補の)逆転は不可能な票差だ」と述べ、勝利宣言した。地元メディアが報じた。

    >知韓派議員ら、与野党ともほとんどが勝利=米中間選   11月6日(木)10時19分配信
    4日、米国の中間選挙で落選した民主党のロイ・ジョー(韓国名:チョ・ドンフィ)候補(33)は、投票終了後、ニュージャージー州ハズブルックハイツのホテルで開かれた民主党支持者の集会で「韓国系有権者の皆さんに特に感謝する」と述べた。同候補は共和党の牙城・ニュージャージー州の5選挙区で得票率43%を記録したが、55.7%を得た6選のスコット・ギャレット議員(共和党)に惜敗した。

     今回の中間選挙は、これまで米国の中央政治で「アウトサイダー(よそ者)」だった韓国系有権者たちの存在感を強めるきっかけとなった。韓国系密集地域では当落のキャスティングボート役をする韓国系有権者をつかもうと、候補者の「公約合戦」が繰り広げられた。
    >特にバージニア州では、スーザン・ショルティー候補=共和党=とバーバラ・カムストック候補=民主党=が競い合うように
    >「当選したら、東海(日本名:日本海)併記法案を下院に上程する」という公約を掲げた。

    >米連邦議会内の知韓派議員の集まり「コリア・コーカス」に所属する議員たちも、ほとんどが勝利した。
    共和党共同議長のジェームズ・ インホーフェ上院議員=オクラホマ州=が68%の票を獲得して勝ったほか、
    民主党共同議長のジェラルド・コノリー議員=バージニア州=も57%の得票率で難なく勝った。
    また、下院では共和党のマイク・ケリー議員=ペンシルベニア州=、
    ピーター・ロスカム議員=イリノイ州=、
    アダム・キンジンガー議員=イリノイ州=、
    民主党のチャールズ・ランゲル議員=ニューヨーク州=、
    グレース・メン議員=同=も勝利した。
    >従軍慰安婦決議案通過を主導した民主党のマイク・ホンダ議員=カリフォルニア州=も当選した。

  30. 633 匿名さん

    >当落のキャスティングボート役をする韓国系有権者をつかもうと、候補者の「公約合戦」が繰り広げられた。

    日本では、観劇会につれてったりワインを配ったり、いろいろ金がかかるんだが。
    アメリカは「公約」だけで良いのか。
    そりゃ、何でも言いますわ。

  31. 634 匿名さん

    通名クンもバカ旗まつりの常連なの? 反日で連帯しているの?

  32. 635 匿名さん

    バカ旗じゃねー! 通名アホ旗なのさ、

  33. 636 匿名さん

    日本共産党は国際コミンテルン日本支部として、日本に密入国し背乗りした朝鮮人どもによって設立されました。戦前は殺人やテロを行い、現在でも共産主義暴力革命を目論む反社会的集団として公安調査庁の監視対象です。どんな耳触りの良い事を言っていても鵜呑みにしてはなりません。

  34. 637 匿名さん




    自民党は70年~100年ほど前からアジア各地で大量虐殺を推し進めた軍国主義の連中によって設立されました。

    戦前戦中は戦争反対する人を弾圧し、殺人やテロを行い、現在でも軍国主義ファシズムを目論む反社会的集団として事実上国連の監視対象となっています。

    どんな耳触りの良い事を言っていても鵜呑みにしてはなりません

  35. 638 匿名さん

    自民党は70年~100年ほど前アジア各地で大量虐殺を推し進めた軍国主義の連中によって1955年に保守合同の美名の下設立されました。

    戦前戦中は戦争反対する人を弾圧し、殺人やテロを行い、現在でも軍国主義ファシズムを目論む反社会的集団として事実上国連の監視対象となっています。

    どんな耳触りの良い事を言っていても鵜呑みにしてはなりません

  36. 639 匿名さん

    そうなの、

    自民党は、日本国民から圧倒的な支持を受けて、政権についています、

    共産主義革命は、終戦後、GHQによって阻止されました。

    その後、連合赤軍が武装蜂起、浅間山荘人質事件の後、どうなったの?

    >638さん、パレスチナから帰ってきたの? 北朝鮮から? オセーテ

  37. 640 匿名さん

    639 そうなの



       安倍自民党は不正選挙で議席を強奪しました。


         安倍首相とASKAの関係は?

         ノーベル平和賞を汚した佐藤栄作の核持ち込み密約は?

         消費税はそもそも自民党の強行採決で生まれた悪魔の税制

  38. 641 匿名さん

    by 協賛 2014-11-10 18:13:05 投稿する 削除依頼 第41回赤旗まつりの不破哲三社会科学研究所所長の「科学の目」講座(3日)には、第1会場、第2会場ともいっぱいの人がつめかけ、不破さんの話に真剣な表情で聞き入りました。今回のテーマは「『科学の目』で日本の戦争を考える」。紙上で再現すると――。

    戦争をどうつかむかは日本の前途を左右する問題

    写真
    (写真)講演する不破哲三社会科学研究所所長=3日、東京・夢の島公園
     不破さんは冒頭、なぜ今回のテーマを選んだのかを語りました。

     来年は第2次世界大戦の終結70周年です。連合諸国と世界の反ファシズム・民族解放の立場に立つ諸国人民が、日本・ドイツ・イタリアの侵略国家・枢軸陣営を打ち破って、戦後世界の平和秩序に道を開いた記念の日です。不破さんは「この日を、日本国民がどういう立場で迎えるか。世界中から注目されています」と述べました。

     そして、自身が、生まれた翌年に「満州事変」、小学校2年生で日中戦争、6年生で太平洋戦争、中学3年から東京・品川の電機工場に動員され、4年生で敗戦を迎えた世代だと語り、「戦争の実体験を持たない世代の観念的な戦争美化論が政界で横行し、いわゆる『靖国史観』の信奉者が政権を乗っ取っている今日、日本の戦争の実態を事実に基づいて科学的につかむことは、日本の前途を左右する根本問題です。その意味で、自分の体験も含めて、日本の戦争とは何だったかを、いくつかの角度から考えたい」と語りました。

    戦争の性格はなんだったのか

    判断できない政府は国際政治に参加する資格なし

     歴代の自民党政権は「戦争の性格は歴史家が決める」で逃げてきました。不破さんはこのことを自らの国会質問の経験を交えて語りました。

     田中内閣は1972年、中国と国交を回復する日中共同声明を発表しました。翌73年の予算委員会で不破さんは田中角栄首相に、中国に対する戦争から太平洋戦争まで、日本の戦争に対する考えをただしました。田中首相の答えは「侵略戦争であったかなかったかという端的なお答えは、後世、歴史家が評価するものであるという以外はお答えできません」というものでした。

     その16年後、竹下登首相が同じ答弁を繰り返すので、「日本の戦争を侵略戦争と認めないあなたは、ヒトラーが起こした戦争をどう思うのか」と追及すると、答えに窮したあげく、竹下首相から返ってきたのは「この問題は学問的にはまだ整理されておりません」という答弁でした。すぐにAP通信が「日本の首相、ヒトラーの戦争を肯定」と世界に打電し、アメリカ太平洋軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」(星条旗)も大々的に報道しました。過去の戦争に対する日本政府の態度が国際問題となった最初のケースでした。


