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その場でなくても、あとになってじわ〜っと
ご両親の愛情を感じた時ってありませんか?
そんな暖かい経験を聞かせて下さい。^^
[スレ作成日時]2006-02-07 14:55:00
その場でなくても、あとになってじわ〜っと
ご両親の愛情を感じた時ってありませんか?
そんな暖かい経験を聞かせて下さい。^^
[スレ作成日時]2006-02-07 14:55:00
子供のころ、怖い夢見た時、大声で叫んだ。
その時、母が布団に入ってきて、大丈夫だからと背中をなでてくれました。
夢と現実の境がわからないような状態だったので、力任せに母の足を蹴りまくった。
かなり痛かったはずなのに落ち着くまで撫でてくれました。よく思い出します。
02さん、心温まるお話しをありがとうございます。
私の小学校3年生の時のお話しを。
当時「子供会」で遠足があり、「五年生以上」を原則として行われました。
姉は六年生で問題なく行ける状態でしたが、どうしても行きたかった私は
泣いて両足をバタつかせてごねた記憶が。
「ダメといったらダメ!」と叱る両親が鬼のように見えました。
遠足の前日は悔し涙でなかなか眠れず、一人トイレに行った時、襖越しに
「かわいそうだわねえ。なんとかつれてってあげたいわねえ」という父と母の声が聞こえ、
かわいそうだと思っていてくれたんだ・・・とわかり、すごく嬉しかったです。
翌朝、姉と母に元気良く「いってらっしゃい!」と声を出したら、
父が「今日はどこへでも好きな所へ連れてってやるぞ!」と言ってくれました。
今では小さく見えるようになってしまった両親に、せいいっぱい親孝行してあげたいと思います。
小学生のとき、給食の無い日でお弁当持参だったのに、うっかりものの
私は、忘れてしまいました。電話でお弁当を持って来てくれる様に言うと
母が昼休みに持って来てくれました。大したことないけど嬉しかったな〜。
04さんのお母様も、素敵なかたですね。
子供のために一生懸命な親の姿って、あとあとまで心に残りますよね?
これからもみなさん、胸に響く宝石話、たくさん聞かせてください。
学生の頃に母が他界したんだが、それから10年後の事。
実家で法事をやった後、皆で食事をする席で親父が親戚に向かって挨拶した。
「お陰様であれから10年、無事に過ごす事ができた。
正直なところ、長いこと現実を受け止められずにいた時期もあったが
子供たちがいてくれたお陰で何とか乗り切る事ができた。
ここにいる皆さんにも大変世話になった。心からお礼を言いたい。」
かいつまんで言うと、そういう内容だった。
当時もう既にイイ歳だった私だが、これからは支えてやらにゃいかんなと思った。
できれば母も支えてやりたかったが。
失くして気付くものもある、って事で。皆さんは目いっぱい親孝行を・・・。
友人の話です。
もう結婚されて(お嫁にいって)、父は他界し、母は一人老人施設でのんびり余生を送って
いらしたという話を聞いていましたが、
そのお母様が亡くなり、わずかな荷物を整理しに行ったら、
友人がまだ幼かった頃母の日にあげたプレゼントやその他、たくさんの母への贈り物が
大切にしまってある箱が出てきたそうです。
友人はいろいろな事情はあったにせよ、同居してあげなかった事を泣いて悔やんでいました。
私もそのお母様には幼い頃何度かおやつをもらったりしてつき合いがありましたが、
もっとも驚いたのは、私が「あげる」と言って何気なく渡した落ち葉のしおりまで
その箱に入っていたことです。
友人が「これは記憶にないの」と言って教えてくれて知りました。
私の両親はまだ健在です。
結婚して別居ですが、もっとまめに足を運ぼうと思います。
親の愛か・・・・・
感じたことないなぁ・・・・
忘れもしないあの阪神大震災。築73年だった我が家は大阪市内にも関わらず、本当に揺れまくって
死ぬかと思った。いつも口げんかばっかりしていた父親が、隣の部屋から自分の布団を持って走って
来て「動くなっ!」と叫んで私の上にかぶさってくれた。私の寝ているすぐ横には洋服ダンスがあり
倒れてきていたら間違いなく死んでいたと思う。一瞬すごいあり難かったが、同時に
父の膝が私の横腹にHITし、怖いやら痛いやらで涙があふれた・・・。
自分の親の話ではないんだが
ガキの頃、近所の釣堀で魚を釣っていた時の話。
少し離れた隣に、見知らぬオヤジが息子らしき少年(3〜4年生くらい)を連れて来ていた。
竿を出していたのは親父の方で、息子の方は水っぺりでひとりで遊んでいた。
が、ふとした瞬間にその息子が池に落っこちた。
「ドボン!」の「ン」が聞こえたかどうかといううちに俺の眼に映ったのは
競泳選手のよーに頭から水に飛び込むオヤジの姿・・・・
水深は腰くらいまでだったので、事なきを得ていたんだが
息子はオヤジに強烈な拳骨をくらっていた。あれは紛れもなく、親の愛だと思う。
みなさんすばらしいエピソードをたくさんありがとうございます。
何年か前に父が大手術をしました。
12時間に及ぶ手術を待つ間、考えていたというか思い出していました、昔の父を。
たくさんたくさんお世話になったのに、まだこれっぽっちも御礼を言ってない!とあせりました。笑
父の定年退職の日、母に「お父さんにご苦労様って言ってあげてね」って言われた時も、
デイトのことで頭がいっぱいだった出来損ないの娘を許して・・・って。
週末に実家へ行きます。
元気な父母を見るのが楽しみです。
父、母とあいついで癌で他界しました。
私はまだ20代でした。
母の通夜の夜、ふっと思い出したエピソードを友達に話しました。
私がまだ3歳くらいの頃のこと。
買い物の帰り道、道路にねずみの轢死体がありました。
「これを持って帰ってみんなにみせたい!!」と言い張る私に、
「そうねーどうしようかしら...でもみんな喜ぶかしらねえ...」と
しばらく付きあってくれた母の姿がありました。
真っ向から「何を言ってるの!汚いでしょ」というのはたやすかったでしょうが、
一緒にむきあう”間”をとってくれたのかもしれません。
なぜかお持ち帰りの気持ちはすっと冷め、ねずみはそのままにして帰りました。
実は母は大のねずみ嫌い!
その背景もある分、同じ視点に立とうとしてくれた思いや愛情を感じたのかもしれません。
微妙。
え?私はその光景が目に浮かびちょっとウルウルしました。
子どもたちを叱ってる毎日ですけどあの子たちに一つだけでもいいから
優しいおかあさんのエピソード残してやれるかしら。
やっぱり親になって初めて親の愛情がわかるっていうでしょう。
とっても
とってもとってもとってもとってもとってもとってもだーいすきよ
ねーよ!
本当に困った時に助けてくれる無償の愛。
私が子供の頃、バナナは高級果物だった。
こんなうまいものは無いと思っていた。
小学低学年だったと記憶するが、
母親の誕生日に、なけなしの貯金でバナナを一本買って来てプレゼントした。
母親は見る見る顔をくしゃくしゃにして泣きだした。
当時は何故母親が嬉しそうにしないのか分からず、戸惑った記憶がある。