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昭和61年頃から始まったバブル経済 平成3年くらいまで続きましたが
私が21歳のころから26,7歳まででした。
世の中がすべてハッピーパラダイスのような時代でしたね。
建設現場のゴミ拾いのバイトで日当1万2,3000円でした。
就職の祝賀会は、新卒中途問わず豪華なホテル等で行われました。
今では、信じられません。
あの懐かしいバブル時代、何か想い出がある方、話を聞かせてください。
[スレ作成日時]2011-06-21 06:23:38
昭和61年頃から始まったバブル経済 平成3年くらいまで続きましたが
私が21歳のころから26,7歳まででした。
世の中がすべてハッピーパラダイスのような時代でしたね。
建設現場のゴミ拾いのバイトで日当1万2,3000円でした。
就職の祝賀会は、新卒中途問わず豪華なホテル等で行われました。
今では、信じられません。
あの懐かしいバブル時代、何か想い出がある方、話を聞かせてください。
[スレ作成日時]2011-06-21 06:23:38
>>107
それは、金儲けが下手だった人達。
バブルは時間差で地方に移ったから、都内を売って地方の中核都市に次の住まいを買うのが正解。
買替え特例は、次を買わなきゃいけなかったから賃貸の選択肢は無かったけどね。
地方に引越し、遅れてやってきたバブルで二度美味しかった。
その位の情報は当時、不動産屋で教えて貰えた。
成金よりも会社で働き続けるのを選びたい人、にはムリだっただろうけど。
長い経済の高成長期に貯め込んだ1400兆円で、今の日本はもちこたえているのだろうね。
政治家や官僚の無駄使いがなければ、もつと良かったろうに、うまくいかないね。
ラスベガスで何億もすって後に破産したり、何億もの蓄財で政党を潰したりつくったりの政治屋さん。
バブルに酔いしれた国民の多くは、バブルの燃えかすチョッピリ残して、サヨナラが来ている・・・
500円硬貨が発行されたのが、この時期だったね。
会社の上司のオヤジが、500円玉をおつりでもらった、と嬉しそうにコレクションしていたのを思い出した。
というかこの時代に家を買ってしまった人たちはその後どうなったんだろか?
30坪程度のささやかな戸建が軒並み1億円以上、都内だと3億5億当たり前の時代ですよね。
夜遅くにタクシーがつかまらないって実話ですか?
つかまらない時は
道端で万札を数枚振ってタクシーを止めた、ってエピソードを
聞いたことがある。
バブル時代良かったよ。
代々地主だったから相続した原価ゼロの土地
を少しだけ切り売りするだけでお金が入ってきました。馬鹿らしくて買い替えもしなかったよ。
住んでいた駅近い邸宅を20億円で買いに時は冗談だと思ったよ。
土地を担保にカードローンもあって1億円でも即日
決済可能だったね。
楽しかったね。
家族が株をしていて夕食時には、手口、逆ウォッチ
ゴールデンチャート、逆日歩、残を分析して数万株単位で日々売買していたな。
大学入学祝いが高級マンションと高級外国製スポーツカーちなみに実家の側だったがね。大学仕送りも30万円とゴールドカード。毎週高級マンションでコンパ後の飲み会してたな。
平成元年頃に海外事業の為に株を手仕舞いしました。
それがよかったのかもしれませんね。
バブル崩壊の直撃弾を受けることなく
現在に至っていますね。
都内友人達の親がバブルで土地を担保にまた土地を買い売り抜けられなくて都内の屋敷、経営していた工場なども差し押さえられ、新聞の公示公売によくでていましたよ。
バブル毎日が楽しかったね。
毎日ホテルディナーだったよ。
当時家族で毎日100万円使ってもなくならない
ぐらいお金が入ってきましたよ。
バブル崩壊直撃しなくてよかったよ!
駐車場賃貸業地主業に戻ってよかったよ。
おかしい、おかしい、と家族で言ってたから
早く手仕舞いして良かったよ。
当時その家賃でよく借りるな〜と貸す側も
思ってたよ。
そうそう銀座近くの高級物件を
社長達が彼女の為に借りる
ことが多かったね。
バブル崩壊して、飛んだ社長達も多かったね!
今でも年々地価が下がって凹むけど、バブル期に家を購入してしまった屍の方々に比べれば屁でもないと思い精神の安寧を図っております。
急に上がっても買わないことだよ!