    (地図)〔1〕
     「侵略戦争かどうかの判定ができない政府は国際政治に参加する資格がない」と述べた不破さんは「日本の戦争の性格の判定は簡単明瞭です。武力で領土拡大、外国の支配をはかるのが侵略戦争です。その尺度で見たらどうでしょうか」と述べ、1931年から45年までの十五年戦争がどう始まったのかを語りました。

    「侵略戦争」の事実、公文書で明らか

     十五年戦争には3段階がありました。

     (1)「満州事変」(31年9月)

     これは、「満蒙」(中国東北部と内モンゴル)を日本の領土にするのが使命だと豪語していた関東軍(日露戦争で獲得した「権益」擁護のために派遣された日本軍)が自分で鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業だとして中国軍を攻撃して開始した謀略的な戦争でした。

     政府は、現地・奉天(現・瀋陽)の日本領事の報告で鉄道爆破事件が日本軍の計画的行動だと知りましたが、そのまま戦争を追認。関東軍は数カ月で「満州」全土を占領し、翌年にはかいらい国家「満州国」をつくって、全域を自分のものにしてしまいました(地図〔1〕)。だれが見ても明らかな侵略戦争でした。

     この戦争の目的も、事変前から、軍部とマスコミで、“「満蒙」は「日本の生命線」”という領土要求をむきだしにした主張がしきりにふりまかれていました。

     (2)日中戦争(37年7月)


    (地図)〔2〕
     「満州」をわがものにしただけでは満足しない日本が、支配領域を中国の中心部にまで拡大しようとして始めた戦争です。きっかけは、北京近郊の盧溝橋での日中両軍の小規模な衝突事件(7月7日)でした。現地では中国側が妥協して、日中両軍が停戦協定を結びました。しかし、近衛内閣と軍部は事件を中国に攻め込むチャンスと見て、停戦協定に調印したその日(7月11日)に大軍の派遣を決定し、日中戦争が始まりました。

     この戦争の理由づけについては、政府は8月15日、「もはや隠忍その極に達し、支那(中国)軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す」とする声明を発表しました。「膺懲」とは「こらしめる」という意味です。

     不破さんは、外務省が発行した『日本外交年表並主要文書 1840~1945』を手に、そこに収められた「講和交渉条件」(37年12月、38年1月決定)を紹介しました(地図〔2〕)。これは日本政府が中国側に示したもので、「満州国を正式承認すること」、「北支及内蒙」と「中支占拠地域」(上海、南京など)に「非武装地帯を設定」することなどの要求が並んでいます。「非武装地帯」といっても、日本軍は「駐屯」するというのですから、日本の占領地帯ということです。このように、領土拡大と中国支配の要求が公然と掲げられていました。不破さんは「中国政府からは相手にされませんでしたが、侵略目的は公式の歴史に記録されている」と語りました。

     (3)太平洋戦争(41年12月)

     この戦争の領土拡大の目的は、開戦前年の40年9月に締結された日独伊三国軍事同盟に明記されていました。この条約がまずうたったのは、日本はドイツ・イタリアの「欧州新秩序」建設(ヨーロッパの征服)に協力し、ドイツ・イタリアは日本の「大東亜新秩序」建設(大東亜の征服)に協力するということです。つまり、3国による世界再分割条約で、日本の政府と軍部は、その年の9月の政府・大本営連絡会議で、日本の勢力範囲とする「生存圏」の範囲を決定しました(地図〔3〕)。それを実行に移したのが太平洋戦争だったのです。

     不破さんは「このように、政府・軍部の決定した公文書そのものが侵略戦争の実態をあからさまに示しています。弁明の余地はありません。それをごまかしてきたのが歴代の自民党の政府でした」と強調しました。

    どんな仕組みで戦争をやったのか――世界に例ない体制

    戦争方針は天皇と軍首脳部がすべてを決める


    (地図)〔3〕
     日本の戦争指導は、世界に例のない異常な体制によって行われました。それは、開戦の決定には首相が参加するものの、戦争の方針は天皇と軍首脳部がすべてを決めるというものでした(これが、軍の統帥権は天皇に属するという明治憲法の仕組みでした)。

     不破さんは、首相と政府の無力さを示す二つの例を紹介しました。

     日中戦争が始まってしばらくたった37年7月下旬、閣議で閣僚が「だいたいどの辺で軍事行動をとめるのか」と質問したのです。海相がこの辺だと答えると、陸相が「こんなところ(閣議)でそう言っていいのか」と海相を怒鳴りつけました。弱った近衛文麿首相が、天皇に、「将来の計画を立てる上でぜひとも必要なものはお知らせ願いたい」と求めたところ、天皇はしばらくして“軍部は政党出身大臣の同席する閣議では報告できないと言っている。必要なことは、天皇自身が首相と外相だけに伝える”と回答したのでした。政府は戦争にノータッチということが、当たり前の体制だったのです。

     もう一つは、太平洋戦争の冒頭、12月8日に行われた真珠湾攻撃です。これは、極東国際軍事裁判(東京裁判)での東条英機(太平洋戦争開戦時の首相・陸相)自身が証言していることですが、東条は、いつ真珠湾攻撃について知ったのかと問われ、「作戦計画を聞いたのは12月2日ごろ」、それも「(首相としてではなく)陸軍大臣の資格で参謀総長から聞いた」と答えたのです。真珠湾攻撃の作戦命令は11月5日に発せられ、連合艦隊は11月23日に千島の基地を出発していたのですが、東条のような軍人首相でさえ、作戦計画にはまったく関与しなかったのです。これが旧憲法下の政府と首相の実態でした。

    全局に責任負う指導者が不在、展望ないまま戦争

     この体制で戦争指導の実態はどんなものだったのか。

     法制上は天皇が絶対権限をもっていましたが、作戦を立てるのは軍首脳部で、軍は天皇に計画を「上奏」して許可を求めます。天皇はそのときに「それで勝てるか」「外国を刺激しないか」などの質問や意見を言いますが、こういうやりとりで戦争が進むのです。

     では、作戦を立てる軍そのものはどうかというと、陸軍と海軍は互いに仲の悪いことで有名でした。しかも、日中戦争からの8年間を数えても、参謀総長(陸軍の最高幹部)は4人、軍令部総長(海軍の最高幹部)は5人と次々に交代します。結局、十五年戦争の全期間を通じて戦争指導部にいたのは天皇だけでした。さらに、天皇と軍首脳部とのやりとりで大まかな方針が決まっても、実際の作戦計画の立案と実行は、大本営に陣取る作戦参謀たちが勝手に行いました。

     不破さんは『前衛』連載中の「スターリン秘史」執筆の過程で痛感したこととして、アメリカではルーズベルト、イギリスではチャーチル、ソ連ではスターリン、ドイツではヒトラーが全局をにぎって戦争を指導したのに対し、日本では戦争全局に戦略的責任を負った指導者が誰もいなかったことを強調しました。「第2次世界大戦をたたかった主要国家でこんな国は日本だけ。戦争指導部の弱体さと不統一さは、主要国の中で際立っていました」

     ですから、十五年戦争の3段階をとっても、まともな展望をもって始めた戦争は一つもなかったのです。

     「満州事変」では日本は、中国共産党との国内戦を優先させた蒋介石が東北部の中国軍に無抵抗主義の指示を出したため、短期間での満州全土占領に成功しました。

     しかし、日中戦争では、同じように「中国を一撃で屈服させて華北は奪取できる」と考えた日本の政府・軍部の思惑は、完全なあて外れに終わりました。37年初めに中国で国民党と共産党との抗日統一戦線の結成が進み、情勢が根本的に変化していました。中国全土に抗日戦の機運が高まり、華北を攻めても、上海・南京を落としても、中国政府は屈服せず、戦争は長期戦となりました。予想外の事態に直面して、日本軍は勝算を失ってしまったのです。

