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世の中には未知な事や不可思議な事が色々ありますが信じる?信じない?について語りましょう。
[スレ作成日時]2011-03-01 07:48:03
世の中には未知な事や不可思議な事が色々ありますが信じる?信じない?について語りましょう。
[スレ作成日時]2011-03-01 07:48:03
物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。
真の人間は「神の子」であって物質ではなく、肉体ではない。
肉体ではないから物質の世界に出入する事もない。
物質の世界に出入することがないから物質の世界より見れば人間は不生である。
不生であるから滅することも亦ないのである。
物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、
従ってまた滅すれども「人間」は本来物質界に生ぜざるを以って又滅すると言う事もない。
人間は本来「生」である。
「滅」に対する「生」ではなく、本来「生」であるから、
老なく、病なく、死なく、破壊が無いのである。
老とは「生」の衰耄を言えども、人間は本来「生」であるから衰耄せず老朽しないのである。
衰耄は「生」にあらず、人間に非ず。
衰耄なきを「人間」と言い、老朽せざるを「人間」と言う。
病なきを「人間」と言い、「死」なきを「人間」と言う。
釈迦は「人間」の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、
釈迦はそのときまだ「人間」を見ていたのではない。
念の影を見て「人間」と思い違いしていたに過ぎない。
釈迦が此の世を見て無常と観じたのも「真の人間」の世を観たのではない。
それは無明の投影の世を観て無常としたのである。
真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、
人間は永遠不死、金剛身、如来身、実相身、清浄身である。
人間は神の子なるが故に本来「浄」にして不浄ではない。
人間を指して不生不滅不垢不浄というのは真相ではない。
般若の思想は無常想から実有想に到る過渡的思想であるから、
不生不滅不垢不浄を説きたれどもこれは物質に比喩しての方便説である。
人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。
また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢がその実相である。
本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき
汝らは歓びに満たされて手の舞ひ足の踏む所をしらないであらう。