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[スレ作成日時]2013-11-02 21:09:32
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守谷城は茨城県守谷市本町にあった戦国時代の丘城で、利根川水系の湿地帯に張り出した標高18m(比高10数m)の舌状台地に築かれた丘城です。城は城山地区(平台山と称する)と城内地区に分かれ、城山地区が要害としての主城部、城内地区(守谷小学校周辺)が戦国後期に拡張された外郭です。
外郭部は市街化が進み、一部の土塁を除いて遺構はほとんど消滅していますが、主城部は城址公園として整備され、遺構がよく残っています。主城部は先端から、妙見郭・主郭・二ノ郭・三ノ郭と連なり、それぞれ堀切で分断した縄張りとなっています。堀には満々たる水が入り込み船着場も残されていました。
北条氏の城らしく、随所に横矢掛かりが設けられ、土塁で囲まれた枡形虎口など技巧的な縄張りです。特に素晴らしいのは二ノ郭の空堀で、深く大きな堀が屈曲している様は、まさに北条流の築城術そのものです。また、主郭の堀切は、二重堀切となり、馬出し機能を兼ねた中間の土塁にも横矢を設けています。
小貝川より入る一大水系は、満々たる水を湛えて城域を囲み、更にはその城域の極めて広大なこと、築城技術の入念なこと、それは天下の名城としての様相が偲ばれます。
公園として整備されているので夏でも訪城可能ですが、これらの素晴らしい遺構を堪能するには、やはり冬場が良いでしょう。守谷市指定史跡(昭和48年9月8日)。
>>583
城址公園は鎌倉時代の守谷城。
守谷城は、鎌倉時代に築城された現守谷城址公園の守谷本城、戦国期に現守谷小学校周辺に拡張移転した守谷城、江戸時代初期の現守谷小学校の地に守谷陣屋が置かれた守谷藩と変遷しています。