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>>1465
カナダから息子が帰ったら写真上げ方教えてもらって上げるよ。信用しないのも無理はない。
俺は最初、コルベットに乗っていた。76年型の伊藤忠もの。ところが世田谷のエリートスポーツで
パンテーラを試乗して自分の車がおもちゃだということに気が付いた。74年型の黒のGTSを
購入。LとGTSではモールがシルバーと黒、一番の違いはエキゾーストがGTSはタコ足に
なっているがLはなっていない。世田谷のスーパークラフトの代表、山田さんはエリートで
チーフメカをやっていて独立した。同じエリートで営業をやっていたのが高井戸でクリーブランドという
ショップをやっている丸山。通称{丸ちゃん}ここも今はローバーのデフェンダーなどを売っているが
昔はパンテーラのショップだった。少々、調子のいいずるい人間で仲間内ではあまり信用がない。
そのうち、パンテーラをいじれるメカがいなくなりパンテーラを断念する。クリーブランドの命名は
パンテーラのエンジンがクリーブランドで作られる別物のⅤ8に由来する。
当初、山田さんも一緒にやっていたが正直、金に汚いので別々になる。俺のはFRPを多様して
ボディを軽くし改造していたので当時でも山梨などでないと車検が取れなかった。
パンテーラの弱点はブレーキが貧弱、オーバーヒートしやすい、治具が悪いのか右フロントの前輪が
どの車もフェンダーに当たる。トルクはあるので1-3-5というチェンジが出来る。73年型までは
メーターがセパレートだ。青山のエンドレスという24hオープンの喫茶店に集まっていたのは
アメリカンカークラブ。うちのエキサイティングカークラブは表参道が集合場所。当時、岩城晃一の
クールズと同じ場所なので話合いマイアミという喫茶店から駅側をクールズ、そこから明治通りの
交差点までがうちの集合場所だった。うちのメンバーはトランザム、カマロ、コルベット、ポルシェ、
パンテーラ、フェラーリ、ランボカウンタック、マセラテイなど約50台いた。東名、湾岸、新木場で
ゼロヨンなど俺達が始めた。アメリカンはアメリカのⅤ8を積んだ車ばかりでロータリーの雨さんも
エンドレスに来ていたが光永さんと同じでクラブには属さなかった。雨さんはのちにシャンテにロータリーを
積んで東名でこけたりしていた。うちのクラブのT中さんはポルシェRSRで280は軽く出た。
金融業のモンモン入りの人でとにかく豪快。同じモンモン仲間のレーシングサービスディ〇の
切〇社長ともだいの仲良し。内緒だがフェラーリのニコイチを平気で売っているとよく話していた。
俺のパンテーラを見て{事故るとエンジンが運転席に飛び込んでくるからポルシェにしろと}よく
言っていた。長いので第二弾はそのうちに。