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最近老けたなぁと思う人や老いについて思う事などありましたら語り合いましょう。
老いって言うのは個人差が大きいと思います。
実際にそういう実験や科学データもあり老いる遺伝子が強い人はそうでない人より同じ歳で見た目が全然違います。
[スレ作成日時]2006-05-30 00:34:00
最近老けたなぁと思う人や老いについて思う事などありましたら語り合いましょう。
老いって言うのは個人差が大きいと思います。
実際にそういう実験や科学データもあり老いる遺伝子が強い人はそうでない人より同じ歳で見た目が全然違います。
[スレ作成日時]2006-05-30 00:34:00
おっ安楽死選択制度やっぱ、あり?
姑を介護する嫁がいました。
お医者さんが定期的にその姑の様子を診に来るのですが、
その姑を見たときに、お尻にいくつものあざがありました。
お医者さんは嫁にそっと
「あんたもこれまで色々苦労があったんだねぇ。
お尻よりふともものうちっ側の方が痛いんだよ」
と言うと、
「ごめんなさい。もうしません」
と嫁が言ったそうな…
それまでに嫁と姑の間に何があったのか…
嫁は姑が動けなくなったときに復讐をしていたのでした。
お医者さんは一方的に「やめなさい!」と言うのでなく
介護する嫁に寄り添う気持ちで接したおかげで、
嫁もそれまでの姑を許す気持ちが芽生えたのでしょう。
歳をとればあらゆる能力は衰え、介護を必要とすることもあるでしょう。
そんな時、周りにどう支えてもらえるかは、
これまで生きてきた生き方、周りとの接し方によるのではないでしょうか。
最後の最後まで生き抜くことで、これまで生きてきたおとしまえをつける。
その時の自分の有り様を受け入れる。
そうしてやっと完結するのだと思います。
そしてそれを見届ける周りも逝く者への想いを清算し、
自分の生と死を改めて見つめ直すことができるのではないでしょうか。
死ぬまで生きる 全ての生き物がそうであるように
人間もまた、それに逆らってはいけないと思います。
現世は地獄だからね、また生まれさせられたらたまらんものね。
与えられた人生だから、自ら途中で放棄するつもりはないけど、
持ち家(マンション)の将来が心配。
今はローンを返している最中。
いずれローンは完済するだろうけど、老後に大規模修繕費用の持ち出しや、
老朽化してリフォームが必要となった時のことを考えると不安。
まして、建て替えという事にでもなったら、そんなお金はないだろうなぁ。
年金もいくらもらえるか分からないし。
取り越し苦労と言われるかもしれないけど、
マンションの将来に不安を抱えている人は少なくないんですよね〜。
かと言って、賃貸暮らしが絶対とも言えないし…
184さんは何がそんなに辛いの?
うっとうしいこともいっぱいあるけど、楽しいこともいっぱいあるじゃん。
地獄も天国もこの世だよ。(#^.^#)
185さん、不安は思い出したら次から次へと出てきますよね。
不安を回避する方法
①不安は分らないから不安なので、
予想される費用とその時の資金を具体的にシュミレーションしてみる。
②その時はその時と開き直る覚悟をつける。
③自分にとって何が一番大切かを考える。
私にとって一番大事なのは家族ですから、
家族が居れば今の住居がなくなってもまっ、いいかと思える覚悟はあります。
どうであれ、生きてはいけるでしょう(#^.^#)
歳とると、楽しみが1つ1つとなくなって、最後は自分でとどめをさしたい気分になりそうな?
家族がいない、家族とわかれてしまった場合などは、なにもないのですよ。
地獄のわりにはこんなもんか、と思えるからなんとかって感じです。
>おっ安楽死選択制度やっぱ、あり?
賛成です。
安楽死は高齢化、地球資源、などの問題にも貢献できる。
きれいごとを言っても、誰も他人の面倒なんてみたくないのですから。
ただ、強制的はまずい、生きたい人はいきればいい。
一定年齢に達するか。経済的や身体的事情により許可されるべき。
安楽死許可、安楽死施設、墓地の法改正が必要だと思う。
では60歳以上で選択性がいいね。
やっぱり60歳超えかな、選択できるようになるには。ホワイトカラーとブルーカラーじゃ年金支給年齢を変えないと体がもたないね。決めるのはテーブル仕事の人だからわからんかなー言ってることが?。
60になって年金貰って生きるか安楽死を選ぶかってとこでないと高齢化の減少のためにならんかもね。
強制的ではまずいとおもうので、60過ぎた方はいつでも自分のタイミングで安楽死施設にいけるような感じがいいですね。
賛成
通勤電車に乗っている時にたまに思うんですが、一緒に乗っている人たち、
みんな死んじゃうんだなって。
人間いつかは、いまのところ死んでしまいますね。
で、問題はあの世があるか?ないか?だと思う。
ある場合はこの世のおこないを精査され、判決みたいなことを言われ、天国や地獄、地獄の後に輪廻転生させられたりして、あまりお金のためにひどい生き方ができない。
ない場合はこの世がすべて、楽しんだほうがいい。他人を蹴落としてまでは個人差があるし、それがいいともいわないが、結局、お金がないといい暮らしできないので、ということか。
ないければ、墓参りの先祖供養自体が意味ないと思いますが。
大半はあの世があったら困る的いき方なのかなー?
あの世が有るか無いかで生き方が変わるんでしょうか?
それって、「バレなければ何してもいい」に近い考え方の様な気がします。
先祖供養も、墓参りも来世から先祖が見張ってて、自分たちが来世に行ったときに
苛められないように供養してる訳じゃなく、
自分たちが今在るのは、先祖が居てくれたから、という自然の繋がりに対する
感謝の気持ちからなのではないでしょうか?
ちなみに安楽死施設には賛成一票。
自殺者が多いのは事実だから、きつい世の中ですね。
では賛成ですね!
生命は譲り受けられた(仮託された)もので、自分の意志はより良く生きる為
に使うべきだと思う。
身体の仕組みを知るに従い、自分の力で生きている(自分の意志で生死も選
択できる)と考えることは不遜だと思うようになりました。