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『バブルを推進したのは私たちですが、その後始末をしたのも私たちですから』
と居丈高に笑った夫婦が忘れられない。
戦後の日本を支えたのは、団塊より前の世代。
【なんでも雑談板から政治・時事掲示板へ移行しました。2011.11.4 管理担当】
[スレ作成日時]2011-09-07 22:44:37
『バブルを推進したのは私たちですが、その後始末をしたのも私たちですから』
と居丈高に笑った夫婦が忘れられない。
戦後の日本を支えたのは、団塊より前の世代。
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[スレ作成日時]2011-09-07 22:44:37
>選挙権と納税がリンクしていても、何も不思議ではない
就労していない人や主婦は選挙権がなくなる?
子育ては、就労を上回る価値じゃないの。
子育てが就労を上回る価値かどうかは、その子がどれだけ社会貢献、具体的に言えば価値を生み出して納税できるかに依存している。
極端な例、例えば男は働き女は子育てをする、という社会を考える。
女の子を育て、その女の子が結婚し出産した子が女の子だと仮定する。
娘が母となり、母が娘を生む場合、(パートナーは男性だが)、数世代に渡って就労しないかも知れない。
生んだ子が全部男の家庭は、皆就労するとすると、全家庭を平均すれば半分は就労し半分は就労しないことになり、バランスはとれると考える事もできるが、家計によって多くの価値を生み出す家計とそうでない家計があると考える事はできる。
育てた子供が就労せず、納税もしないこともある。
そもそも、就労し賃金を得たり、農作物を作ったりして、初めて子育てが成り立つ。
就労しない子供をどんどんと作ったって、口の数が増えるだけと考える事もできると思う。
子供を作って育てれば、世の中のためになっていると考えるのは、思慮が足りないと思います。
就労しなくてもチョコレート買えば、消費税を納税してることになるんですが・・・。
ベビーベッドに始まり、子供用の服や自転車とかお菓子。
消費者による購買により企業は継続でき、労働者の雇用が確保される。
>子供を作って育てれば、世の中のためになっていると考えるのは、思慮が足りないと思います。
なにを根拠として世の中の為になるような子供が出来ると判断できるでしょうか?
思慮が足りないというより思考能力が足りないと思います。
ご立派な思考能力で、子育てが就労より価値あるものだという論理を展開していただきたいものですね。
楽しみにしていますよ。
生産性を一定とした場合、ある国の経済力や成長は、人口に大きく依存する。
その人口を増やすという意味で、子育ては十分に意味がある。
年金・保険や成長の問題はじめ、多くの問題は政府のせいでも何でもなく、この人口の問題。
世の中に価値があるかどうかなんて、子供が増えるだけで価値がある。
さらに、人口が伸びないのであれば、生産性の高い人材を来るという意味で、念入りな子育ては価値あり。
日本の7割方は低生産性部門で、高生産性部門の足を引っ張ってる。
たんい、低生産性部門は労働力として存在しているだけであって、移民と入れ替えをしてもいい。
就労も世の中を回すうえで価値があるが、働いてるだけでは、歯車以上の価値があるかどうか不明。
子育てしないで、イヌと暮らしている人は、イヌ語で意見述べてくれたらいいワン!!