     太平洋戦争では、緒戦は真珠湾への不意打ちの奇襲攻撃などで大戦果を挙げましたが、アメリカは42年早々には反攻の態勢を整えました。しかし、日本の戦争指導部は米国の反攻は43年以降になると楽観し、42年6月、ミッドウェー海戦を仕掛けて空母部隊全滅という大敗を喫し、太平洋での制空権を失いました。これが決定的な転換点となり、これ以後は戦争らしい戦争は一つもできず、敗戦への道を一歩一歩たどり続けることになりました。

    兵士たちはどんな戦争をさせられたか――半数以上が餓死者

     この戦争での兵士たちの運命に話を移した不破さんは、歴史学者の故・藤原彰氏の『餓死(うえじに)した英霊たち』を紹介しました。同書によると、日本軍人の戦没者230万のうち少なくとも半数以上が餓死者だったのでした。(地図〔4〕)


    補給無視。ガダルカナルの場合

     このようなことが起きたのは、軍首脳部が補給無視の戦争を行ったからです。

     ガダルカナル島の戦闘(42年8月~43年2月)では、大本営は、制海権・制空権もない中、この島へわずかな食糧だけを持たせた兵士を次々と3万人も送り込みました。その結果、兵火による戦死者5千人に対し餓死者は1万5千人に上ったのでした。

     補給無視は「陸軍の弊風」でした。不破さんは、戦国時代でさえ補給は重視されていたのに、近代の日本軍では昭和の初めまで輸送に携わる兵は「卒」と呼ばれ、「輜重(しちょう=輸送)輸卒も兵隊ならば電信柱にも花が咲く」と言われていたことを紹介し、「こんな軍隊は日本の歴史にも世界にも例がない」と強調しました。

    「軍人勅諭」と「戦陣訓」 捕虜になるより「死を選べ」

      不破さんは「もう一つ、『餓死した英霊』を大量に生んだ重要な背景に、日本軍隊の規律の問題があった」と述べました。

     日本軍の規律は「軍人勅諭」(1882年)と「戦陣訓」(1941年)に示されていました。「軍人勅諭」は「朕(ちん=天皇の自称)は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「義は山岳よりも重く、死は鴻毛(こうもう=鳥の毛)よりも軽しと覚悟せよ」「下級のものは上官の命を承ること、実は直に朕が命を承る義なりと心得よ」と命じ、「戦陣訓」は「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」としました。

     この二つの規律は絶対でした。どんな無謀な、成算のない作戦計画でも、上級の命令だと従わざるを得ませんでした。さらに、武器も食糧もなくなった状況でも、“捕虜になるより死を選べ”と教えられ、「餓死」か「玉砕」(全滅)以外にとる道はありませんでした。

     ニューギニアでは、大本営の参謀たちが地図だけを見てつくった、標高4000メートル級の山岳を越えてポートモレスビーを攻略するという無謀な作戦に大軍が投入され、それが全滅した後も次々と軍を送りこんで、十数万人もの餓死者をだしました。

     ビルマからインドのインパールを目指したインパール作戦は、現地軍の司令官の功名心から計画されたもので、補給の条件なしの無謀な作戦が、反対する参謀長や師団長を次々と首切りながら強行されました。8万6千人のうち帰還はわずか1万2千人。退却する日本軍の通った道は死屍累累(ししるいるい)で「白骨街道」「靖国街道」と呼ばれました。

     爆弾を抱えた飛行機で艦船に体当たりする特攻作戦も、日本軍の非合理性と非人間性をあらわしたものでした。

    国際法無視、旧ドイツ軍「戦陣訓」と比べても

     不破さんはまた、日本の行った戦争が「国際法無視の戦争」だったことを強調しました。

     日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦では「宣戦の詔書」で一応は国際法の順守をうたっていました。しかし、日中戦争では、開戦早々、中国への派遣軍に“全面戦争をしているわけではないから、戦時国際法の具体的な条項のことごとくをまもる必要はない”といった陸軍次官の通牒(つうちょう)を出すことまでしました。さらに、中国・朝鮮などアジア諸民族を蔑視する教育も行われました。これが、南京事件や「慰安婦」問題などの多くの戦争犯罪を引き起こす大きな背景となったのです。

     不破さんは、シベリアに抑留された斎藤六郎さん(全国抑留者協会長)の著書で読んだこととして、収容所で出会ったドイツの将兵が歌っていたドイツ流「戦陣訓」の歌を紹介しました。全部で10項目、「不必要な野蛮行為を避け騎士道を守って戦うこと」や「降伏した敵兵の命はこれを奪わぬこと」「捕虜を人道的に待遇すること」「非戦闘員を迫害せず、略奪をしないこと」などなどです。ヒトラーは国際法無視の侵略戦争やユダヤ人虐殺をやりましたが、そのもとでも、ドイツの国防軍は将兵に戦時国際法を教えていたのです。

     「ヒトラーの軍隊さえこのような『戦陣訓』を持っていました。ところが、日本軍は将兵に国際法などいっさい知らせなかった。『靖国派』は日本軍を、『住民虐殺』とも『慰安婦制度』とも無縁な、整然とした秩序正しい軍隊だったと主張していますが、これは日本の軍隊の実態を全く知らない者の言い分です」

    国民はどんな扱いを受けたか――国民の命より「国体護持」

    国民が好戦派の首相を選んだことはなかった

     ここで不破さんは、6月に訪問を受けたアメリカの研究者からドイツと日本の国民の戦争責任の違いについて問われたのに対して、ドイツ人がヒトラーの党を2度の総選挙で第1党に選んだのに対し、専制体制下の日本では、国民が好戦派の首相を選んだことは一度もなかったことを指摘し、そこがドイツとの一番の違いだと話したことを紹介しました。

     日本は、世界でファシズムが問題になる以前から、民主主義と平和の言論と行動を徹底的に抑圧した国でした。日本共産党は1922年、その体制下で生まれ、侵略戦争反対、専制政治・軍国主義反対でたたかいぬきました。世界の主要国で、共産党が最初から戦争終結の日まで非合法だったという国は日本以外にありませんでした。こうして平和と民主主義の声を強権で排除した上で、天皇絶対、戦争美化の考え方を国民に徹底してたたきこんだのでした。

    最後の1年間、「もう一度勝ってから」と「一億玉砕」へ

     では、その国民は戦争指導部によってどういう扱いを受けたか。不破さんは、戦争の最後の時期の状況を語りました。

     日本は44年半ばには、戦争の見通しが完全になくなっていました。サイパン島の陥落で東条内閣から小磯国昭内閣に代わり(44年7月)、その背景には戦争終結への転機をつかもうという動きもありましたが、「もう一度は勝ってから」という天皇以下、軍部から重臣たちに至る全戦争指導部の共通の思惑がこの願望を空回りさせました。

