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【板違いのため、政治・時事掲示板に移動しました。 2012年9月3日 管理担当】
[スレ作成日時]2006-08-08 20:12:00
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佐藤早苗さん東条英機「わが無念」—獄中手記・日米開戦の真実より
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334970664/250-7277338-9904260?v=gl...
(東條閣下が)出頭すべき時は内務省から前もって
正式に連絡があるという約束になっていた
九月十一日午後四時、東條家はMPや米兵たちに突然包囲され、
マッカーサー元帥の命令を持った憲兵は
『トージョー、お前を逮捕する』と乗り込んできたのだ。
これは明らかに約束違反であった。
東條に思考する時間はなかった。
とっさに日頃の信念に従った。
それは妻かつ子にも言っていたことである。
『自分は、生きて虜囚の辱を受けず、という戦陣訓をつくった本人だ、
米軍が礼を守って自分を迎えるなら、
戦争責任者として堂々と法廷に立ち、自分の立場を主張する。
しかし、
罪人扱いをするようなら自決するつもりだ』
であった。
戦犯容疑者の逮捕は、
占領軍司令部から日本政府に該当者の氏名を通告し、
日本の官憲の手で連行するという取り決めになっていたのである。
東條は失神したまま、応急措置を受け米陸軍の野戦病院に運ばれた。
そこで急遽米兵の一軍曹が提供したB型の血液を輸血され、
命をとりとめたのである。
このときマッカーサー元帥は
「東條を生かして裁判で正当な報いを受けさせたい。
このまま安らかに死なせては、手ぬるすぎる。
私がフィリッピンで過ごしたあの屈辱の日々のお返しをしてやりたい」
と言い、
東條はマッカーサーの絶対命令で生かされたのであった。
失敗の理由はいくつもあげられた。
米軍の陸軍病院で手術に立ち会った軍医の証言によると、
東條の心臓は
人と異なるところに位置していたというのであった。
そして、東條は左ききであったことも失敗の理由にあげられる。
そしてさらに東條が使ったピストルが、
娘婿・古賀秀正が自決に使った
大型の重いもので、
発射のショックが大きいこと等があげられる。
しかし、
いずれにしても当時の日本の医学では
とうてい命をとりとめることができない傷であり、
出血であった。
それをマッカーサーの強い意志と、アメリカの進んだ医学が、
東條を再び生かしたのである。