>108
「生産性が一定」という前提がただしければ、そうなるでしょう。
しかし、生産性が一定という条件が正しくなければ、人口が増えても生産性は増えない。
奇しくもご本人が「日本の7割は低生産部門で移民と入れ替えた方が良い」と書いているように、移民と入れ替わった方が良いような低生産部門は、その部門が増えても良い事はないのだろうし、その部門で働いている人も、かつて誰かが「子育て」して育った人材なわけである。
xx保護を例に出すまでもなく、子育ての結果、生産性が低い(もしくは納税が少ない=他の人への所得移転が少ない)人や、消費するだけの人がどんなに増えても、社会の生産性は増えて行かない。この意味で「子供なら、どんな子供でも将来高い生産性を発揮するわけではない」という意味で、盲目的に子育てには(社会的)価値がある、とは言えない。
この点では、「生産性の高い人材を得ると言う意味で、念入りな子育て(=教育)が重要」という点では、認識は一致していますね。だからこそ、義務教育は公費で行われるのです。親にとって子供は価値があり、子育てに意味があるのは当然です。しかし、子供の価値がその親(や家族)にとっての価値に限定されるのであれば、育児教育を社会化する必要性がありません。各家庭でやればいいことです。
生産性が一定という仮説を前提として、人口は多ければ多いほど良く、子育てに価値があるという考え方は、そもそも前提を限った立論であり、一般化することに、私は同意できません。
就労も同様で、108さんのおっしゃる通り、生産性の低い就労は価値がないのかも知れません。それでも、チョコレートひとつ買って払う消費税に比べれば、300万の年収でも払う所得税はかなりの額でしょうし、手取りの中からチョコレートを買うかも知れません。5%程度の消費税でいばってはいけないと思います。
うなずける部分もあるけど、生産性の向上は至難だよ。
産業構造の大転換が必要だから、社会的抵抗が大きすぎる。
まだ、子育てをウェルカムにして人口を増やすほうが、抵抗も少なく堅実だろう。
プラス内需維持・増加に期待できる面も大きい。
生産性はほぼ一定というのは前提でなく、日本では(海外も)現実のこととしてデータも存在する。
内需不足に関しても同様(合わせて外需開拓は必要だが)。
まあ、実際のところ少子化の流れはそんなに止められないが、ないよりはマシ。
義務教育では、生産性の高い人材が育つとはとても言えない。
だから相当の数の子供が塾に行き、私立に行く。
そうでない子供で出来る子どももいるが、親が子供と接する時間が多い家庭が中心。
親との接触で知識を広めレベルアップするという効果は、教育関係ではデータがある。
生産性の高い人材は公立以外か家庭での「影の教育」から生まれるのであって、公立では不十分。
義務教育のレベルはちゃんと勉強していれば低くはないが、それを徹底する仕組みは公立にはない。
そもそも学力の厳密な達成度評価もしていないところで、生産性が高い人材が生まれるわけがない。
ちなみに、わがファミリーは公立派だけどね。
それでも東大京大一橋程度は行けるし、海外でも十分に仕事できるし、生産性が高い仕事につける。
比較的余裕でこういうことができるのは、明らかに一定レベル以上の親との接触頻度次第。
シルバーシートの誕生の経緯を調べていたら、
どこかのジイさんが「電車の席を譲らない傍若無人な若い連中」という
朝日新聞への投書で始まったらしい。
一見すると「若い連中はイカン!」という短絡的な結論に陥りそうだ。
しかし、冷静に考えてみるとシルバーシートが誕生したのは1960年代。
そう、そのころの「若い連中」とは、いまでいう60代団塊世代のことだ。
たしかに電車の席をみると我先にと優先席にすわるが、
そのあと病人や妊婦がきてもかつての「若い連中」(=団塊)は、まったく譲ろうとしない。
この「若い連中」(=団塊)は、日本という国が産み落とした
身勝手でおもいやりのない自分のことしか考えない、最悪の鬼子だ。
俺が中学校まで電車通学してた今から20年程前は
当時40前後の団塊世代は目の前に杖をついた老人が立とうが絶対に席なんか譲ってなかったよ。
年寄りの二人連れに中学生の俺が席を譲った時は 当然その二人で譲り合いになったけど
俺の隣にいた団塊リーマンは新聞を読んでいて知らんふり。
それどころか「余計なことするな」みたいな目で睨まれたぐらいだよ。
で、その団塊連中がいざ年寄りになった今
自分のことは棚に上げといて近場の山にハイキングにでも向かうのか
団体で満員電車に乗り込んできて「何処か空いてる席は?」なんて聞えよがしに言う。
(以上 某掲示板)
政府が打ち出した年金制度改革案では「団塊の世代までは」救済しようとする意図が見え、
これもマジョリティを占める団塊世代の数の横暴だろうか?