     44年10月、フィリピン上陸作戦に先立って台湾~沖縄方面に接近したアメリカの機動部隊を日本の航空部隊が迎撃しました(台湾沖航空戦)。そのとき、日本軍は1隻も米艦を沈めていないのに、未熟な搭乗員の誤認によって「空母19隻、戦艦4隻を撃沈・撃破」という架空の「大戦果」を大々的に発表しました。大本営自体もこれに舞い上がってしまい、フィリピンでのルソン決戦の計画を変更し、米軍は機動部隊が壊滅して裸でレイテ島に来るのだからその水際で撃滅せよと作戦変更を指令しました。ところが米軍は大艦隊の援護のもと上陸作戦を強行、日本軍はジャングルに逃げ込むしかない惨状になりました。戦争の実情も把握できない日本の戦争指導部の無能さが再び世界にさらけだされました。

     このフィリピン戦敗北の時点で戦争終結への決断があったら、その後の本土空襲も、沖縄戦も、広島・長崎への原爆投下も、「満州」へのソ連の侵攻と引き揚げの悲劇もありませんでした。

     しかし、日本の戦争指導部は、戦争終結への決断をせず、日本に降伏を求める連合国のポツダム宣言(45年7月26日)が発表されても「黙殺」「戦争邁進(まいしん)」の発表です。

     日本の戦争指導部の頭にあったのは「国体(天皇絶対の体制)護持」だけで、国民全部が死んでも国体は譲るなと「本土決戦」「一億玉砕」を叫んだのでした。不破さんは「国民の受ける苦難への思いはまったくなかったのです」と語りました。

    「国体」とはなにか。天皇よりも「三種の神器」

     その「国体」とは何だったか。不破さんはここで、終戦直前の「国体」をめぐる宮中エピソードを紹介しました。

  39. 642 匿名さん

    ≫638 さんは、このことを言っておられるのでしょうか?

    済州島四・三事件

    この事件は、1948年4月3日に現在の大韓民国南部、

    済州島で起こった人民遊撃隊の武装蜂起にともなう虐殺事件の事で、

    多くの島民が虐殺された。

    (約8万人の島民が虐殺され、日本にも多くの島民が逃亡、大阪などに移り住んだ)

    (日本では報道されない韓国の暗黒歴史の一つだと言われている)


    約8万人の島民が犠牲になった大虐殺事件です、自民党は関係なさそうですが?

  40. 643 匿名さん

    ファシスト安倍晋三 黒田総裁

    今日もせっせと不正な株価操作に

    インサイダー取引か?

    安倍は消費税増税で苦しむ国民を見るのが何よりの楽しみだという

  41. 644 匿名さん

    日本共産党は国際コミンテルン日本支部として、日本に密入国し背乗りした朝鮮人どもによって設立されました。戦前は殺人やテロを行い、現在でも共産主義暴力革命を目論む反社会的集団として公安調査庁の監視対象です。どんな耳触りの良い事を言っていても鵜呑みにしてはなりません。

  42. 645 匿名さん

    自民党は70年~100年ほど前アジア各地で大量虐殺を推し進めた軍国主義の連中によって1955年に保守合同の美名の下設立されました。

    戦前戦中は戦争反対する人を弾圧し、殺人やテロを行い、現在でも軍国主義ファシズムを目論む反社会的集団として事実上国連の監視対象となっています。

    どんな耳触りの良い事を言っていても鵜呑みにしてはなりま

  43. 646 匿名さん

    歪んだDNA
    戦時中、略奪 強姦 捕虜虐待などの軍規違反を働いた者の多くは朝鮮籍の者であり戦後BC級戦犯として処刑された。生き残った者らは朝鮮進駐軍を名乗り日本人に対し狼藉の限りを尽くし凶悪犯罪を繰り返した。そして現在、その歪んだDNAはしばき隊などの朝鮮人暴力集団に引き継がれ日本人への加害は止むことがない。朝鮮人は常に加害者だった事を自覚すべき。

  44. 647 われわれ日本人のDNAが歪み

    虐殺レイプを繰り返した日本軍のDNAを受け継いでいる以上、われわれ日本人のDNAが歪んでいます。

  45. 648 匿名さん

    知り合いの戦争帰りは、虐殺レイプなんてやらんかったと言っておったで

    慰安婦さんたちには、お世話になったそうだが

  46. 649 われわれ日本人のDNAが歪み

    。虐殺レイプを繰り返した日本軍のDNAを受け継ぐわれわれ日本人のDNAが歪んでいる。だからあんなに歪んだヒトラーみたいな安倍首相が誕生したのだと思います。

  47. 650 匿名さん

    通名おマルちゃん、ここは日本、泣いてもモチは出ないよ。

    それからね、ウソを100回繰り返しても日本では、ウソはウソ、
    祖国では、ウソでもホントになるようだがね。

  48. 651 匿名さん

    ≫648さん

    最近の慰安婦さんの情報ですがね、

    ソウル市内の宗廟公園では、1万5千ウオン(約1800円)が相場、
    お安いのは、1万ウオン(約1250円)で商談成立。

    70歳近い慰安婦も多いが商売繁盛、お土産サービスもあるので要注意。

    反日マルちゃ~ん、寄ってらっしゃ~い  !!

  49. 652 匿名さん

    うん、寄りたい。

  50. 654 匿名さん

    この気持ちはとてもよ~~~~くわかるな。 万国共通の認識ww

    > 「ジャ ップ・スラップ」の原産地はハワイだ。20~30年前だけでもハワイには「スラップ・ア・
    > ジャ ップ・デイ(Slap a J ap Day)」があった。
    > この日だけは日本人を素早く殴っても処罰を受けなかったという。
    > 12月7日、すなわち日本が真珠湾を奇襲爆撃して太平洋戦争を起こしたその日だ。悪いことを
    > した日本をこらしめようとしてその日を「スラップ・ア・ジャ ップ・デイ」に決めたということだ。

    ~中略~

    > 日系コミュニティはカクタニを始めとして下院慰安婦決議案を主導したマイク・ホンダ議員など良識
    > ある二世が少なくない。それでも慰安婦キリム碑撤去を要求してホワイトハウスに請願を入れる
    > 「醜いジャ ップ」がいてこの頃、眉をひそめさせている。

    > こういう日本人の額に一発お見舞いしたらさっぱりしそうだ。「ジャ ップ・スラップ!日本は反省しろ」
    > と言いながら…。

    訳の全文はこちらで
    http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1342345696/1

  51. 655 匿名

    マルちゃん、日本に単身赴任か?

    欲求不満のせいか、「やったのか?」ばかりだね。

    韓国人はやる事しか考えてないというが本当だね。

  52. 659 匿名さん

    >>651
    で、からゆき君、こちらの相場はいくらか知ってる?
    オレ達は、楽しいからしょっちゅう通っているよww
    いい娘ばなりなんだ!

    http://www.truthg.com/pc/ko/main.html
    http://www.truthg.com/pc/ac/main.html
    http://www.truthg.com/pc/ar/main.html
    http://www.truthg.com/pc/sp/main.html
    http://www.truthg.com/pc/rp/main.html
    http://www.truthg.com/pc/ca/main.html

