- 掲示板
空に憧れて 空をかけてゆく
参考映像
http://www.youtube.com/watch?v=svywoH-H6P4
【政治・時事板に移動しました。 2013/08/05管理担当】
[スレ作成日時]2013-08-05 06:05:10
空に憧れて 空をかけてゆく
参考映像
http://www.youtube.com/watch?v=svywoH-H6P4
【政治・時事板に移動しました。 2013/08/05管理担当】
[スレ作成日時]2013-08-05 06:05:10
永野さんは本当に勝つと思ってた国際的視野の低い人物。
海軍の武官経験者は米国に勝てないことは知っていた。
仕方なしやらされるなら初戦で出来るだけ相手にダメージをという事だ。
まるで力が違えば先制攻撃しかない。だが残念なのは暗号が全て解読されていて
空母には逃げれていて退役間近の戦艦を沈めた結果になったが日本に対しての
主要前線基地であるハワイの湾口に戦艦を沈めれば使えなくなる。
開戦反対の人物が開戦の責任者になるというめぐり合わせだ。
明らかに軍備が劣ってる日本はほかにやりようがない。
>ハワイの湾口に戦艦を沈めれば使えなくなる
戦艦が鎮座したのは桟橋じゃなかったっけ?
湾口には一隻も沈んでないよね?
だいたい役立たずの戦艦に穴開けただけで大勝利!!って、
アホじゃね?
ニミッツの回想記には、日本がスクラップを処分してくれて
大助かりだったという意味のことが書いてあるよね。
予定はそういう予定だったらしい。
済んだ事より*戦争を始め様としている*憲法改正*集団的自衛権の解釈*国家安全保障会議の設置に*命を賭けて反対すべきである*其れ以外に*戦死者に意味を持たせ*喜ばす道はない*
戦争は時代に関係ない*関ヶ原*トロイ*南北*会津*西南*ベトナム戦争の本質は*人として最大の罪*殺人罪である*糞人間知恵遅れは*その事に気付ずく事である*
結果的に軍港は使えないので効果は同じ
>27
パールハーバーは太平洋戦争を通じて使えていましたよ。
軍港がその機能を停止したことは一度もない。
それはそれとして、
真珠湾攻撃の後、息もつがせず、二の太刀、三の太刀が戦いの常道でしょう。
ここでの主目標は無傷の米海軍空母部隊でなければならない。
しかし、日本海軍は虎の子の空母機動部隊を弱敵の英植民地艦隊の撃破に使用した。
一方、アメリカは国民の士気を高めるためドーリットル空襲を実行した。
これにおたおたした山本五十六はあせってミッドウエー攻略作戦を企画した。
それを立案したのが奇人参謀の黒島亀人。
状況がまったく異なるので作戦も違えなければならないところ、立てた作戦は
真珠湾攻撃の二番煎じでした。
そして、のこのこと進出した南雲艦隊はミッドウエーで惨敗した。
山本ははるか後方の戦艦大和で将棋をさしており、続々と入る敗報に
ほう、またも負けたかと戯けた台詞をつぶやいたとか。
馬鹿参謀に凡くら提督
戦死した兵隊さんたちは浮かばれません。
乾ドックが被害が微少であったが横付けの係留施設は戦艦の引き上げ復旧までは
使用できなかった。潜水艦も予想されたので長時間の洋上作戦は危険と判断し帰投
したわけです。確かに空母部隊を索敵し攻撃出来れば良かったろうが暗号を解読した上で
回避させてるわけだから安々と見つけることも当時のレベルでは不可能であったろうし
足の短い艦船も率いている。帰投の燃料を考えると作戦時間も限られる。虎の子の艦隊。
まさしく物量という米国の工業力を知っている将官たちは冷や冷やの思いでしょう。
せめて陸上施設の攻撃も言われるが再出撃が必要になる。
たらればで考えてもしょうがないと思います。山口多聞提督等が専任指揮官ならばという
話があります。確かに海戦レベルでは勝ち戦も増えたかも知れませんが制空権を考えた時
アメリカの2000馬力級のエンジンと同等以上のものが当時の日本の技術では不可能なので
ジリ貧になっていったと思います。その戦局は海軍の良識派が予想した結果通リです。
アメリカは勝てる自信があるから日本を戦争に引きずりこんだわけです。