>110
生産性とか難しい話でなく、需要と年金・税の担い手が増えることに意味があんだよ。
日本は人口減の中で構造的に需要不足で不況なんだから、頭数が増えるのは意味がある。
一部の生産性が高い人間だけでは、使うお金の「絶対量」が足りない。
年金・税は頭割りされんだから、頭数が多ければ意味がある。
一人あたりが担うべき額は減るんだから。
子供の数を増やして、親がそれを吸い上げて使うというシステムが一時的に上手くいっても、増えた子供もそのうち老人になって、更に多くの子供を要求することになり、無限増殖を前提とする。
こういうシステムを、ねずみ講と言うんですよ。
今の年金制度は、日本の歴史の中で太平洋戦争後の一時期にパッと咲いた徒花。
持続可能なシステムとしては、成り立たないと思うんですよね。
早くお手伝いロボットを完成させて!
公的年金ね、①賦課方式から積立方式? ②厚生年金と共済年金の統合?
①は、無理すじだろう、
②は、可能性ありだろう、官民格差の解消と財政逼迫の共済年金の救済が理由。
10年近くも前に、郵便局簡保の個人年金に加入した。
定年の退職金で、8百数十万円で一括払い加入、年間90万円を10年間で900万円受給、
月7万5千円で、厚生年金と合わせヤリクリしてきたが、もうすぐ10年で残高ゼロ。
先日、法事で会った都会ぐらしの知人が数年前に退職、
退職金で、短期豪ドル債オープンとかを500万円購入しているとのこと、
毎月5万円の配当、年60万円。
いずれ配当も下がるかもしれないし元本も減るかもしれないが、
10年間持ってて、現状維持なら大儲け、元本が半分残れば上等だって・・・・・
簡保で損したようで落ち込んだよ・・・
しまったしまった 島倉千代子!
団塊の世代のためと言っても、順繰り順繰りの話だからある意味仕方ないよね。
そんなことよりむしろ公務員の共済年金の財源はしっかり安全運用され、
サラリーマンの厚生年金は年金福祉事業団などの天下り団体にいいように
無駄遣いされた現実に目を向けるべきじゃない。
結局公務員の天下りや老後ために厚生年金保険料を毎月納めているようなもの。
>>117
まちがいなく正論です。
しかし、それでは話が終わってしまいます。
とは言っても民主党政権はそのようなことを
改革してくれると思って投票した人がたくさんいたのに
まったくの期待はずれでした。
まあ、政権交代した当初はマスごみが試運転みたいなことを
平気で報道してましたからね。おわってるなこの国と本当に思ってました。
だって、毎日自殺している人間がいるというのにまあ、病気で発作的に自殺する人も
いたでしょうけど、暢気すぎるでしょうね。
でも団塊の世代はそれほど楽をしていた?
皆の親はそれほど遊び歩いていた?
少なくともうちの親は毎日0時すぎまで働いていました。
年金も多額に払っていました。
それなのに いざ定年になり 年金をもらう時点で
こんなに否定されるのは あんまりではないですか・・・?
自分が払ったぶんをもらうのはそんなにおかしなことですか・・・?
いや、払った分以上に貰えてるから(笑
うちの親の世代もそうだが、制度上払った分以上に貰えるようになっている。
(うちの親は仕事の収入がいまだに結構あるから、そんな年金は貰ってないが)
その分を、将来払った分などとても貰えない若い世代がせっせと払ってるというのは妙な話。
巧妙な収奪システムとしか思えない。
遅かれ早かれ財政破たんに瀕して息詰まることは目に見えている。
なのに、数の多い高齢者選挙民に色目を使って、社会保障給付抑制も高齢者医療抑制もしない民主はインチキだろ。
まあ、他の政党も似たようなもんだが。
バラ色の年金改革など、財政的に直に破たんするのは目に見えている。
50前後以下の勤労世帯は、社会保障給付抑制も高齢者医療抑制を訴える政党に入れるべき。
無論、子や孫を思う気があるなら、高齢者でもそうすべきじゃないかと思う。
まだ、年金は「自分が払った分を返してもらう」なんて思っている知識不足の人がいるんですね?
↑
「自分が払った分を返してもらう」
個人の感覚ならそうだけど、
公的年金制度は「積立方式」ではなく世代間の「賦課方式」だものね。
年金を掛ける生産年齢人口が減少すれば、制度は崩壊する。