    まだまだあるけど、もっともっと貼ってあげようか?www

  53. 660 匿名さん

    韓国人に生まれなくて本当に良かった
    捏造歴史の洗脳ぶり、汚い心を育てる教育は半端ない

    マルチャンを見て思う

  54. 661 匿名さん

    マルちゃんのヤフー番組感想はかたっぱしから消去されとるな。まあ、読書でもして落ち着け。推薦図書じゃ

    1. マルちゃんのヤフー番組感想はかたっぱしか...
  55. 662 匿名さん


    あら、良く手に入りましたねえ、バカ売れで予約が要るのに。

  56. 663 匿名さん

    明日はサンデーモーニングだぞよ
    早く寝とけよ

  57. 664 匿名さん

    もし、安倍総理にマルちゃんのカキコ見せたらこう言うと思う。
    「ははは、効いてる効いてる。」

    安倍総理、チョンどもをもっと締め上げて下さい。私達は支持します。

  58. 665 匿名

    そうですね。
    一息に追い出しましょう。
    新法で在日には中国人の場合は中の字、韓国人の場合は韓の字を
    額に刺青すると合理的だと思います。
    過去の重大事件は9割が在日の犯罪ですが殆どの日本人は知らない。

  59. 666 匿名さん

    自民党は70年~100年ほど前アジア各地で大量虐殺を推し進めた軍国主義の連中によって1955年に保守合同の美名の下設立されました。

    戦前戦中は戦争反対する人を弾圧し、殺人やテロを行い、現在でも軍国主義ファシズムを目論む反社会的集団として事実上国連の監視対象となっています。

    どんな耳触りの良い事を言っていても鵜呑みにしてはなりません

  60. 667 匿名さん

    by 協賛 2014-11-10 18:13:05 投稿する 削除依頼 第41回赤旗まつりの不破哲三社会科学研究所所長の「科学の目」講座(3日)には、第1会場、第2会場ともいっぱいの人がつめかけ、不破さんの話に真剣な表情で聞き入りました。今回のテーマは「『科学の目』で日本の戦争を考える」。紙上で再現すると――。

    戦争をどうつかむかは日本の前途を左右する問題

    写真
    (写真)講演する不破哲三社会科学研究所所長=3日、東京・夢の島公園
     不破さんは冒頭、なぜ今回のテーマを選んだのかを語りました。

     来年は第2次世界大戦の終結70周年です。連合諸国と世界の反ファシズム・民族解放の立場に立つ諸国人民が、日本・ドイツ・イタリアの侵略国家・枢軸陣営を打ち破って、戦後世界の平和秩序に道を開いた記念の日です。不破さんは「この日を、日本国民がどういう立場で迎えるか。世界中から注目されています」と述べました。

     そして、自身が、生まれた翌年に「満州事変」、小学校2年生で日中戦争、6年生で太平洋戦争、中学3年から東京・品川の電機工場に動員され、4年生で敗戦を迎えた世代だと語り、「戦争の実体験を持たない世代の観念的な戦争美化論が政界で横行し、いわゆる『靖国史観』の信奉者が政権を乗っ取っている今日、日本の戦争の実態を事実に基づいて科学的につかむことは、日本の前途を左右する根本問題です。その意味で、自分の体験も含めて、日本の戦争とは何だったかを、いくつかの角度から考えたい」と語りました。

    戦争の性格はなんだったのか

    判断できない政府は国際政治に参加する資格なし

     歴代の自民党政権は「戦争の性格は歴史家が決める」で逃げてきました。不破さんはこのことを自らの国会質問の経験を交えて語りました。

     田中内閣は1972年、中国と国交を回復する日中共同声明を発表しました。翌73年の予算委員会で不破さんは田中角栄首相に、中国に対する戦争から太平洋戦争まで、日本の戦争に対する考えをただしました。田中首相の答えは「侵略戦争であったかなかったかという端的なお答えは、後世、歴史家が評価するものであるという以外はお答えできません」というものでした。

     その16年後、竹下登首相が同じ答弁を繰り返すので、「日本の戦争を侵略戦争と認めないあなたは、ヒトラーが起こした戦争をどう思うのか」と追及すると、答えに窮したあげく、竹下首相から返ってきたのは「この問題は学問的にはまだ整理されておりません」という答弁でした。すぐにAP通信が「日本の首相、ヒトラーの戦争を肯定」と世界に打電し、アメリカ太平洋軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」(星条旗)も大々的に報道しました。過去の戦争に対する日本政府の態度が国際問題となった最初のケースでした。


    (地図)〔1〕
     「侵略戦争かどうかの判定ができない政府は国際政治に参加する資格がない」と述べた不破さんは「日本の戦争の性格の判定は簡単明瞭です。武力で領土拡大、外国の支配をはかるのが侵略戦争です。その尺度で見たらどうでしょうか」と述べ、1931年から45年までの十五年戦争がどう始まったのかを語りました。

    「侵略戦争」の事実、公文書で明らか

     十五年戦争には3段階がありました。

     (1)「満州事変」(31年9月)

     これは、「満蒙」(中国東北部と内モンゴル)を日本の領土にするのが使命だと豪語していた関東軍(日露戦争で獲得した「権益」擁護のために派遣された日本軍)が自分で鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業だとして中国軍を攻撃して開始した謀略的な戦争でした。

     政府は、現地・奉天(現・瀋陽)の日本領事の報告で鉄道爆破事件が日本軍の計画的行動だと知りましたが、そのまま戦争を追認。関東軍は数カ月で「満州」全土を占領し、翌年にはかいらい国家「満州国」をつくって、全域を自分のものにしてしまいました(地図〔1〕)。だれが見ても明らかな侵略戦争でした。

     この戦争の目的も、事変前から、軍部とマスコミで、“「満蒙」は「日本の生命線」”という領土要求をむきだしにした主張がしきりにふりまかれていました。

     (2)日中戦争(37年7月)


    (地図)〔2〕
     「満州」をわがものにしただけでは満足しない日本が、支配領域を中国の中心部にまで拡大しようとして始めた戦争です。きっかけは、北京近郊の盧溝橋での日中両軍の小規模な衝突事件(7月7日)でした。現地では中国側が妥協して、日中両軍が停戦協定を結びました。しかし、近衛内閣と軍部は事件を中国に攻め込むチャンスと見て、停戦協定に調印したその日(7月11日)に大軍の派遣を決定し、日中戦争が始まりました。

     この戦争の理由づけについては、政府は8月15日、「もはや隠忍その極に達し、支那(中国)軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す」とする声明を発表しました。「膺懲」とは「こらしめる」という意味です。

     不破さんは、外務省が発行した『日本外交年表並主要文書 1840~1945』を手に、そこに収められた「講和交渉条件」(37年12月、38年1月決定)を紹介しました(地図〔2〕)。これは日本政府が中国側に示したもので、「満州国を正式承認すること」、「北支及内蒙」と「中支占拠地域」(上海、南京など)に「非武装地帯を設定」することなどの要求が並んでいます。「非武装地帯」といっても、日本軍は「駐屯」するというのですから、日本の占領地帯ということです。このように、領土拡大と中国支配の要求が公然と掲げられていました。不破さんは「中国政府からは相手にされませんでしたが、侵略目的は公式の歴史に記録されている」と語りました。

     (3)太平洋戦争(41年12月)

     この戦争の領土拡大の目的は、開戦前年の40年9月に締結された日独伊三国軍事同盟に明記されていました。この条約がまずうたったのは、日本はドイツ・イタリアの「欧州新秩序」建設(ヨーロッパの征服)に協力し、ドイツ・イタリアは日本の「大東亜新秩序」建設(大東亜の征服)に協力するということです。つまり、3国による世界再分割条約で、日本の政府と軍部は、その年の9月の政府・大本営連絡会議で、日本の勢力範囲とする「生存圏」の範囲を決定しました(地図〔3〕)。それを実行に移したのが太平洋戦争だったのです。