「真珠湾攻撃の後、息もつがせず、二の太刀、三の太刀が戦いの常道でしょう。」
ハワイ作戦のあとの展開の話です。
ハワイ作戦そのものは南雲艦隊は命令された任務を果たしたまで
それ以上はおっしゃるように、たらればで考えてもしょうがない。
>山口多聞提督等が専任指揮官ならば
そりゃ無理だ。
硬直した日本海軍の人事管理ではありえない。
>アメリカは勝てる自信があるから日本を戦争に引きずりこんだわけです。
まさしく、そのとおりです。
米海軍軍人が開戦に消極的だったのは、数年後には圧倒的な戦力が構築できる見込みがあったため。
No17様
戦争が5年10年と長引けば国力の差は歴然ですので、いずれは当然負けると思います。
しかし、開戦当初は、太平洋における日米の戦力差は日本が圧倒的であり、普通に戦っていれば、最初の2~3年間は、絶対に
負ける訳のない戦力差でした。
しかも、日本は新兵器、戦線術の開発に意欲的でしたので、電子兵器、原子爆弾、新型エンジンの開発は不可能ではありませんでした。恐らく、多数潜伏する売国奴達によって開発途中で揉み消されたのでしょう。潜水艦による通商破壊方法だって、ドイツがいくら説いても全く聞く耳を持たなかったそうです。戦艦大和、武蔵も、決戦用に温存されていたとか、戦艦は時代遅れで役に立たないから後方に引っ込められていたとか、色んな話がありますが、それも恐らく、大和、武蔵や潜水艦戦術の戦闘力を十分理解しているので、最前線に投入すると、非常に役にたってしまい、日本が勝利してしまうと判断した売国奴達が、最後の最後まで封印したのでしょう。
ラバウルを素通りされたのは、マリアナ諸島が丸腰だったからです。マリアナがラバウル同様堅固な要塞なら、まず、ラバウルに上陸したと思います。といいますか、そもそも、ラバウル等必要ありませんでした。
海軍と言うのは、今も昔も補助軍にすぎません。海軍と言うのは、元来、自国の通商路を守る為に設けられました。最後に目的地を制圧できるのは、陸上機の支援の下に進軍する陸軍です。
海軍は自国のシーレーンを守るため、シーレーンを脅かすものを駆逐するために存在するのですが、日本海軍は何をしたでしょうか?戦線を無益に広げるだけ広げて、自国の補給路を全く守ろうとしませんでした。
どの戦いかたを見ても、本当にインチキ臭いものばかりです。幼少の頃、なんでミッドウエイの山本長官の大和は、あんなに後ろにいたんだろう?と疑問に思っていました。何で瑞鶴がミッドウエイにいかなかったんだろう?と不思議に思っていまし
た。何でガ島みたいな小さな島に、執着したんだろう?と首をかしげていました。売国奴達が、戦力を分散させ、そして補給路を伸ばし、なるべくやられやすいように仕向けたのでしょう。
挙げたらきりがありませんが、日本は決して物量の差で負けたのではないと思います。内部に潜伏するスパイが多すぎたからです。日本は諜報活動で負けたのです。
山本五十六は自分の手ではなくとも日本軍の機密情報を間違いなくアメリカに流していますよ。
霞ヶ浦の予科練平和記念館に実際に行って、当時の資料を見て確認してきました。
http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/
アメリカ軍の攻撃はピンポイントで「予科練航空隊兵舎の防空壕だけ」を爆撃しています。
そのほかの民家などには一切爆撃は加えていません。
誰かが、このような情報を米軍に伝えなければ、100%ありえない話です。
この事実を見て、
わたしは山本が完全にアメリカのスパイであり、敗戦を導くために真珠湾攻撃を実行したと見ています。
山本はアメリカ工作員として「ビン・ラディン」と同じ役回りを果たしたのです。
「予科練航空隊兵舎の防空壕」を爆撃しても何の意味もないと思うが?
当時の軍事技術でピンポイントは不可能です。
たとえ、情報を入手しても8000メーター以上の高度です。
まるで不可能な話。
現在のミサイル誘導システムでやっと防空壕程度の誤差です。
勘違いも甚だしい。
>たとえ、情報を入手しても8000メーター以上の高度です。
ではこの記事の中の「機銃掃射」とは?
