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消費税に一貫して反対してるのは、共産党です。投票の際、十分に参考にしたいところです。
[スレ作成日時]2014-11-13 17:55:17
消費税に一貫して反対してるのは、共産党です。投票の際、十分に参考にしたいところです。
[スレ作成日時]2014-11-13 17:55:17
日本共産党という党の歴史を全く知らずに過剰かつ異常な言挙げの中の、一見響きの良さや甘い言葉に釣られて共産党の活動に参加されてる方々がいます。共産党の歴史すら知らず、全く無知な状態では非常に危険だと思います。まずは、よく、日本共産党の歴史をよく調べて、知ってから再度、ゆっくり考えられる事をお奨めします。この党に、平和を語られても・・・いや、こういう歴史を隠すが為、異常に平和、人権、権利を言い立てなければならないのでる。やはり、隠し事がある人こそ必要以上に言挙げされるものなんだと思う次第です。
戦前の代表的な左翼組織のひとつに日本共産党があります。時折、共産党は戦前、戦争に反対したのでエライと信じる人がいますが、これは大変な誤解です。当時の共産党は、革命の原動力としての戦争については肯定していた。日本の軍事力弱体化と、それによるソ連コミンテルンによる「資本主義支配からの解放」(すなわちソ連からの侵略)を円滑にするために、反対していただけである。
この時代の共産党は、共産主義国による資本主義国に対する戦争は、党規及び実質両面において肯定しいていた。戦争一般を否定していたわけではないのである。
日本共産党はソ連コミンテルン日本支部として生まれた。世界共産主義革命を成すための日本支部とでもいうべき組織だ。現在の日本共産党は旧ソ連政府や支那政府との対立を偽装するが、かつては完全にソ連コミンテルンの支配下にあった。その活動を見ると、現在の中核派や革マル派以上のテロ組織と言っていい。日本共産党は査問と称するリンチ殺人を繰り返した。こういった殺人は現在の宮本顕治名誉議長も行っている。
また、拐帯や更に強盗、詐欺、恐喝などを行う犯罪組織でもあった。(例えば共産党は、昭和七年十月六日、川崎第百銀行大森支店を襲撃している)。それゆえ、当局は共産党員を次々摘発した。これを現在、共産党は「弾圧」と呼称している。これらの事実は現在、全て隠蔽されている。前の選挙により、社民党の国会議員が激減した分、共産党の議員がかなり増えた。
共産党が国政への影響力を着々と不気味に蓄えているにもかかわらず、マスコミがこれらの事実をあまり取り上げない理由は何か。それは共産党へのシンパシーを感じる人間がマスコミ関係者にいることと、そもそも共産党の実態に無知であることが考えられる。しかし何より、共産党からの告訴などによる嫌がらせを恐れてのことだろう。嫌がらせのために告訴を行うのは、サヨクの常套手段なのだ。
現在、共産党の戦前における真実を語ることはタブーになっている。恐ろしいことだ。終戦後、殺人罪で服役していた宮本は、終戦のどさくさにより思想犯と混同され出所する。なお、戦前における共産党が行った犯罪というタブーを真っ向から記述した研究書があるので、興味のある人は参考にして頂きたい。かなり綿密で具体的な研究書である。
書名 :日本共産党の研究 一から三巻。
著者 :立花隆
出版社:講談社
当局の弾圧により転向した沢山の左翼が、近衛新内閣のイデオローグである昭和研究会に参加した。昭和研究会の主張は、「反自由主義経済」、「反資本主義」、「統制経済と挙国一致による高度国防国家の建設」、「英米本位の世界秩序を打破し、大東亜共栄圏を建設する」などである。
つまり、ナチスばりの完全な国家社会主義なのだ。近衛新内閣に入り込んだ左翼は、左翼の言う英米など帝国主義国同士の戦争へと巧みに誘導する。当時の朝日新聞などは、国連脱退を称賛しきっている。こういった左翼の誘導もあり、やがて日本は戦争へと突入する。
大正11年