     不破さんは「このように、政府・軍部の決定した公文書そのものが侵略戦争の実態をあからさまに示しています。弁明の余地はありません。それをごまかしてきたのが歴代の自民党の政府でした」と強調しました。

    どんな仕組みで戦争をやったのか――世界に例ない体制

    戦争方針は天皇と軍首脳部がすべてを決める


    (地図)〔3〕
     日本の戦争指導は、世界に例のない異常な体制によって行われました。それは、開戦の決定には首相が参加するものの、戦争の方針は天皇と軍首脳部がすべてを決めるというものでした(これが、軍の統帥権は天皇に属するという明治憲法の仕組みでした)。

     不破さんは、首相と政府の無力さを示す二つの例を紹介しました。

     日中戦争が始まってしばらくたった37年7月下旬、閣議で閣僚が「だいたいどの辺で軍事行動をとめるのか」と質問したのです。海相がこの辺だと答えると、陸相が「こんなところ(閣議)でそう言っていいのか」と海相を怒鳴りつけました。弱った近衛文麿首相が、天皇に、「将来の計画を立てる上でぜひとも必要なものはお知らせ願いたい」と求めたところ、天皇はしばらくして“軍部は政党出身大臣の同席する閣議では報告できないと言っている。必要なことは、天皇自身が首相と外相だけに伝える”と回答したのでした。政府は戦争にノータッチということが、当たり前の体制だったのです。

     もう一つは、太平洋戦争の冒頭、12月8日に行われた真珠湾攻撃です。これは、極東国際軍事裁判(東京裁判)での東条英機(太平洋戦争開戦時の首相・陸相)自身が証言していることですが、東条は、いつ真珠湾攻撃について知ったのかと問われ、「作戦計画を聞いたのは12月2日ごろ」、それも「(首相としてではなく)陸軍大臣の資格で参謀総長から聞いた」と答えたのです。真珠湾攻撃の作戦命令は11月5日に発せられ、連合艦隊は11月23日に千島の基地を出発していたのですが、東条のような軍人首相でさえ、作戦計画にはまったく関与しなかったのです。これが旧憲法下の政府と首相の実態でした。

    全局に責任負う指導者が不在、展望ないまま戦争

     この体制で戦争指導の実態はどんなものだったのか。

     法制上は天皇が絶対権限をもっていましたが、作戦を立てるのは軍首脳部で、軍は天皇に計画を「上奏」して許可を求めます。天皇はそのときに「それで勝てるか」「外国を刺激しないか」などの質問や意見を言いますが、こういうやりとりで戦争が進むのです。

     では、作戦を立てる軍そのものはどうかというと、陸軍と海軍は互いに仲の悪いことで有名でした。しかも、日中戦争からの8年間を数えても、参謀総長(陸軍の最高幹部)は4人、軍令部総長(海軍の最高幹部)は5人と次々に交代します。結局、十五年戦争の全期間を通じて戦争指導部にいたのは天皇だけでした。さらに、天皇と軍首脳部とのやりとりで大まかな方針が決まっても、実際の作戦計画の立案と実行は、大本営に陣取る作戦参謀たちが勝手に行いました。

     不破さんは『前衛』連載中の「スターリン秘史」執筆の過程で痛感したこととして、アメリカではルーズベルト、イギリスではチャーチル、ソ連ではスターリン、ドイツではヒトラーが全局をにぎって戦争を指導したのに対し、日本では戦争全局に戦略的責任を負った指導者が誰もいなかったことを強調しました。「第2次世界大戦をたたかった主要国家でこんな国は日本だけ。戦争指導部の弱体さと不統一さは、主要国の中で際立っていました」

     ですから、十五年戦争の3段階をとっても、まともな展望をもって始めた戦争は一つもなかったのです。

     「満州事変」では日本は、中国共産党との国内戦を優先させた蒋介石が東北部の中国軍に無抵抗主義の指示を出したため、短期間での満州全土占領に成功しました。

     しかし、日中戦争では、同じように「中国を一撃で屈服させて華北は奪取できる」と考えた日本の政府・軍部の思惑は、完全なあて外れに終わりました。37年初めに中国で国民党と共産党との抗日統一戦線の結成が進み、情勢が根本的に変化していました。中国全土に抗日戦の機運が高まり、華北を攻めても、上海・南京を落としても、中国政府は屈服せず、戦争は長期戦となりました。予想外の事態に直面して、日本軍は勝算を失ってしまったのです。

     太平洋戦争では、緒戦は真珠湾への不意打ちの奇襲攻撃などで大戦果を挙げましたが、アメリカは42年早々には反攻の態勢を整えました。しかし、日本の戦争指導部は米国の反攻は43年以降になると楽観し、42年6月、ミッドウェー海戦を仕掛けて空母部隊全滅という大敗を喫し、太平洋での制空権を失いました。これが決定的な転換点となり、これ以後は戦争らしい戦争は一つもできず、敗戦への道を一歩一歩たどり続けることになりました。

    兵士たちはどんな戦争をさせられたか――半数以上が餓死者

     この戦争での兵士たちの運命に話を移した不破さんは、歴史学者の故・藤原彰氏の『餓死(うえじに)した英霊たち』を紹介しました。同書によると、日本軍人の戦没者230万のうち少なくとも半数以上が餓死者だったのでした。(地図〔4〕)


    補給無視。ガダルカナルの場合

     このようなことが起きたのは、軍首脳部が補給無視の戦争を行ったからです。

     ガダルカナル島の戦闘(42年8月~43年2月)では、大本営は、制海権・制空権もない中、この島へわずかな食糧だけを持たせた兵士を次々と3万人も送り込みました。その結果、兵火による戦死者5千人に対し餓死者は1万5千人に上ったのでした。

     補給無視は「陸軍の弊風」でした。不破さんは、戦国時代でさえ補給は重視されていたのに、近代の日本軍では昭和の初めまで輸送に携わる兵は「卒」と呼ばれ、「輜重(しちょう=輸送)輸卒も兵隊ならば電信柱にも花が咲く」と言われていたことを紹介し、「こんな軍隊は日本の歴史にも世界にも例がない」と強調しました。

    「軍人勅諭」と「戦陣訓」 捕虜になるより「死を選べ」

      不破さんは「もう一つ、『餓死した英霊』を大量に生んだ重要な背景に、日本軍隊の規律の問題があった」と述べました。

     日本軍の規律は「軍人勅諭」(1882年)と「戦陣訓」(1941年)に示されていました。「軍人勅諭」は「朕(ちん=天皇の自称)は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「義は山岳よりも重く、死は鴻毛(こうもう=鳥の毛)よりも軽しと覚悟せよ」「下級のものは上官の命を承ること、実は直に朕が命を承る義なりと心得よ」と命じ、「戦陣訓」は「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」としました。

     この二つの規律は絶対でした。どんな無謀な、成算のない作戦計画でも、上級の命令だと従わざるを得ませんでした。さらに、武器も食糧もなくなった状況でも、“捕虜になるより死を選べ”と教えられ、「餓死」か「玉砕」(全滅)以外にとる道はありませんでした。

     ニューギニアでは、大本営の参謀たちが地図だけを見てつくった、標高4000メートル級の山岳を越えてポートモレスビーを攻略するという無謀な作戦に大軍が投入され、それが全滅した後も次々と軍を送りこんで、十数万人もの餓死者をだしました。

