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クジラもイルカも本当にまずい。
牛よりも獣臭い。散々給食などで食べさせられました。
臭い匂いはイノシシが一番近い。まずい食い物です。
[スレ作成日時]2014-01-20 19:39:47
クジラもイルカも本当にまずい。
牛よりも獣臭い。散々給食などで食べさせられました。
臭い匂いはイノシシが一番近い。まずい食い物です。
[スレ作成日時]2014-01-20 19:39:47
せめて喰って成仏させてやってくれや・・・
殺されて肥料にされたんじゃ成仏できん・・
まあ日本人から見て中国人や韓国人が犬や猫を殺して食べることを残酷や異常に
感じたりするのと同じようにアメリカ人から見てイルカを殺して食べる日本人は
残酷で異常に思われているということだよ。
中国人や韓国人から見れば犬や猫を食べる事は当たり前で立派な食文化だと彼ら
は思っているよ。
でも、問題無い、ここでクダまいてイルカ喰うなとか言ってても
実際に県や行政にもの言える論理的な人間は皆無だから、何も出来ませんよ。
今日は晩酌のつまみクジラくんのベーコン、やはり美味いわ。
この臭いというか、香りと歯ごたえがたまらんつまみ、ちょっとお高いのがいかんがね。
シーシェパードにもくわせてあげたいね、イルカも同じ味だからさ。
↑
こいつもワンパターンだけどクジラだよな。
イルカは喰った事が無いんだよ。
でもクジラ、イルカが旨いようじゃ親がロクなもの食わせて
やれなかった。という事だな。
↑予想や妄想でしか書き込み出来ない貧相な暮らしの方がなに言っても説得力皆無。
クジラもイルカもおいしいよ~ 食べてみなー クジラ高いけどね、だいじょうぶぅ?
いま秘密のケンミンショーやってるけど 昔イルカ料理やってなかったかな? みのさ~ん
うまい不味いの前にイルカ肉売ってないね。
イルカの話題は、最後は犬とかハクビシンを食う国々への興味となるな。
●国と■国の残虐さと同レベルと見られることが、絶対にイヤだと思う
国民感情がある。
イルカの捕獲は止めましょう! ストップ!ですね。
>うまい不味いの前にイルカ肉売ってないね。
おいしいイルカちゃん普通に売ってるよ↓
http://www.k4.dion.ne.jp/~daturyok/sizu/sonota2/iruka/iruka.html
まあ、うまければね。食べても仕方ないでしょう。
不味い。2度と喰わないね。
イルカおいしいよ このみがあわないのね ざんねん むりしてたべなくていいのよ
うちのばあちゃんも牛肉が臭いとかでだめだから おなじようなもんだね
原住民みたいな一族だね。
ウミウシとかイソギンチャクは食べないの{笑}?
イソギンチャクねえ、
柳川の水郷巡りに行ったときね、地元の魚やの裏側が居酒屋になっていてね、
イソギンチャクの天ぷら、やどかりの唐揚げとか有明海の珍味で飲めちゃう、
ムツゴロウや聞いたことのないのもある、でも、虐待かもね・・・・・・・・
↑猿やイヌ食べてるおたくらと変わらないと思うよ どうせネコも食べるんでしょ
日本人は、こんな低級な食いものから脱皮しないといけませんよ。
ブタもおなじでしょ どこがちがうの イルカおいしいよ
まるで違うよ。
うまくないから少数の日本人しか喰わない。
動かしがたい事実だよ。何言ってもね。
いろいろググってみたら、このような記述がありました。
以下、コピペです。↓
なぜイルカだけが特別なのか? 日本のイルカ漁をイタリア版「WIRED」が擁護する
「みんな命を奪っている──これが、和歌山県の仁坂吉伸知事が語る、毎年世界を憤慨させているイルカ追い込み漁に対する批判への日本からの反論だ。そして、それは正しい」。WIRED.itが世界に問いかける、イルカをめぐる「根本的な問題」。
TEXT BY MICHELA DELL’AMICO
TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI
愛想のいい哺乳類の群れは、不幸なやり方で有名になってしまった和歌山県太地湾にやって来る。そして脊柱に突き刺された鉤によって流血させられて死ぬこととなる。日本では、イルカは伝統的な食物だ。そして、その漁のシステムも伝統の一部だ。