>しばしば阿見地域は空襲を受け、4月には、P51艦載機 200機により機銃掃射を受け、
>第1海軍廠の第2整備工場4棟が全焼し、飛行機部と発動機部の見張り要員13人が爆風で死亡、
>女子学徒動員の3人も死亡した。
ひん発した阿見空襲
1944(昭和19)年11月以降、45年2月まで阿見の空は静けさを保ったが、45年3月9日、霞ケ浦沿岸の軍事施設を目標とする58発の焼夷(い)弾攻撃を受けた。それ以降、しばしば阿見地域は空襲を受け、4月には、P51艦載機 200機により機銃掃射を受け、第1海軍廠の第2整備工場4棟が全焼し、飛行機部と発動機部の見張り要員13人が爆風で死亡、女子学徒動員の3人も死亡した。
これらの空襲によって、飛行場に隣接していた阿見国民学校は、危険を避けるために各**の寺や公会堂を利用して、一時分散授業を行ったという。
5月にも軍事施設を目標とした空襲が行われたが、被害はあまりひどくなかった。
阿見地域の空襲でもっとも犠牲の大きかったのは、米国が45年6月8日に沖縄を完全に制圧した後の10日の空襲であった。この日午前8時、土浦海軍航空隊を主な目標とするB29、30機による 250㌔爆弾の投下が阿見・舟島地域に行われた。
阿見町文化協議会機関紙13号で、丸山恒子「空襲の思い出」は、6月10日の空襲被害について、「土浦海軍航空隊即ち予科練は、7、8割の施設が灰じんとなり、 281人の尊き少年航空兵を失った。その他負傷者 145人(病院収容後26人死亡)」と記している。
(『阿見町史』より)
http://www.joyo-net.com/syoseki/yokaren/senjika.html
過去より未来を
爆撃と機銃掃射はわけが違います。
爆撃および焼夷弾の投下は主にBー29によるもので高高度です。
機銃掃射はP-51はムスタングですね。言うまでもなく戦闘機です。
爆撃は250キロ爆弾の場合は昼間。軍事施設などを視認して爆撃するためです。
また焼夷弾は夜間、これは市街地を狙い無差別です。火災が起きるので夜のほうがわかりやすい。
戦闘機による機銃掃射は人の集まる施設で直接、人間を標的にしています。
防空壕に被害をもたらすのは爆弾攻撃でそれはそこに防空後があるから狙い撃ちで
高高度から落としてるわけでは有りません。日本の対空防御がお粗末であったため
防火設備を取り外し1機あたり5~6トンの爆弾を搭載しました。
それだけ大量の爆弾を投下したので防空壕に直撃もあるわけです。
機銃掃射は低空飛行で戦闘機が獲物を探すように人を探してあるいは人の居そうなところを
無差別に掃射するわけです。私の亡父も年齢で兵役は免れましたが
立川高校生{府立2中}時代によく機銃掃射をやられたと話していました。
どのみち山本五十六が日本を売り渡したスパイである事実には変わりはないね。
たぶん、五十六を始めとする一部の上層部の連中は、心底アメリカが好きだったのでしょう。
平和で、日本よりも遥かに自由で何もかもスケールが大きく、娯楽に溢れ、楽園のようなアメリカを。
私は田舎者で、初めて東京を見たとき、非常に感動しました。東京ってすげえ!何でもある!!と。
昭和初期に日本人がニューヨークなんか見たら、私が東京を見た以上の衝撃を受けたものと思われます。
そんなアメリカ被れの連中が、大好きなアメリカと戦うなど、到底考えられない事だったと思います。
それは武官になって実際に米国に赴任してからで好きというよりは工業力を
肌で実感したわけで戦争の相手国としては非常に怖いと考えたと思いますよ。
それまでは日本の海軍は英国式で戦艦さえ英国の工業力に頼っていたわけです。
武人として考えてはいけないが海軍の良識派と言われてる人達は最初から
勝てそうもない予感を感じていたと思いますよ。陸軍の南進拡大主義に危惧を
持っていただろうし、日本は領土がないので太平洋もでて行かなければ行き成り
本土が戦いの場になってしまう。それでさまざまな島を南洋の前線基地としたが
海軍の中にも開戦当時は制空権の重要さを認識してる将官が少なく補給という
後々、アキレス腱になる問題を残したまま戦争に突入することになる。
長引けば敗戦がわかってる側の将官は短期決戦、早期講和を考えるのは当然のことで
米国に強引に引きずり込まれる戦争にどう立ち向かうかと頭を悩ましたと思います。
海軍の中にも永野や南雲のような艦隊派が上層部にいる。そんな中で戦争に突入すれば
対米6割程度の保有艦船で戦うわけですから。制空権を無視して艦隊決戦を重視し
通商破壊、艦砲射撃など艦艇の用法のも誤りがあったかもしれません。
いずれも山本がアメリカのために活動するメリットがありません。
スパイ説は有り得ない話ですね。