家なんて数カ所あるのが地主だから
震災に備えて軽井沢、西日本にもあるよ。
バブル崩壊、が運命の分かれ道だったね。
うちは普通の会社員だったが、バブルで小金持ちになり、
崩壊前には投資を止めていた。
ちなみに、プチバブルのときも適当に儲けた。
新築マンションを買って5年位住んでから売却するのに購入金額より高く売れるなんて実話ですか?
2004年頃に買った新築マンションは、2007年頃のプチバブルの時に
買値に数割の利益を乗せして売れましたよ。
本物のバブルのときは、土地やマンションを極端な短期間で転売して利益を上げてた人もいたみたい。
「転がし」と呼ばれていた。
代々木ゼミナールで世界史の武井正教先生と漢文の中野清先生と高校野球応援とバスケットボール部と陸上競技部で頑張っていました。今でも思い出していますとバブル期に乗っていましたので最高の懐かしい学生時代でした。
バブル崩壊でも日本のやり方は実やさしかった(実際はバカだったが)。
失業者を出さない、負債を出さない、先延ばし出来るものは全て先延ばし。
だからアメリカなら数年で処理する物を日本は20年位かけてゆっくり処理した。
日本はあらゆる面で外国に抜かされた。
今でも歳取った人は日本人は優秀と思っているけど実際はかなり厳しい。
日本復活の為にTPP、脱官僚、防衛力増強などどんどんやっていかないとね。
バブル時代に低所得者は物価が高くて困った。
牛乳が高くて買うの悩みました。
まだ10代だったので、牛乳飲みたい年頃だったので辛かったな。
その代わり不況になった時、雑誌とか情報を得て活用出来たり、智恵が出て食べていけそうです。
絵なんて買っちゃったよ。
3000万で買った築1年の中古マンションを、9年住んで、バブル絶頂期に築10年で9000万で売った。都心だったけど。なんとも、異常な時代でした。
バブルの十数年前に400万で買ったたまプラ近くの土地が、4億で売れました。
同時期に400万程度で売ってた新築マンションは、バブル相場が4千万でした。
マンションよりも、土地のほうが遥かに儲ったのですよ。
ババ抜きレース
誰が最後にババを引くか。
就職活動が楽だった。1人の学生に2〜3社説明会でつくくらいだった。説明会聞いただけなのにいつから入社できるのか聞かれた。おいおい、誰もあんたのところに決めたなんて言ってないよ。
今は全く逆。20社くらい応募しても書類選考すらなかなか通らない。
それは第二次ベビーブームの子達の前じゃないかな。第二次ベビーブームの子達は高卒は就職難だった。人数が多すぎて。
やがて2年後、派遣会社から人数の多い第二次ベビーブーム世代に声をかけるが多くなった。
北新地で、毎晩百万使いました☆
自分は10歳ぐらいでした
こんな糞スレ挙げんなや
若い連中はバブルなんて知らねーよ
今の40代後半男子はぺーぺー時代で給料もペラペラでこき使われてたよ。逆に女子は黄金時代。コンゴム絶頂期。
今はバブルオヤジ達を安賃金で使ってます。
女子は使い過ぎて劣化してます。
北新地のクラブを200万でよく借り切った
銀行員だった私は、ショットバーでナンパしてきたオヤジに、冗談で明日預金しにきてと名刺を渡したら翌日本当にきた。 その人は京都の老舗呉服屋の社長だった。上司にお前何して預金とったんだ?とニヤニヤした顔で聞かれた。
ただ五分くらい話しただけと言っても信じてもらえなかった。
みんなそれくらいお金余ってた時代。
土地を銀行のコネで高く売ったから紐付きになり
土地の売却代をしばらく大口預金で預けてやった。
その支店で二番目に預金額の多い個人客と言われ
行く度に特上寿司が出された。
その頃の銀行は顧客に結構サービスしていた。定期預金10万でも粗品の内容チェックなしで、自分の知り合いには在庫の中から凄く良い物を渡していた。
今はティッシュ?要らないよね!
平野ノラの影響で荻野目洋子や元プロ野球選手・ポンセなど日の目を見ていますね
バブル時代、自分は高校生だったので社会人になったら弾けられる生活が送れると
思ってたのですが、弾けて変な方向にドンドン向かっていってますよね
もう日本では、バブル経済は起こらないだろう。バブル経済が起こるとしたら新興国の東南アジア諸国やインドあたりでしょうか? 日本人、日本企業は、今後、こぞってそれらの新興国へ進出するんでしょうね?