     ビルマからインドのインパールを目指したインパール作戦は、現地軍の司令官の功名心から計画されたもので、補給の条件なしの無謀な作戦が、反対する参謀長や師団長を次々と首切りながら強行されました。8万6千人のうち帰還はわずか1万2千人。退却する日本軍の通った道は死屍累累(ししるいるい)で「白骨街道」「靖国街道」と呼ばれました。

     爆弾を抱えた飛行機で艦船に体当たりする特攻作戦も、日本軍の非合理性と非人間性をあらわしたものでした。

    国際法無視、旧ドイツ軍「戦陣訓」と比べても

     不破さんはまた、日本の行った戦争が「国際法無視の戦争」だったことを強調しました。

     日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦では「宣戦の詔書」で一応は国際法の順守をうたっていました。しかし、日中戦争では、開戦早々、中国への派遣軍に“全面戦争をしているわけではないから、戦時国際法の具体的な条項のことごとくをまもる必要はない”といった陸軍次官の通牒(つうちょう)を出すことまでしました。さらに、中国・朝鮮などアジア諸民族を蔑視する教育も行われました。これが、南京事件や「慰安婦」問題などの多くの戦争犯罪を引き起こす大きな背景となったのです。

     不破さんは、シベリアに抑留された斎藤六郎さん(全国抑留者協会長)の著書で読んだこととして、収容所で出会ったドイツの将兵が歌っていたドイツ流「戦陣訓」の歌を紹介しました。全部で10項目、「不必要な野蛮行為を避け騎士道を守って戦うこと」や「降伏した敵兵の命はこれを奪わぬこと」「捕虜を人道的に待遇すること」「非戦闘員を迫害せず、略奪をしないこと」などなどです。ヒトラーは国際法無視の侵略戦争やユダヤ人虐殺をやりましたが、そのもとでも、ドイツの国防軍は将兵に戦時国際法を教えていたのです。

     「ヒトラーの軍隊さえこのような『戦陣訓』を持っていました。ところが、日本軍は将兵に国際法などいっさい知らせなかった。『靖国派』は日本軍を、『住民虐殺』とも『慰安婦制度』とも無縁な、整然とした秩序正しい軍隊だったと主張していますが、これは日本の軍隊の実態を全く知らない者の言い分です」

    国民はどんな扱いを受けたか――国民の命より「国体護持」

    国民が好戦派の首相を選んだことはなかった

     ここで不破さんは、6月に訪問を受けたアメリカの研究者からドイツと日本の国民の戦争責任の違いについて問われたのに対して、ドイツ人がヒトラーの党を2度の総選挙で第1党に選んだのに対し、専制体制下の日本では、国民が好戦派の首相を選んだことは一度もなかったことを指摘し、そこがドイツとの一番の違いだと話したことを紹介しました。

     日本は、世界でファシズムが問題になる以前から、民主主義と平和の言論と行動を徹底的に抑圧した国でした。日本共産党は1922年、その体制下で生まれ、侵略戦争反対、専制政治・軍国主義反対でたたかいぬきました。世界の主要国で、共産党が最初から戦争終結の日まで非合法だったという国は日本以外にありませんでした。こうして平和と民主主義の声を強権で排除した上で、天皇絶対、戦争美化の考え方を国民に徹底してたたきこんだのでした。

    最後の1年間、「もう一度勝ってから」と「一億玉砕」へ

     では、その国民は戦争指導部によってどういう扱いを受けたか。不破さんは、戦争の最後の時期の状況を語りました。

     日本は44年半ばには、戦争の見通しが完全になくなっていました。サイパン島の陥落で東条内閣から小磯国昭内閣に代わり(44年7月)、その背景には戦争終結への転機をつかもうという動きもありましたが、「もう一度は勝ってから」という天皇以下、軍部から重臣たちに至る全戦争指導部の共通の思惑がこの願望を空回りさせました。

     44年10月、フィリピン上陸作戦に先立って台湾~沖縄方面に接近したアメリカの機動部隊を日本の航空部隊が迎撃しました(台湾沖航空戦)。そのとき、日本軍は1隻も米艦を沈めていないのに、未熟な搭乗員の誤認によって「空母19隻、戦艦4隻を撃沈・撃破」という架空の「大戦果」を大々的に発表しました。大本営自体もこれに舞い上がってしまい、フィリピンでのルソン決戦の計画を変更し、米軍は機動部隊が壊滅して裸でレイテ島に来るのだからその水際で撃滅せよと作戦変更を指令しました。ところが米軍は大艦隊の援護のもと上陸作戦を強行、日本軍はジャングルに逃げ込むしかない惨状になりました。戦争の実情も把握できない日本の戦争指導部の無能さが再び世界にさらけだされました。

     このフィリピン戦敗北の時点で戦争終結への決断があったら、その後の本土空襲も、沖縄戦も、広島・長崎への原爆投下も、「満州」へのソ連の侵攻と引き揚げの悲劇もありませんでした。

     しかし、日本の戦争指導部は、戦争終結への決断をせず、日本に降伏を求める連合国のポツダム宣言(45年7月26日)が発表されても「黙殺」「戦争邁進(まいしん)」の発表です。

     日本の戦争指導部の頭にあったのは「国体(天皇絶対の体制)護持」だけで、国民全部が死んでも国体は譲るなと「本土決戦」「一億玉砕」を叫んだのでした。不破さんは「国民の受ける苦難への思いはまったくなかったのです」と語りました。

    「国体」とはなにか。天皇よりも「三種の神器」

     その「国体」とは何だったか。不破さんはここで、終戦直前の「国体」をめぐる宮中エピソードを紹介しました。

  61. 668 匿名さん

    o.649

    by われわれ日本人のDNAが歪み 2014-11-13 17:40:06 投稿する 削除依頼
    。虐殺レイプを繰り返した日本軍のDNAを受け継ぐわれわれ日本人のDNAが歪んでいる。だからあんなに歪んだヒトラーみたいな安倍首相が誕生したのだと思います。

  62. 669 匿名さん

    安倍自民党は高橋大輔選手を引退へ追い込んだ。

  63. 670 匿名さん

    からゆき君、ありがとう!
    こんな大事なこと教えてくれて。

    世界中幅広く、日本人がこんなに嫌われているとは知らなかったヨ!
    この動画に出ている外国人(オーストラリア人、イギリス人)は、
    日本人を心から嫌い、恨み、憎んでいたんだね。 
    きっと、慰安婦にされたオランダなども同じ気持ちだろうね。
    凄まじい。

    まっ、仕方ないよ・・・・ね。
    あれほど、世界中で残虐非道の数々を犯してきたんだから・・・・・・、

    http://youtu.be/5xDZ-mTFOvs
    http://youtu.be/6K2ZihFpGvI

  64. 671 匿名さん

    反日マルチャンの、小学生にも解る馬鹿馬鹿しい捏造書き込み

    韓国人はこうやって平気で捏造できちゃうんだ
    笑われるのが関の山なのに

    反日マルチャンは現実世界では嫌われ者だね
    嘘つきで短気だから

  65. 672 匿名さん

    670
    日本人も在日チョンを心から嫌い憎んでいるんだなあ


    まっ、仕方ないよ・・・・ね。
    あれほど、日本人に残虐非道の数々を犯してきたんだから・・・・・・朝鮮進駐軍はね。

  66. 673 匿名さん

    マルちゃんはやたらとファシストやファシズムやら口走ると思ったらチョンってヒトラー好きだったのか。

    1. マルちゃんはやたらとファシストやファシズ...
  67. 674 匿名さん

    こんな店、日本ではやろうという発想すら湧かないよね。

    1. こんな店、日本ではやろうという発想すら湧...
  68. 675 匿名さん

    韓国人頭大丈夫?

