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1000レスを越えましたので、
新しくスレを立てました。
[一部本文を削除しました。2017.2.23 管理担当]
[スレ作成日時]2016-10-25 09:52:52
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ねぇねぇ。知ってる?喫煙に反対する過激な嫌煙派や、喫煙者でも外道のベランダ喫煙者がいるって。
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2018.8.25
喫煙vs非喫煙、それぞれの「過激派・穏健派」の言い分を聞いてみた(下)
武藤弘樹
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科学的根拠に基づいた判断は一見客観的で正しそうに見えるが、どのような場合であれ判断は最終的には主観によってしか行われないから、完全なる客観に基づいた正解は人間には決して得られないかもしれない。人間ならどこかの時点で主観に頼らざるを得ず、その時々の多数派が「世の中の正解」や「おおむねの総意」として受け入れられる。
つまり、過去の喫煙歓迎ムードも現在の禁煙賛成ムードも「時代の気分によるものでしかない」とするのは暴論だろうか。
人はその時代や世代の中で培われた感性で物事を見ていくので、禁煙賛成ムードにある昨今、筆者の上記の結論が暴論として目に映るのは、現代に生きる人として至極当然である。そしてこの記事が50年後、100年後の未来には、その時代に生きる人たちから「前時代の野蛮な考え方」として受け止められるであろうことも想像に難くない。
やや話がそれてしまったので閑話休題して、“完全なる客観に基づいた正解”についてだが、これが人に得がたいものである点に難しさがあると同時に、人間だからこそできるアプローチというのもあって、それは「バッファーを持たせるための想像力が備わっている」という点である。
「白か黒か」ではなく「白も黒もあるよね」というグレーの部分を重ね合わせ、そのグレーの部分の中で共存していく可能性が模索できるのである。喫煙・非喫煙の対立は、実は人類がさらなる高次元へとレベルアップするために課せられた試練なのかもしれない。
話がやけに壮大になって収拾がつかなくなってきたので、風呂敷は広げたまま、この辺りで筆を置かせていただくこととする。
穏健派としては、喫煙者が他人に受動喫煙させなきゃ許すって感じかな。集合住宅では、近所の喫煙所で吸ってくれるか、自室内でビニール袋かぶって吸ってくれれば全然問題ないよね。吸殻も大好物だろうから、むしゃむしゃ食べていればくれれば大歓迎。保険使わずに早死にしてくれれば年金も増えて言うことなしだよね。