日本共産党がスターリン率いる国際共産党(コミンテルン)の日本支部として発足。昭和6年8.22『赤旗』には「『赤旗』はコミンテルンの『7月テーゼ』の理論的実践的遂行をその最重要任務とした。
『赤旗』は最初からコミンテルンの指導を日本に具体化するという意義を有していた」とその傀儡である立場を明確に記述している。革命に成功したソ連はブルジョアの千万人単位の虐殺、政敵の強制収容所での思想改造、やがては対外侵略を開始し、世界革命というソ連の大植民地帝国主義の傀儡、「第五列」の役割を日本共産党に負わせたのである。
当時の日本の国民、政府が日本共産党を恐れ、警戒したのもむべなる哉である。昭和初期には左翼分子の武器使用による警察官傷害事件多発。立花隆 日本共産党の研究 講談社文庫-1 p358 第8章 ”武装共産党”の時代のp394に詳しい。
●昭和7年10.6(木)大森・赤色ギャング事件
午後四時ごろ、バーバリのコート、眼鏡をそろって着用した日本共産党
家屋資金局の3人組の男が川崎第百銀行大森支店へ押し入り、現金三万一千七百円を強奪。
●昭和9年1月15日(月)赤色リンチ事件
宮本顕治による共産党内部でのスパイ疑惑から殺害に至った事件の発覚。民家の床下より遺体発見。
●昭和24年6月30日(水)福島県平警察署占拠事件。
米飯不正受配で温情処置を取った熊谷巡査を「不正を行った」と日共が逆宣伝し、自殺に追い込む。父親の自殺後にも、残された小学2年生の子供がいる自宅に日共党員が押し掛けた。
●昭和26年10月16日(火)第五回全国協議会で新綱領採択。
革命を達するには暴力しかない、とする武闘闘争の正当化。原文はスターリンが執筆といわれた。27年2月に蒲田にて火炎瓶が投げられたのがこの綱領を受けての最初の火炎瓶武力闘争の模様。
●昭和26年12月26日(水)練馬署旭町駐在所勤務伊(印)藤巡査(当時32歳)殺害事件。
O製紙労組員を暴行傷害事件で逮捕後、ビラ貼り、駐在所押し掛けなどの嫌がらせが続いていた。ビラには「伊藤今に引導を渡すぞ O労組」など書かれていた。26日深夜「O製紙先の路上に人が倒れている」との通報で出かけたまま行方不明。翌朝撲殺死体で発見さる。拳銃も奪われる。あとには夫人と3歳と1歳の幼児が残された。
●昭和26年12月末~昭和27年1月27日(火)小河内山村工作隊事件
日共が中共にならい「農村解放区」を設定しようとしたものが「山村工作隊」である。都内では小河内山村工作隊が最も活発であった。約30人が通称「金城飯場」等に無断で侵入し、此処を拠点とし機関紙活動等で村民の不平不満をあおり日共の浸透工作を行うと共に村長、警官等にたいして執拗な嫌がらせを繰り返しながら立木の盗伐、不法占拠、つるし上げの不法行為の限りを尽くした。
●昭和27年1月21日(月)白鳥事件
札幌市南6条の通りで、日共党員が、中央署の白鳥警備課長を射殺。それまでに、自宅に数百通の脅迫状が来ていた。日共札幌委員名の「みよ、ついに天ちゅう下さる。(ママ)」のビラが市内に撒かれた。
●昭和27年2月3日(日)長野県南佐久郡田口村で、無灯火自転車に乗った日共の一団が5人の警官に暴行を加えピストルを強奪。
逃げ遅れた日共地区委員をその場で逮捕。
●昭和27年2月21日(木)蒲田署警官襲撃事件
日共が「反植民地闘争デー」を期して軍事方針に基づき行動した集団暴行事件。午後5時すぎ、大田区糀谷の電業社付近に約70人が集まり、不穏な状況に対し蒲田署K巡査が職質したところ、「この野郎、人民の敵だ、殺してしまえ」と襲いかかり暴行、手錠をかけ拳銃を強奪した。その後250人位に増えた暴徒は、2隊に分かれ無届けデモを行った。目つぶし、投石、派出所を襲撃破壊した。
●昭和27年2月23日(土)京都税務署を日本共産党員が襲撃。
●昭和27年2月28日(土)荒川署を日本共産党員が襲撃。
●昭和27年3月16日(月)鶴見、川崎税務署火炎瓶襲撃事件。
●昭和27年3月20日(木)京都の派出所を日本共産党員が襲撃。
枚挙に暇が無いので以下略。共産党は現役の暴力テロ集団。凶惨党と改名すればしっくりくる。
慰安婦捏造証言の吉田清治は共産党員。吉田清治 背乗りで検索。