    1. 韓国人頭大丈夫?
  69. 676 匿名さん

    さすが言論弾圧大統領クネ婆の国

    1. さすが言論弾圧大統領クネ婆の国
  70. 677 匿名さん

    モダンバー「ヒトラー」って……狂ってる

    1. モダンバー「ヒトラー」って……狂ってる
  71. 678 匿名さん

    チョンに肖像権侵害されて総統閣下がお怒りのようです

  72. 679 匿名さん

    イスラエル大使館のかた
    みてますかあ?

  73. 680 匿名さん

    韓国人「チョッパリはドイツを見習うニダ」
    日本人「本当にいいの?」

  74. 681 匿名さん

    そうすると
    在日の生活保護者は
    「労働は自由を創造する」とのスローガンが掲げられた収容所で、生きたまま燃やされちゃうのだが。

  75. 682 匿名さん

    ドイツビールで乾杯

    1. ドイツビールで乾杯
  76. 683 匿名さん

    ナチはオッケーで旭日旗はNGって…www

    1. ナチはオッケーで旭日旗はNGって…www
  77. 684 匿名さん

    676の画像はハーケンクロイツと日の丸を並べて免罪符にしてるつもりかな?どう見てもナチ、ヒトラーカッコイイってコンセプトの店のようだが。

  78. 685 匿名さん

    「入るヒトラー」って商売繁盛の看板

    いけないニカ?

  79. 686 匿名さん

    おのし、なかなかやるな、

  80. 687 匿名さん

    反日マルちゃん、冬眠に入ったか?

  81. 688 匿名さん

    ファシストパククネの直営店か?

  82. 689 匿名さん

    マルちゃんは只今、脳内アンケート実施中。現実と妄想の境界が曖昧な状態のようです。

  83. 690 匿名さん

    安倍ちゃんは大丈夫だから次世代応援よろしくお願いします。

  84. 691 匿名さん

    書き込みテロリストのマルちゃん、今後は君にバイト代払ってる奴は懲役10年食らっちゃうな。改正テロ資金処罰法成立 おめでとう!

  85. 692 ご近所さん

    先の2012年の衆議院総選挙で、不正選挙の疑いが出てきた。「まさか」、と最初は私も思ったが、今まで、国で最も大事な選挙は、選挙管理委員会が手作業で不正がないように厳重に行っているものと思っていたが、いつのまにか票の集計に、「株式会社ムサシ」なる一社の票読み取り分類機が用いられている。しかも、この「ムサシ」は自民党に献金している。いつの間に独占状態でこのような怪しげな会社の機械を使うようになったのか。有権者の同意を得ず、不正の余地を与えるようなまねを選挙管理委員会はすべきではない。疑わしい選挙区での集計作業を手作業で行い検証すべきである

  86. 693 匿名さん

    おマルちゃんは画像アップする方法おぼえたの〜。かしこいねぇ上手上手( ´Д`)y━・~~

  87. 694 匿名さん

    安倍は広島土砂災害でゴルフ!

    1. 安倍は広島土砂災害でゴルフ!
  88. 695 匿名さん

    共産党シンパのマルちゃん、自分を馬鹿にした連中を人民裁判して虐殺するのを想像しながらマスをかく。

  89. 697 匿名さん

    頑張れ在特会!こんな奴らに日本を好きにさせるな!

    1. 頑張れ在特会!こんな奴らに日本を好きにさ...
  90. 698 匿名さん

    日本を好きにさせていいです。

    パクくねに韓国を好きにさせる方が大変でしょ。

  91. 700 匿名さん

    >「聖戦が開始されれば、日本も丸ごと焦土化されるなどと主張した。
    なんか、おもしろくなってきたねw

    >国連決議めぐり北朝鮮反発 日本などに「超強硬対応戦に突入」
    フジテレビ系(FNN) 11月23日(日)12時44分配信
    国連で、北朝鮮の人権侵害を非難する決議が採択されたことをめぐり、北朝鮮は、日本やアメリカに対し、「超強硬対応戦に突入する」との声明を発表した。
    23日朝、朝鮮中央テレビは「今のような状態が続いた場合、日本は、近くて遠い国程度ではなく、わが方の目の前から、永遠になくなる存在となる」と伝えた。北朝鮮の人権侵害を非難する国連の決議について、北朝鮮の国防委員会は「国連の舞台でねつ造された、超大型の謀略劇」と主張。
    さらに、アメリカなどとともに、日本を批判し、「超強硬対応戦に突入する」としたうえで、
    >「聖戦が開始されれば、日本も丸ごと焦土化されるなどと主張した。
    18日の決議の際に、北朝鮮は、核実験の可能性を示唆するなどして反発していた。

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サンウッドテラス東京尾久

東京都荒川区西尾久7丁目

5,998万円~6,798万円

2LDK・3LDK

50.38m2~59.95m2

総戸数 33戸

バウス一之江

東京都江戸川区春江町3丁目

3LDK~4LDK

64.90㎡~84.47㎡

未定/総戸数 88戸

アネシア練馬中村南

東京都練馬区中村南2-7-15

未定

2LDK~4LDK

55m2~85.19m2

総戸数 124戸

クラッシィタワー新宿御苑

東京都新宿区四谷4丁目

未定

1LDK~3LDK

42.88m2~208.17m2

総戸数 280戸

プレディア小岩

東京都江戸川区西小岩2丁目

3LDK~4LDK

65.96㎡~84.76㎡

未定/総戸数 56戸

オーベルアーバンツ秋葉原

東京都台東区浅草橋4丁目

1LDK~3LDK

34.63㎡~65.51㎡

未定/総戸数 87戸

バウス氷川台

東京都練馬区桜台3-9-7

未定

2LDK~4LDK

50.41m2~82.39m2

総戸数 93戸

ヴェレーナ上石神井

東京都練馬区上石神井1-347-1他

6198万円~7848万円

2LDK~3LDK

55.1m2~63m2

総戸数 42戸

オーベル青砥レジデンス

東京都葛飾区青戸5-132-1

5778万円~6398万円

3LDK~4LDK

63.26m2~63.8m2

総戸数 49戸

ヴェレーナ パレ・ド・クラッセ

東京都足立区西保木間2-1630-1ほか

3500万円台~6200万円台

3LDK

57.1m2~80.09m2

総戸数 75戸

ルフォン上野松が谷

東京都台東区松が谷3-385-2他

9090万円・9450万円

3LDK

65.14m2

総戸数 34戸

オーベル練馬春日町ヒルズ

東京都練馬区春日町3-2016-1

7100万円台~8500万円台

3LDK

68.4m2~73.26m2

総戸数 31戸

サンウッド大森山王三丁目

東京都大田区山王三丁目

未定

1LDK~3LDK

30.34m2~70.21m2

総戸数 21戸

レジデンシャル王子神谷

東京都北区豊島8-18-48

4778万円~7598万円

1LDK~3LDK

37.45m2~71.82m2

総戸数 82戸

イニシア池上パークサイドレジデンス

東京都大田区池上8-406-1他7筆

5400万円台~6900万円台※権利金含む

3LDK

57.54m2~64.78m2

総戸数 36戸