和歌山県の仁坂吉伸知事は、糾弾する人(西洋世界全体、もしくは駐日アメリカ大使キャロライン・ケネディや、ジョン・レノンの未亡人のオノ・ヨーコ、さらにはハッシュタグ#tweet4taiji、 #HelpCoveDolphinsを通して集まったTwitterの住人たち)に対して、なぜイルカを殺すことがダメで、ウシやブタならいいのか?と問うた(それにイルカは絶滅の危機にはない)。
彼はこう語った。「食文化には違いがあり、さまざまな立場を相互に尊重するのが文明の知恵です。わたしたちはウシやブタの命を奪って生きています。イルカ漁だけが非人道的だと言うべきではありません」。
イルカ漁で用いられている畜殺技術、つまり鉄の鉤による脊髄の切断は、動物の苦痛を避け最小化しているといわれる。こうしたことは、ニワトリやウシの命がまったく尊重されていない、西洋の畜産業界において見ることはできない。わたしたち西洋人は、わたしたちが日々行っている虐殺を棚に上げて、意見を言うことができるのだろうか? わたしはそうは思わない。理想的な世界においては、誰も肉を食べるべきではなく、自由に生きる権利は動物のみならず植物にも拡大されなければならないにしてもだ。
イルカは高貴な動物と考えられている。知性をもっていて、人間のよき友人だ。法律によってはイルカを「人」、つまり人類ではない「人」として認め、生存権と自由権を与えるに値すると認めた国もある(参考:インドがイルカを「人」と認めた )。そうした国では、彼らを水族館に押し込めて搾取することはもはやできない(一方、それ以外の場所では一生プールの中でボールを追いかけて暮らすシャチやイルカでいっぱいだ)。
ともあれ、わたしの疑問は次のものだ。果たして知性が優っていることで、生命はより価値あるものになるのだろうか? もしそうだとすれば、なぜイヌは保護されるのか? 科学はイヌをガチョウよりも知性が低いと判断している。しかし、イヌはほかの動物たちがもたない権利をもっている。ネコもそうだ。
わたしは世界を旅しているなかで、イヌやネコが殺されるのを目撃したことがある。棒で殴られ、失神し、血を流して吊されていた。その光景に、わたしは胸を痛めた。わたしはずっとイヌやネコを飼ってきたのだ。わたしは田舎で育ち、母親は農業に従事している。イヌやネコ以外にもヤギやニワトリ、カモ、ウシなども飼ってきた。自信をもっていうけれど、彼らが死ぬのを見ることが、胸の痛みにおいて劣っているということは決してない。
あるいは、ウシは頭が悪く主人になつかないため、尊重するに値しないという考えを誰かがもっているのだろうか。だとしても、これも事実ではない。もしウシを知っていれば、「ウシのような目」という表現(イタリア語できょとんとした無表情の目つきを表す)には何の根拠もないことがわかるだろう。昔ながらのやり方で彼らの世話をしたなら、ウシたちはそれぞれ性格にも違いがあり、あなたがやってくるのを見て喜びもするし、目や、鼻面をぶつけることや尻尾で叩くことで会話をしていることがわかるだろう。
ウシたちを殺さねばならないとき、ウサギやニワトリ以上に母は動揺することがあった。彼女はウシの一頭一頭の個性をわかっており、彼らの好みや心情も知っていた。しかしだからといって彼女は農業を辞め、スーパーでプラスチックの包装の中のきれいで清潔な細切れ肉を買うことを選びはしなかった。
根本的な問題はここにある。わたしたちは毎年、太地町で起きていることを映像や写真を通じてたくさん見るけれど、ウシたちの身に起こっていることを見ることはほとんどない。そもそも誰も、ウシやブタのためにTVシリーズを制作したりはしない。ハンバーガーはわたしたちの日常に欠かせぬ食べ物であるし、何について怒らなければならないかをわたしたちに教えているのは、今回も、そしていつもアメリカだ。決して中国や日本ではない。
生命を奪い蛋白源に供している事は紛れも無い事実だと思います。
ただ知能指数が高いとか可愛いからとかは別問題です。
地元の主要なスーパーマーケットのオークワではこれらの肉に危険濃度の
水銀が含有しているのが判明すると販売を中止しました。地元ではイルカ肉離れが
続いています。
「厚生労働省、薬事、食品衛生審議会」は妊娠中の女性に2か月に1度以上、
イルカの肉を食べさせないように忠告しています。
伝統であるはずのイルカ食が形骸化していて世代が変われば自然に消滅するだろうと
考えられています。安全な食肉として比較した場合、牛豚よりはるかに安易な基準で
食べる人口が圧倒的に少ない為と思われます。