バブル時代は20歳~26歳くらいで、高卒ですし、ほとんどバブルの恩恵はない。私と同年代くらいで大卒者は、その恩恵をかなり受けたのではないでしょうか? 異常な時代と思いました。
バブル時代不動産屋だった俺は一万円札をただの紙切れのように思っていた。毎日ファックス送るだけで数千万も儲かっていたから。でも相手先の転がし屋は2年でみんな消えてったな。俺は大手不動産業者だったから彼らから甘い汁吸ってただけだから個人的な被害は少なくて助かった。
バブル崩壊後に親しかった社長が首吊ってショックで不動産業界を辞めた。
今は公務員ですわ(笑)
バブル時代は20歳代前半から半ばでしたが、ボクシング系のスポーツをしていた。ハングリーなスポーツ。超好景気時代に、ハングリーなスポーツをしていたので、バブルの恩恵はないですね。 高卒だし、就職したのは昭和60,1年。 同じ年代の大卒者は、相当恵まれていたようです。バブル期の事は、バブルで活躍した今の6,70歳代以上の人達から、たくさん話を聞いています。年収億単位だったとか、不動産業者であれば、10億円、20億円の取引をしただとか。 でも、何か腑に落ちないネ。おカネを稼いだ期間が、5,6年で終わりで、その後に大変な目にあったり人や、会社が倒産したりを目のあたりにしたからです。
「バブルないのがいいじゃないの。」そう思います。{楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」ではないでしょうか?
ちょうどその頃産まれたから
知らねーし
年寄りは余所へ行け!
またバブルが近づいてますね。
日経平均も来年こそは3万超えて来るだろうし、東京の公示地価は3年連続で上昇、
銀座の地価も東京のマンションも、低層タワー共に軽々バブル記録超えてます
(鳩居堂前が90年には平米3,850万→5,550万。
六本木の檜町パークマンションが600平米55億、向かいのタワーが200平米15億。
渋谷公会堂建て替えタワーが70年定借なのに、200平米でやっぱり15億)。
もっとも前回との違いは、少子化が見えてるから地方までは波及しないこと。
都内も土地が余ってる周辺区や郊外はダメ、駅遠バス便は論外。
少子化時代にも値崩れが少ないごく一部の好立地にのみ資本が集中する。
まさに格差で、前回とは違って一部の人間だけが旨味を享受出来る局地バブル。
バブル時代は、20歳代でしたが、その恩恵はなしです。
バブル時代には、素人が都内の土地を買う手段が無かった。
玄人だかなんだか達が高値で土地転がしをしていたから。
で、横浜のたまプラ付近に戸建てで住んでた我が家は
横浜も土地不足なんだから売れるだろうと、俺が動いて強気のチャレンジ価格で売りに出した。
が、売れるまで4ケ月掛かったね。
損得勘定というか経済観念が良くはない父親の所有だったので、
「売れるわけ無い、安く買ってもらえ!」などと騒ぎ続けた父親をやっと抑え続けて。
で、チャレンジ価格で売れたら今度は
「家族に家を安く叩き売られた!」と父が騒ぎ続けたので、取引銀行の支店長に頼んで
儲かった仕組みを子供に教えるように丁寧に父に解説してもらった。
で今度は、「儲けた儲けた!俺の金だ!墓場まで持ってくんだ」と父は騒ぐようになった。
昔の人、には簡単に自宅を売る気は無いというか、家で儲ける経済観念が無い人もいたのですよ。
ちなみにその後、色々あって現在は空中族をやって都心に住んでる。
昭和30年代に就職、大手で初任給1万円、年俸15万円ぐらいだったか・・・
で、40年後に、年俸1300万円、で退職、退職金3500万円、もう半分も残ってないよ。
マグロの尾っぽぐらいなら、買えるのじゃないの?
1年くらい味わいたかったな
>>130 匿名さん
第二次ベビーブーム世代は72年生まれ迄の非大卒総てと74年生まれ迄の高卒はバブル余波の恩恵をウケて楽勝就活で社会に出てました??
然し同年代の大卒と73年生まれ以降の短大及び専門卒は長い就職氷河期の先頭を走らされる形で大半が望まない進路を選ばざるを得ませんでしたね。
バブル結婚、3年で離婚した。若気の至り
ジュリアナ~ズ東京!